路上と動物との共存を考える – さんぽあとしまつ

まちあるきをしていると、路上のあらゆるものが観察の対象になります。

 

たとえば、お店の看板や貼り紙の文字に目を向けたタイポさんぽ

たとえば、一般にカラーコーンという商標で知られるパイロン

 

そして最近、ひそかに気になっているものがあります。

 

それは、犬などのペットを散歩させる飼い主に向けて書かれた注意書きの立て看板。

すでに決まった呼び方があるのかもしれませんが、わたしは仮に「あとしまつ」系とよんでいます。

今回は、ペットも連れずに、立て看板だけを目当てとした「あとしまつ」散歩を楽しんでみましょう。

 

まずは、文字通り、ペットのあとしまつを飼い主にお願いするメッセージが書かれたもの。

地方自治体の名前と、犬のキャラクターが描かれたものがよく見られます。

ふしぎなことに、同じ自治体でも、少し歩くと違う犬のキャラクターに出会うことがあって、探すのが楽しくなります。

描かれるのは犬が多いですが、たまに猫が登場することも。野良猫へのえさやり禁止を兼ねたメッセージのようです。

 

なぜか、この犬だけはあちこちで見かけます。下のふたつはフォントも同じですね。

 

ピクトグラムになった犬。ピクトさんに飼われるピクトワンでしょうか。

 

ピクトさんといえば、日本ピクトさん学会会長・内海慶一さんのイベントで岡山に行ったときに見つけた、こちらのあとしまつ。

自分であとしまつをするという、かしこい犬。

タウンボーイDSKというのが検索しても出てこなくて謎です。

 

ときには、ちょっと強い口調で怒られたり。

 

と思ったら、「ワンちゃん」とやさしく諭されたり。

 

もはや文字が消えていてもなんとなくつたわってしまいます。それこそがペットへの愛情の証かもしれません。

 

まちには人間ばかりではなく、ペットも、野良犬、野良猫だっている。

そんな人間と動物との共存についても考えさせられてしまう、まちあるきでした。

 

今回のおまけ。

しゃちほこ立ちをしつつ、目も名古屋市章の「まるはち」に。

なんとも名古屋愛にあふれた犬でした。

 

憧れを自分の夢に育てる – 森博嗣「夢の叶え方を知っていますか?」

突然ですが、わたしには夢があります。

とくに、ここ数年、夢について考え、やりたいことを実現する方法を探索してきました。

たとえば、大下千恵さんの野望の会参加してみたり。

コボリジュンコさんの逆算手帳や100年日記を試してみたり。

 

つくづく感じたことは、自分の夢をつくるには、自分の好きなこと、自分の強みを知らないといけないということ。

そして、夢を叶えるためには、夢から逆算した具体的な計画を立て、行動に移すことが効果的だということ。

 

そんな道の途中、こんな本を読みました。

 

著者の森博嗣さんは、愛知県の某国立大学助教授(当時。いまで言う准教授)をつとめるかたわら、小説家としてデビュー。

それも、作家になることが夢だったのではなく、ほんとうの夢を叶える時間と資金のために小説を書いていると公言しています。

そのユニークな視点と緻密な文章に惹かれ、小説やエッセイを昔から愛読していたところ、いまの自分の関心事に正面から突き刺さる、この本の刊行。

まさに、チルチルとミチルの「青い鳥」を思い起こします。

 

内容も「自分の夢を知っていること」と「それをなるべく早く実行すること」のふたつが大事だということからはじまり、うなずける点が多々あります。

 

自分の夢とは、裏を返せば、誰かが語る夢、あるいは誰かへの単純な憧れとは違うもの。

もちろん、誰しもスタート地点はそんなもの。

まったくのゼロからモノを生み出すよりは、すでに世の中にあるものに触れることから、すべてははじまる。

そこから、たくさんの憧れがうまれます。

そうしたものから、自分に合ったもの、一番好きなもの、あるいは手が届きそうなもの、を選んで、「自分の夢」として育てていくことになる。「育てる」というのは、その道について情報を得るため調査し、自分の技量も高めるために学ぶ、すなわち、実現の確率を高めていく行動、という意味だ。

ここで常に中心にあるのは自分のやりたいこと。

このため、自分ひとりでなく、誰かとのつながりによって達成するような夢に対しては、多少攻撃的な書き方がされています。

いわゆる外向型人間にとっては、納得できないところもあるかもしれませんが、自分の内側からエネルギーを得る内向型人間にとっては、学ぶところが多くあります。

 

とりわけ、著者自身が考えすぎの傾向があり、何かをするときには、多くの可能性を想定してからでないと動けないタイプだったというのは、わたしにも共通する点(ストレングスファインダーで言う慎重さの素質)。

森さんの奥様である、イラストレーターのささきすばる氏は逆に、まず行動してから考えるタイプというのもおもしろいところ。

それに影響を受けてか、とりあえずやってみれば、あんがい簡単だったということがわかる。

 

そうやって自分だけでなく、他人の視点も得ることで、人は自分の夢に向かっていくものかもしれません。

 

自分と正反対の存在から、力を得る – 向かい干支

二月も半ばを過ぎ、年末年始に年賀状を書いた人もそうでない人も、早くも今年の十二支がなんだったか思い出せなくなっているころかもしれません。

 

今年、平成29年はそう、酉(とり)年です。

 

わたしは生まれも酉年ということで、今年に入ってからというもの、ものがたりの登場人物や作者が酉年だったりすると、さらに印象が深くなります。

たとえば、中勘助(明治18年生)の自伝的小説「銀の匙」では、主人公の幼少期、同じ酉年生まれの少女と仲良くなるという描写があります。

 

そして、中勘助よりひとまわり上、明治6年に生まれたのが、幻想的な作風で知られる泉鏡花

その故郷、金沢にある泉鏡花記念館では、ちょっと変わった企画展が開催されています。

企画展情報 | 泉鏡花記念館

No Description

題して、「酉TORI/卯USAGI―錦絵で愉しむ向かい干支」。

向かい干支というのは、十二支を円周上にならべたとき、ちょうど向かい合わせにあたる存在。

鏡花は、酉の向かい干支にあたる卯(うさぎ)をモチーフにしたものを収集していたといいます。

 

陰と陽が対になるように。

あるいは、互いに正反対の性格だったり、自分にないものをもっている人に惹かれるように。

 

自分と正反対のものから、力を借りるという発想で見れば、いちだんと世界が広がるのではないでしょうか。

向かい干支の解説付き、十二支しおりもあります。

日本の駅前風景を記憶する – 八画文化会館Vol.5

日本全国に存在する、さまざまなまち。

かつて多くの人を引き寄せた観光地でありながら、少しずつ時代とずれていってしまったり、あまりにも先鋭化した方向へ突き進んでいったり。

そんなスポットを「終末観光」という視点で取り上げてきた唯一無二の雑誌が、八画文化会館。

八画文化会館 : 廃墟や珍スポットなど、日本各地の奇妙なモノを発見するインディーズ出版社、八画出版部

廃墟や珍スポットなど、日本各地の奇妙なモノを発見するインディーズ出版社、八画出版部のウェブサイト。

2016年のイベント、よきかな商店街では、編集部のお二人にお会いし、創刊号からの愛読者であることをお伝えすることができました。

そのイベントは「まちの文字図鑑 よきかな ひらがな」(大福書林)の松村大輔さんとともに、日本の商店街の風景を切り取っていくというものでした。

その後も、Twitterに次々と独自な視点でハッシュタグと写真の数々が投入されてゆきます。

二年半ぶりに刊行されたVol.5「駅前文化遺産」は、その結晶ともいえるものでしょう。

東京・大阪・名古屋のような大都市の駅はあえて外し、少し寂しさを感じる、いわゆる地方都市の駅前風景を、「文化遺産」として紹介していきます。

名古屋ではありませんが、愛知県からは、あいちトリエンナーレ2016の舞台にもなった東岡崎駅(岡ビル百貨店)なども掲載されています。

かつては屋上遊園地があり、昭和の終わりごろまで全盛期を誇った岡ビル百貨店。

いまは神社になっているという屋上には通常入れませんが、2F、3Fと階段を上がっていくことで、往時の片鱗を味わうことができます。

 

会期中はアート作品が展示されていた3F、建物隅の「キッチンこも」だけが現役営業中。

「スパゲッチ」という表記も気になります。

 

この岡ビルのように、「建設当時は地域一の高さを誇った」とまで語られながら、いまではまわりの高層マンションに後塵を拝してしまっているような中低層ビル

盆栽を中心に据えた駅前ロータリーに、謎のローカル銅像

Googleマップやスマートフォンのない時代には必須だった、名所旧跡の描かれた駅前地図

 

過疎化、老朽化というネガティブなイメージばかりではなく。

ノスタルジー、なつかしさといった過度の美化も、そこにはなく。

淡々と紹介される駅前の光景が、なぜかとても魅力的。

 

わたしもかつて、地方都市に住んでいたことがあって、まさにこの雑誌に紹介されるような駅前風景を毎日目にしていました。

そのときにはまったく気づかなかった、あるいはマイナス要素として見ていたものが、いまになって新たな意味づけが与えられたという驚きがあります。

 

もちろん、そこに暮らす住人にとっては、不便さを感じることも多い街並みであって、やがては現代的な駅前に塗り変わっていくことでしょう。

それも、まちの宿命。

 

でも、だからこそ。

 

過ぎゆく時代の記憶を、地道に記録にとどめていく、このような試みがとても貴重なものだと感じます。

 

 

 

本を手にとる誰かを待つ仕事 – 本屋、はじめました

あなたは、月に何冊本を読むでしょうか。

何回、本屋さんに通うでしょうか。

 

いまや本を買うのには、コンビニ、ネット通販、電子書籍と、さまざまな方法があります。

それでも、本屋さんで実際に本を手にとってあじわう体験は、かけがえのないもの。

そんな想いに、すこしでも共感をおぼえてもらえるなら、ぜひ手にとってほしい本があります。

 

著者は、全国チェーンの大手書店であるリブロに長く勤めた辻山良雄さん。

名古屋店時代には、地元の本屋・雑貨屋と共同で、本でまちをつなぐイベント、ブックマークナゴヤを立ち上げています。

 

ブックマークナゴヤ  BOOKMARK NAGOYA OFFICIAL WEBSITE

BOOKMARK NAGOYA(ブックマークナゴヤ)名古屋を中心に大型新刊書店や個性派書店、古書店、カフェや雑貨店などが参加。街のあちこちで本に関連したイベントやフェアを開催する、『本』で街をつなぐブックイベントブックイベントです。

わたしにとっても「本屋」というものが、お店単独ではなく街と切り離せない存在であるという視点に気づかされたイベントです。

このイベントを通して知ったお店も多く、いまも毎年開催を楽しみにしています。

 

本書は副題に「新刊書店Title開業の記録」とあるとおり、辻山さんがリブロから独立し、2016年に東京の荻窪に自分のお店をオープンするまでの経緯と、開業後の様子までが描かれます。

本屋 Title

2016年1月、東京・荻窪の八丁交差点近くにオープンした新刊書店・Title(タイトル)。1階が本屋とカフェ、2階がギャラリーです。

事業計画や営業数値といった具体的なデータも交えながら、なぜこの時代に本屋を開くのかという想いが、静かに、それでいて力強く伝わってきます。

 

本屋の仕事は「待つ」に凝縮されていると辻山さんは言います。

本屋の毎日の光景として真っ先に思い浮かぶのは、お客さまで賑わっている店頭ではなく、まだ店内に誰もいない、しんとした景色です。静まりかえっていますが、本はじっと誰かを待つようなつぶやきを発しており、そうした声に溢れています。

 

そして、そんな本に出会うために、本屋を訪れる人がいる。

 

本を読む人が減っている、街の本屋が少なくなっていると言われ続けている中、それでも本屋さんで本を買いたい人は必ずいます。

 

実際に、第1回ブックマークナゴヤが開催された十年前と比較しても、本屋さんに求められるものは変わりつつあります。

けれど、その芯にあるもの、本を誰かに届けたいという想いはずっと変わらないでしょう。

その上で、不特定多数の「みんな」ではなく、特定の人に向けて届けるため、平均的な品揃えの良さではなく、ここでしか出会えないような本を置き、その瞬間でしか体験できないイベントを開催する。

本屋に限らず、誰のために仕事をするのか、なんのために人生を生きているのか、というテーマにも通じるものがあります。

 

 

最後に、この本自体について。

奥付に、使用されたフォントや用紙の種類までが記載されていたりと、細かいところまで実に丁寧につくられています。

ちなみに表紙のタイトル(店名ではないほうの)に使われているのはフォントワークスのニューシネマA

 

さらに、カバーを外すと、本屋Titleのある荻窪の地図が現れます。

いつか、この地図に描かれたまちを実際にあるき、本屋Titleを訪れる、その日が楽しみになりました。