「やらない理由」を考えすぎてしまう人に贈る言葉

内向型人間がもつ特徴のひとつに「慎重さ」があります。

 

何かをするときに、まずよく調べてから行動したり、なにも考えずに発言することがなかったり。

それは強みでもあり、弱みにもなる、いわば諸刃の剣。

慎重であることは、リスクを避けようとする気持ちのあらわれですが、同時にチャンスを逃してしまうことにもなりかねません。

 

わたし自身、新しいことをはじめる前や、誰かに声をかけようとする前は、慎重さが不安に変わり、考えすぎてしまうことがよくあります。

そんなときは、「やる理由」よりも「やらない理由」を多く見つけ出そうとしてしまいがち。

その両方を天秤にかけて、やっぱりやらないほうがいい…と、無理やり自分を安心させようとしてしまう。

 

でも、やったほうがいい、やらないほうがいいなんて、やってみないとわからないことも多いもの。

客観的な分析が得意なぶん、ほんとうは不確実な要素を「やらない理由」に数えあげてしまう、見せかけの分析をしてしまう危険があります。

 

そんなときに、思い出したい言葉があります。

 

戯言シリーズ、最強シリーズなどをはじめとする、西尾維新さんの小説に登場するキャラクター、哀川潤はこう言います。(正確には、彼女がある人物から贈られた言葉として語ったもの)

「嫌なことは嫌々やれ。好きなことは好きにやれ」

哀川潤(西尾維新「零崎軋識の人間ノック」講談社文庫刊)

この言葉から、どんなことを感じるかは人それぞれでしょうが、嫌なことでも、嫌々でもやるというところが今回のポイント。

好きなことしかやってないように見える潤さんが語るからこそ、この言葉の面白みは出てくるのですが、その話はまたの機会として。

 

あるいは、米澤穂信さんの「氷菓」をはじめとする古典部シリーズの主人公に言わせるなら、こうでしょうか。

「やらなくてもいいことなら、やらない。やるべきことなら手短に、だ」

折木奉太郎(米澤穂信「氷菓」角川文庫刊)

 

これもまた、彼なりの省エネ思想の言葉なのですが、こういうふうにとらえることもできます。

やるかやらないかの判断基準として、やりたいかどうかではなく、やるべきかどうかだけを考える。

 

やりたくないことを嫌々やるか、手短にやるかはともかくとして。

「やらない理由」を探し出していることを自覚したら、いったんこんなふうに視点を変えてみると、不安にとらわれることなく、前に進むことができるかもしれません。