静かな世界の声を聞く – 宮本常一 伝書鳩のように

宮本常一(みやもと・つねいち)という人物をご存じでしょうか。

〈旅する民俗学者〉という異名を取った彼は、生涯で16万キロ、三千を超える村を訪ね歩き、そこに生きる人々を文章と写真のかたちで写しとりました。

 

平凡社STANDARD BOOKSの一冊として刊行された本書は、宮本常一の膨大な記録の中から選りすぐられた随筆集です。

他のシリーズも寺田寅彦、岡潔、湯川秀樹など科学者・数学者を中心としたラインナップが素晴らしく、百科事典で知られる平凡社だけに、長く本棚に並べておきたいたたずまいを感じられる造本です。

令和の時代にはもはや遠く消えかけている、日本のさまざまな伝承、風習がつづられます。

つまり世の中が静かであったとき、われわれは意味を持つ音を無数に聞くことができたのである。意味を持たない音を騒音といっているが、 今日では騒音が意味のある音を消すようになってしまった。(中略)人間にとっては静かに考える場と、静かに聞く場が必要である。

「宮本常一 伝書鳩のように」(平凡社) p.12

1978(昭和53)年に書かれたこの文章は、いまでも胸に響きます。

スピードや豊かさを求める現代を否定するわけではありませんが、スピードが速くなればなるほど、騒音も大きくなり、小さな音、多様な音を聞きわけることができなくなります。

いま、静かに考える場は、ますます貴重なものになっています。

本を読むというのは、そうやって静かに著者の声に耳をかたむける経験でもあります。

時間も場所も、遠く離れても。

本を開けば、宮本さんの見た静かな世界を、わたしたちは聞くことができるのです。

 

 

違いを認める生き方へ – 見えない違い 私はアスペルガー

この世界に生きる人々は、みんな違っている。

けれど、その違いを違わないということにして生きている人たちも多くいます。

そんな社会の中で、生きづらさや違和感を覚えたことのある人には、読んでほしいマンガがあります。

とある会社で働くマルグリットは、騒音や大勢との人付き合いが苦手なタイプ。

本屋の前を通り、パン屋さんに寄って、いつもの通りを抜けて…といった、毎日決まったルーチン(習慣的行動)のおかげで、ホッとした気持ちをとりもどすことができます。

とあるきっかけから、彼女は自閉症という概念を知り、アスペルガー症候群(自閉症スペクトラムの一つ)だと診断されることで、そんな自分のことを本当に知ることができたと感じます。

とたんにマンガのコマが明るくなり、文字通り世界が色づくさまは本書の中でも印象的です。

アスペルガーという概念を知る前に、マルグリットが「誰だってそうだ」と自分だけの苦しさを理解してもらえなかったり、友人から乱暴な言葉を投げかけられて戸惑う様は、わがことのように心が苦しくなります。

 

以前に「凪の渡し場」でも紹介した内向型やHSPという概念を知ったときも、似たようなことを感じました。

概念に名前をつけることは、ばくぜんと「みんな同じ」と思っていたことに、違う視点からの光を投げかけ、見えない違いを見えるようにすることなのです。

 

本の中では〈スプーン理論〉というものも紹介されています。

障害や慢性疾患をもつ人には日常生活を送るのに必要なエネルギーの限度が決まっていて、それを小さなスプーンであらわすという考え方です。

普通なら何杯でもスプーンを使えるところ、マルグリットは12杯しか使えません。

けれど、自分のスプーンの限度と基準を把握しておくことで、たとえば飲み会をすればスプーン4杯を消費してしまうというふうに、自分の疲労を管理することができるようになります。

わたしも普通の人と比べて疲れやすいタイプで、実のところ、どうしてみんなができることが自分にはできないのだろう、と悔しく思うこともあります。

けれど、頭の中にスプーンをしのばせておくことで、その悩みをコントロールできるかもしれない、そんな希望がもてました。

 

そして、違う人たちが、その違いを認めて生きていける世の中でありますように。

 

デザイナーやエンジニアの見る世界

こどものころから、ものをつくる人に憧れてきました。

 

身の回りにあるおもちゃも、電化製品も。

線路の上を走る列車も、空を飛ぶ飛行機も。

現代社会に欠かせないあらゆるものは、この世界のどこかの誰かがデザインして、形にしたものだということを、わたしたちはいつとはなしに理解します。

「design」という英語は現在、そのまま〈デザイン〉というカタカナの日本語になっていますが、明治時代には〈設計〉という言葉で訳されました。

デザインとはもともと、見た目を整えるだけではなく、ものがどうやって動くのかというエンジニアリングの観点も、またそれがどう使われるのかというユーザビリティの観点も含む、広い意味のことばです。

 

そんなデザインとエンジニアリングの両方の視点が混在するのが、デザイナーであり東京大学教授の山中俊治さん。

山中さんはSuicaの自動改札機をデザインしたことで知られます。

今では当たり前になった改札の光景ですが、SuicaのようなICカードが登場する前は、東京の、いや日本中の誰も、カードをかざして改札を通るという経験をしたことがなかったのです。

そんな人の動きを想像し、実際に何度もテストを繰り返して、自然に改札を通れるように読み取り機の角度を調整した結果、今にいたる日本中の駅の「当たり前」がつくられたのです。

本書では山中さんのTwitterでのつぶやきをベースに、東京大学の研究室で、あるいは企業や研究機関と共同で、まだ世の中に存在しない製品のありかを探すように、スケッチと言葉が重ねられていきます。

その言葉に宿る純粋な響きは、どこか工学博士で作家の森博嗣さんに通じるところがあります。

森さんも長年大学で学生の指導に当たりながら、趣味(個人研究)で工作を続けてきたことから、世界に対して似通った視点をもつものなのかもしれません。

 

一流のデザイナーやエンジニアの言葉は、それ自体が製品のように、情熱をうちに秘めているかのようです。

 

他人の気持ちを察しすぎてしまうときの、「受けとめて棚にあげる」考え方

このブログ「凪の渡し場」では、内向型、HSPといった人に特徴的な考え方、生き方について取り上げてきました。

ささいな変化に敏感だからこそ、いろいろなことに気づき、深く考えることができます。

けれど、その特質によって、他人とのかかわりで苦労することもあります。

攻撃的な物言いや相手のネガティブな感情を察しすぎて気が滅入ってしまったり、どう対処すればいいかわからなくなったり。

また結果として、相手の気持ちを察して行動したつもりでも理解されずに、報われない思いにとらわれることもあります。

 

細川貂々さんの「生きづらいでしたか?」という本では、生きづらさを感じていたご本人の体験と、そのような人々を支援する〈当事者研究〉という活動が紹介されています。

本を読んで印象的だったのは、貂々さんが自身のネガティブを「大事にしてくださいね」と言われるところです。

誰もがそれぞれの生きづらさをかかえていて、そのネガティブをいったん受けとめることも必要なのです。

それも含めて、自分なのだから。

 

けれど、自分だけでなく、他人のネガティブな感情まで引き受けてしまうことには注意が必要です。

根本裕幸さんの「人のために頑張りすぎて疲れたときに読む本」では、あえて「わたしとあの人は違うから」という言葉を使ってみることを薦めています。

「わたしはわたし、○○さんは○○さん」

そう口癖のように唱えることで、ついつい察しすぎてしまう相手の気持ちと自分の気持ちを分離して、棚上げすることができます。

 

棚上げというのは、けっして悪い意味のことばではありません。

列車や飛行機の中で、大勢の人がいる中、たくさんの荷物をかかえていては、自分の行動もにぶくなってしまうし、まわりの人に迷惑をかけることにもなります。

大事なもの以外は棚にあげることが、自分のためにも、相手のためにもなると考えましょう。

 

気持ちをいったんうけとめて、棚にあげる。

 

そうすることで、心も軽くなり、余裕が生まれます。

 

 

新しい時代を生きるヒントに – 学びのきほん

この記事を書いているのは2019年5月2日、元号は平成から令和となり、大きな時代の変わり目にいることを実感します。

今回は、新しい時代を生きるヒントになりそうな二冊の本を紹介します。

どちらもハードカバーと同じサイズ(四六判)ながらカバー無しの表紙に税抜670円と手に取りやすいデザイン、NHK出版から創刊された「学びのきほん」シリーズの本です。

本を開けば、全4回の著者による講義を聴くように、それぞれの分野についてわかりやすく学べる…という構成に見えますが、どうやら、それだけではありません。

批評家・随筆家の若松英輔さんによる「考える教室」では、プラトン、デカルト、ハンナ・アレント、そして吉本隆明といった名だたる思想家・哲学者の本をひもときつつ、哲学とは先人の考えを知ることよりも、むしろ自分自身にとっての問題を考えることが大事だということを教えてくれます。

国語辞典編纂者の飯間浩明さんによる「つまずきやすい日本語」では、〈正しい日本語〉〈間違った日本語〉があるわけではなく、コミュニケーションの手段としての言葉がときに誤解を生む理由をさぐりながら、人それぞれの言葉の使いこなし方を考えていきます。

 

〈学ぶ〉とは単に知識を得るだけのものではありません。

それは人が自分の人生を生きていくために必要な行為なのです。

 

ところで、飯間さんの本のあとがきでは、執筆のとき「どう表現するのが適当か、いちいち悩む」と書かれています。

まさにこのブログ「凪の渡し場」を書くときも、毎回同じことを悩んでいます。

単語の選びかたひとつ、文の組み立てかたひとつで、わかりやすい表現になったり、誤解を招く表現になったり。

もちろん、どれだけ気を配ったとしても、育ってきた背景や、ことばに対する感性は人それぞれなので、完全に伝え手の狙い通りに受けとめられることはないでしょう。

違う視点をもつわたしたちが「わかりあう」ということ

 

伝えたい想いが100%伝えられない。

それがことばのもつ限界であり、コミュニケーションの難しさでもあります。

 

けれど、それでも。

伝わらないかもしれなくても、伝えたい。

それがことばの存在する理由であり、その叡智が本というかたちで結集したからこそ、時代を超えて読み継がれることも可能になったのです。