いつもの路の向こう側

いつもの路の向こう側

多くの人には、通学や通勤などで、毎日きまって歩く路があります。

 

こどものころからふしぎだったのは、なぜ通学路がひととおりに決まっているのかということ。

自宅から学校までの間には、いくつもの交差点、いくつもの分かれ道があります。

事故や事件に遭わないように、危険な路を避けるために、通学路は決められているのだといっても。

少し離れたところに住む友達には、その子の通学路があって。

たまには自分も、違う路を選びたくなってしまいます。

 

一本違う通りを歩くだけで、そこには、見慣れたものとは違う景色がひろがっています。

いまにして思えば、それは路上観察学へと続く道の、第一歩だったのかもしれません。

 

社会人になっても、それは同じ。

違う路を歩いたからといって、誰かに怒られることはないけれど、列車で通勤する場合、定期券のルートを決める必要があります。

たいていの場合、定期で指定できる経路はひととおり。それも行きと帰りで別々の経路を指定することはできません。

けれど、それほど急ぐ必要もないとき、あるいは休日のときなどは、違う路を選んでみてもいいのでは。

 

鉄道が好きな人なら、路線図を眺めながら、どのような経路をたどって目的地に向かうかを考えるのも、楽しみ方のひとつ。

関西では、京阪神を結ぶのにJRのほか阪神、阪急、近鉄、京阪と多くの私鉄があり、それぞれに独特の沿線風景があると言われます。

 

名古屋なら、JRと名鉄、地下鉄。

広島なら、JRと広電、アストラムライン。

窓の外の風景だけでなく、駅の構造、車内広告、乗客の様子など、あらゆるものを観察することで、いままでにない発見があることでしょう。

 

いつもの路の向こう側に足を踏み出すことで、新しい世界が見えてきます。

 

Published by mizuho

文字遣い/探索士 ——夕霧に包まれ消えゆく島の名を知る術も無し凪の私は

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