日本語の文字を作る、文字を語る – 「筑紫書体と藤田重信」「明朝体の教室」

令和6(2024)年1月、日本語の文字(フォント)を語る上では欠かせない二冊の本が出版されました。

ひとつは、革新的なフォントとして知られる筑紫書体を、その生みの親であるデザイナー・藤田重信さんとともに語りつくす『筑紫書体と藤田重信』です。

そして、もう一冊が、「水のような空気のような」本文書体を理想としてフォントデザインに取り組む鳥海修さんの『明朝体の教室』。

鳥海さんと藤田さんは、おふたりとも、かつて日本最大の写植メーカーとして知られた写研出身という共通点があります。

独立後、鳥海さんは字游工房という会社を立ち上げた故・鈴木勉さんと、ヒラギノ明朝体を制作します。
いまや、MacやiPhone、iPadにも搭載され、まさに空気のように日本中、果ては世界中に浸透していきました。

さらに、字游工房オリジナルのフォントとして、游明朝体が2002年にリリースされます。
藤沢周平の時代小説を組むことを意識して作られた游明朝体は、同じ明朝体でもゆったりとした情感があるフォントです。

そのような違いが、なぜ生まれるのか。

「明朝体の教室」では、游明朝体と他の明朝体フォントを比較しながら、代表的な漢字や、ひらがな・カタカナを一文字一文字、じっくりと解説していきます。
フォントを見る・味わう側の人間としても、作り手がどのような視点で文字をデザインしていたかを知ることができる、とても貴重な一冊です。

ちなみに明朝体の比較については、〈凪の渡し場〉のブログをはじめた最初のころに記事を書いています。
いま読むとつたない考察で、少し恥ずかしいですね。

明朝体のスタンダード – ヒラギノ明朝と游明朝体

いきいきとした新世紀の明朝体 – 筑紫明朝

いまいちど、比較してみましょう。

拡大するとこちら。

「の」の左下をみてみましょう。
毛筆の筆の返しを忠実に再現したヒラギノと、あえて抑えめにした游明朝体、そして太さの変化が連続的な筑紫明朝。
それぞれの個性が現れています。

「き」も、フォントによってここまで違いが出るものなのですね。
三画目(斜めの線)は、ヒラギノは右にふくらんでいますが、游明朝体は逆に左にふくらみ、筑紫はS字カーブを描いているというのは『明朝体の教室』を読まないと、なかなか気づきません。

それにしても、筑紫明朝です。

全体的に、他の明朝体とくらべて、横棒も直線ではなく曲線的で、なまめかしい印象です。
止めのウロコすらも単純な三角形ではなくぽってりとして、異色さがうかがえます。

ここからは『筑紫書体と藤田重信』を参考にしていきましょう。

筑紫明朝がリリースされたのは2004年のことです。
写研からフォントワークスに移籍した藤田さんが手がけた、新しいのに、どこかレトロな雰囲気の明朝体。
ここから、筑紫書体の歴史がはじまります。

当時在住していた筑紫野(ちくしの)市から取りつつ、旧国名である筑紫(つくし)にもなぞらえて〈筑紫(つくし)書体〉となったそう。

ゴシック体やバリエーションも含まれば、今や何十種類もある筑紫書体。
そのどれもが独特で、天啓を受けたような文字ばかりです。
『筑紫書体と藤田重信』は、それぞれのフォントの使用例と、藤田さんのインタビュー、さらに100のQ&Aが詰まった、贅沢な本です。

一部の筑紫書体は、フォントワークスの mojimo で1フォントからサブスクリプション購入できます。
mojimo-select なら毎月3フォント選べるので、本を読んで気になったフォントを少しずつ試すのも楽しいです。

Cオールドで組んだら、なんだかすごいテンションの短歌が詠めそうです(笑)。

何千年も前に中国で生まれた漢字と、それが日本語の歴史と融合する過程で生まれたひらがな・カタカナ。
その文字たちは明治になって西洋の印刷技術を輸入する形で、日本語の活字として洗練されていきます。
その後も、写植とデジタル化によって、ますます多様な表現が可能に。
明朝体には、その歴史のすべてが詰めこまれています。

対照的なアプローチに見えて、それぞれが日本語の歴史と向き合いつつ、現代、そして未来に向けた明朝体を作られている、その情熱の一端にふれることができます。

2023年、世界の見方を変えるマンガ3冊+読書マップ

2023年の年末です。

毎年の恒例「今年の本」、今回は印象に残ったマンガ3作品を紹介します。

それぞれのテーマに関連した小説やノンフィクションなども〈読書マップ〉としてまとめてみましたが、こちらの詳しい説明は年明け note の記事にしようと思います。

それでは、一作ずつ紹介していきましょう。
なお、2023年末時点で、どの作品も連載中ですが、既刊は2〜4巻なので手に取りやすいと思います。

西尾維新原作・岩崎優次画「暗号学園のいろは」(集英社ジャンプコミックス)

主人公・いろは坂いろはが入学したのは、未来の暗号兵を育成する、毎日が暗号漬けの暗号学園。暗号によって世界の戦争を停めるため、きょうも謎を解き、クラスメイトの心を読み、学園の頂点を目指す。

ミステリー作家、西尾維新原作の週刊少年ジャンプ連載作です。
前回の連載作品「めだかボックス」(画・暁月あきら)の後半でも言葉遊びバトルが描かれるシーンがありました。
こういった、明らかに週刊連載向きでない題材をやってのけるのが西尾維新の真骨頂でしょう。
「いろはのい」とはいかないでしょうが。

西尾維新先生といえば、デビュー当時から同じメフィスト賞作家の森博嗣先生に影響を受けていることを公言しています。
その森先生が〈天才〉と形容する数少ない小説家のひとりが、筒井康隆先生。
そして、実験的な試みの多い筒井作品の中でも、いまだに折りにふれ話題になるのが、言葉(正確には音)が一文字ずつ消えていく「残像に口紅を」。
さらに、その「残像に口紅を」に影響されたと言われるのが、いわゆるジャンプ黄金時代に連載された冨樫義博「幽☆遊☆白書」の海堂戦。

「暗号学園のいろは」でも海堂戦に言及される話がありましたが、令和になって、こんな過去からの因果が実をむすぶことになるとは、西尾維新と同年代の者として感無量です。

鯨庭「言葉の獣」(リイド社トーチコミックス)

続いて、また違ったかたちで〈ことば〉の世界を描く「言葉の獣」を紹介します。

人の発する言葉を〈獣〉の姿で見ることができる少女・東雲と、そんな彼女に興味をもつ薬研。
ふたりは、この世でいちばん美しい獣を見つけるため、〈言葉の獣〉が暮らす森へと冒険に出る。

日常会話から、SNSのつぶやき、詩歌まで、わたしたちは、言葉にあふれる世界に生きています。
けれど、当たり前にある言葉とはなんなのか、誰も知りません。
わたしたちがいない場所、いない時間の先まで、言葉を遺すことには、どんな意味があるのでしょう。

とてもふしぎなことに、言葉によってわたしたちは理解し合うことができるとされているのに、お互いの〈言葉〉がおなじことを意味する保証は、どこにもありません。

それぞれがイメージする〈言葉の獣〉は少しずつ違う形をしていて、誤解や齟齬が生まれることもある。
それなのに、詩や短歌のような、ごく短い言葉で、自分の本心にふれるような、今まで気づかなかったものを見ることもできる。

ふたりの対話を中心に物語は進みながら、東雲が描いた絵をすぐ捨ててしまって、「自分の痕跡を残したくない」というのに対し、薬研は記録を残したい、「忘れられたくない」というちがいが語られるのも興味深いです。

わたし自身、〈言葉〉への関心に共感しつつ読みすすめてきましたが、共感できないこと、違いを知ることも、言葉による対話で世界をひろげるためには大切なことでしょう。

スマ見「散歩する女の子」(講談社ワイドKC)

最後も、ふたりの少女による対話で進む作品ですが、テーマは路上観察的な〈散歩〉です。

街角の看板の文字から俳句やしりとりをしたり、公衆電話の跡地に何を置くかを妄想したり。

路上観察でよく扱われるアイテム(いわゆる〈物件〉)に、さらに独自の楽しみかたをくわえて拡張する、まさに〈散歩の再発明〉が毎回展開されます。
何かのイベントや誰かとの待ち合わせ前に、少し早めに着いて「散歩する前に一人で散歩する」のは、わたしもこっそりやっています。

「三角コーンについて考える」回では、こういった非対称形の看板をつけたパイロン(三角コーン)が登場します。

ねずみ男パイロン(非対称看板の例)

作中ではここから、さまざまなパイロンのバリエーションを妄想していきます。
さすがにマンガなので現実にはありえない…と思ったら、〈のれん型パイロン〉の実例をカメラロールから見つけてしまいました。

のれん型パイロン(分譲期間限定)

土地建物のほうの物件が売れてしまうと見られない、路上観察的な意味で刹那的な〈物件〉でもあります。
(凪の渡し場〉でひっそり公開しているパイロンのページを更新しておきましたので、このサイトがある限りは記録として遺ることでしょう。

世界はどんどん予測不可能となり、いま当たり前に見ている景色も来年には見られなくなってしまうかもしれません。
だからこそ、いまを記録し、記録となった過去を振り返り、未来に進む原動力としていきたいです。

来年も、良いお年を。

また、このまちへ – 京都モダン建築祭2023

今年(令和5年)も、京都モダン建築祭が開催されました。

長い歴史をほこる京都のまちには、明治期以降も、それぞれの時代に合わせて建てられ、その時代を生きたひとびとに愛された建築が多く残されています。

そんなモダン建築を、特別公開やガイドツアーによって学ぶことができるのが、2022年からはじまった京都モダン建築祭です。
去年開催時の記事はこちらをどうぞ。

ひらく京都の底力 – 京都モダン建築祭

今年は11月2日から4日、そして10日から12日と全6日間に会期が延長され、全期間有効なパスポートや1DAYパスなどが発売されています。
近い時期に大阪や神戸でも建築イベントが開催されるので、関西近郊の建築好きには、まさにお祭りのような時期ですね。

わたしは1日しか予定を合わせられなかったので、1DAYパスで、去年行けなかったところを中心にめぐってみました。

パスポートはインターネットで購入できますが、各施設に向かう前に引きかえが必要なので注意が必要です。
京都駅から市営地下鉄烏丸線で向かう場合、四条の特設事務所で引きかえるのが便利でしょう。

わたしは今出川駅近くのbe京都で引きかえたあと、西陣のまちあるきを楽しみました。
(ただし、10日以降はbe京都で引きかえはできません)

手前に、何やらスタンプラリーが。
京都に移転した文化庁の記念事業で、府庁界隈「まちかどミュージアム」が開催されているようです。

さすが京都、なにかのイベントを目当てに行くと、さらに知らないイベントを見つけてしまう。
京都市考古資料館

とりあえず、両方の対象となっている京都市考古資料館(旧西陣織物館)へ向かいます。

金属板の明朝体「押」と丸ゴシックの「押す」を愛でながら、中へ入ります。

一、二階は一般公開されており、京都モダン建築祭の特別公開は三階の貴賓室が対象です。

カーテンも西陣織だそう。

謎の馬と人形がお出迎え。

このあと、南に行けば府庁や平安女学院など御所西エリアですが、昨年も訪れたこともあり、今回は北へ。

ほとんど見えない旧警戒標識をたよりに…。

元西陣小学校

元西陣小学校です。

飛び出しぼうや

旧小学校をいまでも見守る、飛び出しぼうや(おじょうちゃん)?

そのまま裏千家パイロンを横目に、北大路をめざします。

京都教育大学の50周年記念で建てられた紫明会館です。
デイサービスとしても現役で使われており、あやうくデイサービス専用入口に迷いこむところでした。

ちょうど和室に日差しが入り込む時間帯でした。

講堂から見る木漏れ日も美しい。窓が大鏡に映り込んで、だまし絵のようなワンシーンです。
ダンスなのか演劇の練習か、どんな人がどんな場面で、この姿見の前に立ったことでしょうか。

このあとは北大路から地下鉄に乗って、中京へ。

祇園祭の祭礼の拠点として使われる郭巨山会所へやってきました。

市電の施設で手狭になり、老朽化も進むなか、もともとの建物を生かしつつ空間を広げるという改修で日本建築学会賞を受賞したそう。

郭巨山会所
もともとの瓦屋根が内部にとりこまれるという、驚きのリノベーション。

近くには八竹庵(旧川崎家住宅)があります。
京都モダン建築祭の連携企画として、1,700円の入館料が200円引きになります。
事前にチェックしていませんでしたが、ここでは素晴らしいひとときを過ごせました。

八竹庵

京都大学時計台などを設計した建築家・武田五一も携わったという、和洋融合の空間がひろがります。

中庭を眺めれば、京都市街地にあるとは思えない静寂さ。
時季はずれの暑さもやわらぎます(虫刺されには注意)。

そして二階には、パスポート提示で特別公開となる秘密の場所があります。

八竹庵 鉾見台
山鉾巡行のときにだけ使われるという鉾見台。
伺ったところ増築ではないそうで、大正時代にこんなモダンなベランダを作るとはおどろきです。

このあとは河原町通へ。
島津製作所創業記念資料館に行ったり、建築フェア開催中の丸善京都本店に寄っていたら時間がだいぶ経ってしまいました。

マグデブルク半球など聞き覚えのある教育用実験器具の並ぶコーナーが楽しい。

最後は七条通の本願寺伝道院へ。

内部撮影は不可ですが、建築家・伊藤忠太による、世界各国の建築を寄木細工のようにちりばめた空間をじっくりと堪能できます。
妖怪好きでも知られる伊藤忠太、建物の周りにはふしぎな石像がずらりと並ぶのも見逃せません。

京都人の情熱がかたちとなったモダン建築。

それは過去と現在、そして未来につながる、ひとびとの無数のいとなみと共にあります。
来年もまた、ここに帰ってこれますように。

百年後にも夕陽は沈む – 天草諸島・五足の靴をゆく

知らない街への旅は、いつの時代も新鮮な驚きと発見に満ちあふれています。

それはいまから百年以上も前、明治40年の夏。
与謝野晶子の夫としても知られる歌人、与謝野寛(鉄幹)は、主宰する詩歌集「明星」の同人とともに一か月の九州旅行に出かけます。

メンバーは与謝野寛、北原白秋、木下杢太郎、平野萬里、吉井勇。

その旅程は彼ら自身の手で新聞連載され、のちには北原白秋の詩集「邪宗門」など、創作の源泉となります。

時代が降っても、「五足の靴」として知られた、その足跡をたどる人々が絶えません。

今回は、その中心的な目的地である天草諸島(天草市・上天草市)を中心に紹介します。

「五足の靴」では長崎県の茂木港から南下して天草へ向かいますが、旅程の都合で熊本から向かうことにしました。

対岸の島原・天草の乱の終結地となった原城跡にも寄ろうとした場合、本州からは二泊以上は必要になりそうです。
西九州新幹線にも乗ってみたいので、いつかまた訪れる機会がありますよう。

熊本から向かう場合、橋が通じているので車やバスで一気に渡ることができます。
あるいは、特急「A列車で行こう」やシークルーズを乗り継ぐこともできますが、さすがに本題から逸れすぎてしまうので、また別の記事で。

とまれ、天草諸島の〈ナナメ上〉と公式観光ガイドブックで謳われる、上天草市の大久野島から話をはじめましょう。

ここは天草四郎ミュージアム。
天草の乱の首領とされる謎多き美男子・天草四郎を中心に、この地のキリシタン布教と伝道の歴史を解説します。

売店の「ミケネコオリーブ」のオリーブソフトクリームもおいしい。

そして南に向かい、天草上島を通って天草下島へ。市役所のある本渡のあたりは天草諸島でも一番栄えた場所のようです。

かなりの高台にある天草キリシタン館。暑い時期ですし、車で行かなければ向かうのをあきらめていたことでしょう。
「五足の靴」のころは鉄道がようやく開通し始めた時代、ほとんどの道程を文字通り足で走破した明治人の体力に感嘆してしまいます。

日本にキリスト教と西洋医学を伝えた、イエズス会のアルメイダ神父記念碑。

さらに南へ国道266号をひた走り、天草コレジヨ館へ。

コレジヨとは神学校の意味。キリスト教だけでなく宣教師からもたらされた南蛮文化をひろく解説します。

とりわけ印象的なのが印刷物のコーナーです。

元をたどれば聖書普及のためにグーテンベルクが発明したといわれる活版印刷機。
その発明から150年後、帰国した天正少年使節団が持ち込んだ印刷機によって、日本初の活版印刷がこの天草で始まったそうです。

キリスト教布教だけでなく、「伊曾保物語」(イソップ物語)や「平家物語」などローマ字で印刷されたものまであり、現代まで残された〈天草本〉がコレジヨ館に所狭しと並びます。

印刷・フォントの歴史を学ぶと、明治維新後に西洋の活版印刷が輸入され、日本の活字をつくる試みがはじまったと解説されることが多いのですが、いわゆる鎖国によって失われた活版印刷術が、この天草の地にあったことは記憶にとどめておきたいです。

地元のアーティストによって「伊曾保物語」のイソップの生涯を人形で再現した「ESOPOの宝箱」も圧巻です。

コレジヨ館から車で10分程度、﨑津集落へ。

2018年「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連資産」の構成資産として世界文化遺産に登録され、注目が高まっています。

のどかな漁村と、禁教が解禁されてから建てられたという﨑津教会のコントラストが美しい。

集落を見下ろす位置には、﨑津諏訪神社があります。
この地を舞台にした潜伏キリシタン発覚事件「天草崩れ」はブラタモリでも取り上げられていましたね。

信仰というもの、人の幸せのありかたを考えてしまいます。

写真を撮り忘れましたが、近くには﨑津資料館「みなと屋」もあります。

五足の靴記念碑

駆け足で天草諸島をめぐってきました。

大江教会を通ってたどり着いた最西端の下田地区には「五足の靴」の記念碑があり、遊歩道も整備されています。
天候に恵まれれば、東シナ海に沈む夕陽も見ることができます。

時代が移り、人々の生活様式や価値観が変わっても、それらをすべてつつみこむような夕焼けに、悠久の歴史を感じます。

島根と広島の県境に立つ – 江の川鐵道トロッコ体験

この記事は「まだ知らない広島へ – 三次もののけミュージアム、中村憲吉記念文芸館」の続きですが、広島偏愛シリーズではありません。

中村憲吉記念文芸館からさらに西、県境を越えて島根県は邑智郡邑南町までやってきました。

ここには、2018年に廃線となってしまった三江線の口羽駅があります。

かつては三次から日本海側の江津までをつないだ三江線、その全通記念のモニュメント。
奥にはいまだ「口羽駅」の道路標識が残ります。

現在は「口羽駅公園」として整備されていて、手前のレール部分もホーム周辺であれば自由に歩いてよいそうです。

そして、この線路を活かし、廃線後の地域振興を目指すNPO法人「江の川鐵道」によって、トロッコ列車などの運行イベントが行われています。

トロッコは土日を中心に運行され、公式サイトで予約できます。

https://gounokawa.com

駅名標も江の川鐵道のロゴが入ったものに差し替えられていました。
すみ丸ゴシックにも近い懐かしさを感じるフォントです。

伝統の鉄道文字 – すみ丸ゴシック

ホームで待っていると、ゆっくりとトロッコが入線してきました。

驚きの車体の低さ。

全員が乗り込んで出発進行です。最高時速15kmで、旧三江線の線路を北へ向かっていきます。

トンネルを抜け、江の川を鉄橋で渡ります。この日は前日まで雨が降っていたので水量が多め。

と、ふいに「県境」という標識が現れます。

冒頭の地図をよく見ればわかりますが、江の川を越えた対岸の伊賀和志駅は広島県にあり、また鉄橋を渡って島根県の宇都井駅に向かう形になっています。
そして実は、まだ広島県三次市との調整が済んでおらず、この先の駅まで進むことができないそうです。

愛岐トンネルを見学したときも、愛知県側から岐阜県越えができませんでした。
県境を越える、ただそれだけのことが、ときに不思議とむずかしい。

国鉄中央線の記憶をたどる – 愛岐トンネル特別公開

その代わりなのか、川の手前のトンネルで途中下車(?)させてもらい、しばらく散策の時間となります。

深い自然につつまれながら、線路はまだまだ朽ちることなく時を刻みつづけます。