住んでいるまちを好きになるということ – なごやじまん

あなたは、自分の住んでいるまちが好きですか?

あるいは、かつて住んでいたまち、ふるさと、訪れた場所など…好きだと言えるまちはあるでしょうか。

 

いまわたしが住んでいるまちは、愛知県名古屋市というところです。

東京、大阪に次ぐ三大都市と言われながら、ときに「魅力のない街」などといったレッテルが貼られ、当の名古屋人でも、そう言われてうなずいてしまう人も少なくありません。

そんな風潮に異議を唱えるべく、名古屋在住のライター、大竹敏之さんがこんな本を出版しました。

表紙には、この地に昔から住んでいる方にはなじみが深いであろう、圧倒的な地元ブランドを誇る松坂屋百貨店でかつて使われていた包装紙が使われています。

本文でも巻頭記事として、その松坂屋がいかに名古屋を愛し、そのお返しのように名古屋の人に愛されてきたかという歴史が滔々と語られます。

 

普通の観光案内で取り上げられるような名所や、いわゆる「なごやめし」も当然取り上げられているのですが、あくまで地に足の着いた目線で、地元の人に長く愛される名店を中心に語られます。

あのちくさ正文館が、ナナちゃん人形や徳川美術館などと同列に並ぶ目次は壮観です。

 

毎年秋に開催されている「やっとかめ文化祭」を紙上で再現するという記事の中では、名古屋渋ビル研究会(高度成長期の渋いビルを愛でる会)や、建物にタイルで建物に描かれたアートを鑑賞するモザイク壁画などのまちあるき企画も紹介されています。

YATTOKAME LIFE丨やっとかめライフ

やっとかめライフオフィシャルサイトです。

住み慣れた場所であっても、その歴史を学んだり、ふだん通り過ぎてしまうものに目を向けることで、新しい楽しみを見つけることができるのがまちあるきの魅力です。

わたし自身、まちあるきをするようになって、そのまちをもっと好きになることができました。

地元だからこそ、その魅力に気づかないのだとしたら、それは自分のことを好きになれない自己肯定感の低さにもつながっているかもしれません。

 

好きなお店や食べ物。

ここで出会った人との想い出。

それが地層のように積み重なって、自分だけのまちとのつながりが生まれます。

それを大切にすることで、まちも自分自身も好きになっていけるはず。

 

そして、好きなまちができたら、まわりにアピールしなければもったいない。

自分の好きなまちの魅力を発信するとともに、いろんな人の住んでいるまちのことをもっと聞きたいと思います。

そうすることで、お互いが、まちのことをもっと知ることができます。

 

この読書会は実在する – 架空読書会

読書会という催しをご存知でしょうか。

ある一冊の本を課題本に決めたり、あるいは何かテーマを決めて参加者がテーマに沿った本を持ち寄ったりして、それらの本に対する意見や感想を話し合う場です。

自分の好きな本について語るだけではなく、ふだん一人ではなかなか読めないような本を読むきっかけになったり、お互いにまったく違うバックグラウンドをもった人の視点からの感想を聞けたりと、多くの魅力があります。

 

そして、そんな読書会仲間のうちで、ひっそりと噂にのぼる会がありました。

その名も、架空読書会

読書会である以上、そこには必ず語られる本が存在するはずです。

けれども架空読書会には、課題となる本が存在しない…その名の通り〈架空〉の本について語り合うのだというのです。

 

そんな読書会が、果たして実在するのか。

そんな読書会があるなら参加してみたい。

 

ほどなく、そんな話が持ち上がり、あれよあれよという間に実現する運びとなりました。

 

こちらが今回、架空読書会にあたって用意した「お品書き」です。

会のスタート時点では、まだ真っ白。

 

参加者の方に、事前に考えてきてもらった架空の本のタイトルを、その場でここに書き込んでいきます。

ほかの参加者も、その本を読んできたという体裁で、一冊ずつ、そのタイトルから連想される感想を語り合っていきます。

 

たとえばわたしは「いまひとたびの、ふたり旅」というタイトルを挙げました。

誰かが口火を切ります。

「なかなかの恋愛小説でしたね。主人公はけっこう、年のいったふたりでしたけど…」

発言は自由に行われますが、誰かが言った感想は、それがそのまま真実となります。

以降、この本は、熟年恋愛小説ということで話が進んでいきます。

「なんだか妙に鉄道ネタが多いけれど、ちょっと考証が甘い気がするな」

「著者は沖縄出身ですからね」

「でも、この宮崎の風景描写は、さすが南国の雰囲気が出ていて良かったですよ」

そうやって、この世に存在しない本の輪郭が、すこしずつ姿を現しはじめます。

 

さまざまな読書会に参加し、豊富な知識をもつ方が多く集まったおかげか、当意即妙の切り返しで、驚くほど自然に会話が成立します。

かと思いきや。

どう考えても幻想小説のようなタイトルに対して「ビジネス書である」という発言が飛び出し、思わず全員が言葉を失ったり。

「大人の登場人物の描写がステレオタイプだ」という発言を受けて、著者は高校生だから、という回答を用意してみたり。

 

ルールに則った上で、ほかの参加者の意表を突く発言をすることもあれば、あくまでまじめに会話を成立させようと頭をひねっる人も。

ふつうの読書会・勉強会とはまた違った、新鮮な発見と楽しみがあります。

 

この日、この場にだけは、どこにもない〈架空〉の本の世界が、たしかに存在したのでした。

 

もし、こんな架空読書会に参加したい、開催したいという声があれば、いつでもご連絡をお待ちしています。

 

敏感な人の生きづらさを解消する – 過敏で傷つきやすい人たち

HSP(敏感すぎる人々)という概念を知ってから、わたし自身も思い当たるふしが多々あることもあり、とても気になっています。

同時に、人によっては医学的な概念ではないといわれ、もっと深く、正しい理解をしていかないと、一面的なものの見方になりそうな予感もしています。

 

今回は、知人を通して知った、こちらの本をご紹介します。

HSPという概念で、過敏であるがゆえに生きづらさを感じていた人に寄り添いつつ、比較的ニュートラルに、データに基づいた冷静な分析がされています。

 

まずなにより共感したのは、敏感すぎる人の辛さは、敏感すぎること自身よりも、それがなかなか他人に理解されないことにある、という主張です。

騒音や冷暖房などの環境に対する反応や、他人の発言の受け止め方などには個人差があって、ある人にはなんでもないことでも、別の人には耐えられないこともあります。

「HSP」という概念が生み出されることによってはじめて、そういう人もいるのだということが世の中に理解される。

それが、そうした感じ方の違いを認め合える社会への第一歩といってもいいかもしれません。

 

そしてこの本ではさらに、「HSP」とひとくくりにされる敏感さにも個人差があって、それぞれに違う処方箋があるのだということを分析していきます。

いろいろな視点で見ることで、ものごとが違った表情を見せるように。

いろいろな切り口を考えることは、自分自身を理解する上でも、他人を理解する上でも大事なことです。

同じHSPということで理解しあえることもあれば、ささいなすれ違いで誤解を生むこともあるかもしれない。

けれど、それもきっと、乗り越えられないものではありません。

 

敏感すぎる人の生きづらさも、ものの見方を変え、行動を変えていくことで、少しずつ解消していくことができます。

 

日本の明朝体を読みなおす – 月刊MdN 2017年10月号特集:絶対フォント感を身につける。[明朝体編]

すっかり季節も秋めいてきました。

昨年(2016年)の記事 読書の秋、フォントの秋。文字を特集した雑誌を読みくらべ で紹介した雑誌「月刊MdN」では、今年もフォントの特集が組まれています。

 

今回は「絶対フォント感を身につける。[明朝体編]」。

日本語フォントの中でも基本と言える明朝体だけに、骨格が似通っていて、なかなか見分けることはむずかしい。

けれど、今でも毎年、いくつもの明朝体フォントがこの世の中に生み出されています。

ということは、それぞれにコンセプトがあり、それを主張できるだけの、ほかのフォントにはない違いがあるということです。

 

本書では、明朝体を歴史的な観点から「レトロ系」「ベーシック系」「アップデート系」の三つにざっくりと分類した上で、それぞれのフォントの特徴と見分け方を解説していきます。

レトロ系とは、かつての金属活字の時代に使われていたフォント、あるいはその影響を強く受けたフォントとしています。

その二大巨頭が築地体秀英体。

活字で組まれた古い本をめくれば、今からすると文字組も小さくでちょっと読みにくい、けれどやっぱり、その時代ならではの味わいがあります。

 

アップデート系は逆に、現在主流の、横書きやディスプレイ上でも見やすいように新しくデザインされたフォントたち。

MacやiPhone、iPadなどアップル製品に標準搭載されているヒラギノ明朝体をはじめとして、今も多くのフォントが生まれています。

 

この中間にあるのが、ベーシック系。モリサワのリュウミンなど、安定感のあるオーソドックスな明朝体です。今回の記事も本文にリュウミンを使用しています。

筑紫明朝もベーシック系に入れられていますが、そのバリエーションである筑紫Aオールド明朝や最近リリースされた筑紫Q明朝などはレトロ系に分類されています。

わたしの場合、筑紫シリーズを目にしたら、レトロ系とかベーシック系とか考える前に一瞬で絶対フォント感が発動するくらい、大好きなフォントです。

ぜひ、この本で、あなたもお気に入りの明朝体を見つけてみてください。

 

たとえば秋の観光シーズン。

まちなかや旅行先で修学旅行生たちとすれ違ったとしましょう。

彼ら、彼女らはみんな同じ制服を着ていて、大人の目からは見分けがつきません。

けれど、その子たち自身は、何ヶ月も、何年も同じ時間を共有していて、お互いの個性もわかっている。

仲良しの関係もいたり、ひっそりと想いを寄せる相手もいたり。

 

フォントも同じことです。

みんなちがって、みんないい。

 

この世に同じ人間がいないように、同じ明朝体はひとつとしてないのです。

 

26文字のイメージ – 英国人デザイナーが教えるアルファベットのひみつ

アメリカやヨーロッパをはじめ、世界の多くの国で使われているアルファベット。

それは、日本や中国で使われる漢字とは、成り立ちも用法も大きく異なります。

漢字が一文字だけでも意味を表す「表意文字」とよばれるのに対し、アルファベットは一文字だけでは意味をなさず、単語のかたちにして初めて意味をもつ「表音文字」だと言われます。

でも、それはほんとうなのでしょうか?

あえて、単語をバラバラに分解し、一文字のアルファベットに着目することで、新しい何かが見えてくるかもしれない…。

そんな視点で書かれた本がこちら。

 

それぞれのアルファベットの成り立ちとともに、その文字が現代までどのように使われてきたか、ロゴやフォントの例も交えて一から十まで…ならぬAからZまで解説していきます。

たとえば は比較的最近アルファベットに含まれた文字で、「ロミオとジュリエット」もシェイクスピアの執筆当時は「Juliet」ではなく「Iuliet」だった…というような、ちょっとした豆知識も身につきます。

著者は日本在住の英国人ということで、英国で出版された本の翻訳書ではなく、はじめから日本人をターゲットとした企画だったようです。

日本語の表音文字といえば、ひらがなとカタカナ。

「凪の渡し場」でも何度も紹介している「よきかな ひらがな」では、まちなかの看板から、そんな文字を一文字ずつ抜き出して鑑賞していきます。

そちらの本を読んでも、ひらがな一文字ごとに、特定のイメージがあることがわかります。

そんなふうに、わたしたち日本人がひらがな・カタカナのロゴに感じるようなイメージを、欧米人もアルファベットに感じているのかもしれません。

 

日本のまちなかで、そしていずれ欧米圏を訪れることがあれば、ご当地で。

アルファベットのイメージを感じとるタイポさんぽも楽しそうです。