違いを認める生き方へ – 見えない違い 私はアスペルガー

この世界に生きる人々は、みんな違っている。

けれど、その違いを違わないということにして生きている人たちも多くいます。

そんな社会の中で、生きづらさや違和感を覚えたことのある人には、読んでほしいマンガがあります。

とある会社で働くマルグリットは、騒音や大勢との人付き合いが苦手なタイプ。

本屋の前を通り、パン屋さんに寄って、いつもの通りを抜けて…といった、毎日決まったルーチン(習慣的行動)のおかげで、ホッとした気持ちをとりもどすことができます。

とあるきっかけから、彼女は自閉症という概念を知り、アスペルガー症候群(自閉症スペクトラムの一つ)だと診断されることで、そんな自分のことを本当に知ることができたと感じます。

とたんにマンガのコマが明るくなり、文字通り世界が色づくさまは本書の中でも印象的です。

アスペルガーという概念を知る前に、マルグリットが「誰だってそうだ」と自分だけの苦しさを理解してもらえなかったり、友人から乱暴な言葉を投げかけられて戸惑う様は、わがことのように心が苦しくなります。

 

以前に「凪の渡し場」でも紹介した内向型やHSPという概念を知ったときも、似たようなことを感じました。

概念に名前をつけることは、ばくぜんと「みんな同じ」と思っていたことに、違う視点からの光を投げかけ、見えない違いを見えるようにすることなのです。

 

本の中では〈スプーン理論〉というものも紹介されています。

障害や慢性疾患をもつ人には日常生活を送るのに必要なエネルギーの限度が決まっていて、それを小さなスプーンであらわすという考え方です。

普通なら何杯でもスプーンを使えるところ、マルグリットは12杯しか使えません。

けれど、自分のスプーンの限度と基準を把握しておくことで、たとえば飲み会をすればスプーン4杯を消費してしまうというふうに、自分の疲労を管理することができるようになります。

わたしも普通の人と比べて疲れやすいタイプで、実のところ、どうしてみんなができることが自分にはできないのだろう、と悔しく思うこともあります。

けれど、頭の中にスプーンをしのばせておくことで、その悩みをコントロールできるかもしれない、そんな希望がもてました。

 

そして、違う人たちが、その違いを認めて生きていける世の中でありますように。

 

他人の気持ちを察しすぎてしまうときの、「受けとめて棚にあげる」考え方

このブログ「凪の渡し場」では、内向型、HSPといった人に特徴的な考え方、生き方について取り上げてきました。

ささいな変化に敏感だからこそ、いろいろなことに気づき、深く考えることができます。

けれど、その特質によって、他人とのかかわりで苦労することもあります。

攻撃的な物言いや相手のネガティブな感情を察しすぎて気が滅入ってしまったり、どう対処すればいいかわからなくなったり。

また結果として、相手の気持ちを察して行動したつもりでも理解されずに、報われない思いにとらわれることもあります。

 

細川貂々さんの「生きづらいでしたか?」という本では、生きづらさを感じていたご本人の体験と、そのような人々を支援する〈当事者研究〉という活動が紹介されています。

本を読んで印象的だったのは、貂々さんが自身のネガティブを「大事にしてくださいね」と言われるところです。

誰もがそれぞれの生きづらさをかかえていて、そのネガティブをいったん受けとめることも必要なのです。

それも含めて、自分なのだから。

 

けれど、自分だけでなく、他人のネガティブな感情まで引き受けてしまうことには注意が必要です。

根本裕幸さんの「人のために頑張りすぎて疲れたときに読む本」では、あえて「わたしとあの人は違うから」という言葉を使ってみることを薦めています。

「わたしはわたし、○○さんは○○さん」

そう口癖のように唱えることで、ついつい察しすぎてしまう相手の気持ちと自分の気持ちを分離して、棚上げすることができます。

 

棚上げというのは、けっして悪い意味のことばではありません。

列車や飛行機の中で、大勢の人がいる中、たくさんの荷物をかかえていては、自分の行動もにぶくなってしまうし、まわりの人に迷惑をかけることにもなります。

大事なもの以外は棚にあげることが、自分のためにも、相手のためにもなると考えましょう。

 

気持ちをいったんうけとめて、棚にあげる。

 

そうすることで、心も軽くなり、余裕が生まれます。

 

 

考えすぎる人生への処方箋 – 思わず考えちゃう

日々の生活のなかで、さまざまなことが気になったり、心配事をかかえてしまうことがよくあります。

他人から、考えすぎだと言われることもしばしば。

だからといって、考えないでいられる生き方に憧れながら、どうして自分はそうではないのかと、また考えこんでしまう。

そんな、考えすぎる人生を送る人々にとって、大いに共感を呼ぶであろう本がこちら。

著者のヨシタケシンスケさんは、かわいくてユニークな切り口の絵本、イラストなどで活躍されています。

この本は、ヨシタケさんが日常の中で思わず考えてしまった一コマを、その際に描きとめたスケッチとともに語るエッセイです。

 

トイレから出るとき、ドアノブの中で一番きたなくない部分はどこだろう。

ストローを取り出した後の紙袋を、きれいにちっちゃくたたみたい。

 

些細だけれど、わたしも幾度となく考えてしまったことがつぎつぎと登場します。

と同時に、ヨシタケさんの奥様はそういうのが気にならない方らしく、くしゃくしゃになったままのストローの袋を見て、さらに考えてしまう。この言葉は救いですらあります。

ところが、全くそれが気にならない人が世の中にはいて、そういう人と結婚まで出来るっていう、そういう人生の奥深さに、改めて感動したりします。

ヨシタケシンスケ「思わず考えちゃう」(新潮社)p.45

 

後半は、仕事であったり、人生であったり、考えすぎてしまうからこそかかえてしまう悩みが赤裸々に語られます。

でも、そんな悩みも、考えすぎも、いつかきっと何かの役に立つ。

そんな信念のようなものに貫かれていることが、読みすすめるとはっきりわかります。

 

この本を読むと、「安心して不安を感じていいんだ」と(ふしぎな言い方ですが)思えます。

そんなことを考えながら、今日という一日を終え、きっと明日を生きていくのです。

 

 

ひとりとひとり、対談の力

ノンフィクションといわれる本のなかに、対談というジャンルがあります。

対談という名があらわすとおり、ふたりの著者が一対一で話し合った内容をまとめた本のことです。

 

TVのトーク番組のように、一方がホストとして、気になる人・会いたい人と順番に話をするという形式の対談集もあります。

 

あるいは、対談の相手は変わらず、一冊まるごと、特定のテーマについて掘り下げるというものもあります。

どちらにしても、微妙に活躍するジャンルが違うふたりの対話から、とりわけ興味深い内容が生み出されることがあります。

それは、それぞれが、作家として、あるいは研究者として、ひとつの本を書き上げることができるだけの力があるからこそ。

ある話題について、どちらかが詳しい知識や経験を持っていたとき、「そういえば…」と、異なる視点の話題を俎上にあげることがあります。

そうやって話題を提供できる人のことを「ひきだしが多い」と言いますが、相手にとっては、自分の知らないひきだしから出されたそれは、まるで未知の領域のことかもしれません。

それでも、自分のひきだしの中をあさって、似たような状況、考え方はないか? と思いをめぐらしてみる。

そうすると、まるで意外なところから、それに対する返事がみつかったりします。

そうやって、対話がつながっていく。

 

たとえていうなら、単著は、著者の主張や世界観を、読者に対して語りかける、一対多の講義形式のようなものです。

対談は、そういった一方的に教える/教えられるという関係ではなく、おたがいに教えあい、学びあう。そんな勉強会を読者も一緒になって聞いている感覚が味わえます。

対談本には、体系的な知識を得られる単著とはまた違った、より周辺にしみ出していくような魅力があります。

 

大勢での会話が苦手で、ひとりで考えることを好む内向型人間にとっても、他人と話す力を身につけるのにうってつけかもしれません。

 

行動しながら考える

むかしから、行動が早い人にあこがれていました。

思い立ったら、息をするように自然に、かろやかに行動ができる人たち。

何かにつけて慎重派で、考えてからでないと動けない人間だったわたしにとって、その姿はまぶしく映ります。

 

考えすぎて動けなくなる、石橋を叩いて壊すようなことをするくらいなら、まず行動すればいいと人は言うでしょう。

それでもやっぱり、行動することに恐れはつきもの。

それは生来の気質であったり、経験から来るものだったりするかもしれません。実際に深く考えず行動して失敗したことがあれば、次は失敗したくないと思って、より慎重にならざるを得ないものです。

 

けれど、わたしたちに与えられた選択肢は「考えてから行動する」「考えずに行動する」のふたつしかないのでしょうか。

「考えずに行動する」といったところで、本当に何も考えないわけにはいきません。

「行動してから考える」と表現することもできますが、それでは不安だという慎重派にとっては、もうひとつの言い方のほうがしっくりくるのではないでしょうか。

 

それは「行動しながら考える」という第三の道。

 

あらかじめ、考えに考えて、完璧に思える計画を作ったところで、現実には想定外のことがどうしても起こるものです。

想定外のことに弱いのは、心のどこかで、一度考えれば、あとは何も考えずに行動できると高をくくっているからかもしれません。

でも世界は自分だけのものではなく、いろんな人がいて、いろんなことが起こりうる。

そんな中で問題を解決する、やりたいことを叶えるためには、どうしたって「行動しながら考える」しかありません。

ストレングスファインダーで言えば、〈慎重さ〉だけでなく〈回復思考〉や〈内省〉を絶えず発揮する必要があるということでしょう。

 

そんな考え方の大切さを教えてくれたのが「問題解決大全」という本です。

この本には、人生におけるハードルを乗り越えるためのさまざまな手法や考え方が詰めこまれていて、その一つに「過程決定計画図(PDPC)」があります。

過程決定計画図 – ORWiki

新QC七つ道具の1つ. システム特性が入出力や過去の履歴に依存する場合, あるいは相手の出方に応じて対応を変化させる必要がある場合, 現在の状況から最終結末に至る過程で生じ得る様々な状況や対策ならびにそれらの推移を, 問題解決の手順として有向グラフに描いたもの. システムの挙動を予測し, 適切な対策を模索し, その効果を事前に予測して, 最終的に望ましい結果に至るように計画するツール. 危機管理や集団意思決定に有効.

1970年代、大学紛争の時代に、大学側が学生と交渉するために編み出された手法だと言います。

刻一刻と変わる状況下、事前に考える時間も与えられない中で、望ましいゴールにたどり着くための「行動しながら考える」ツールとして紹介されています。

 

行動することに不安があって、歩みが止まってしまうときは、「行動しながら考えることもできる」と思えば、すこしだけ足取りが軽くなるかもしれません。