30年前の僕らは胸をいためて – 「タイポグラフィ・ブギー・バック」

ある本を読んで、クローゼットから一枚のCDアルバムを掘りだしました。

1994年に発売された小沢健二のアルバム「LIFE」です。

まだ音楽のサブスク配信も、iPhoneも、iPodさえ存在しなかった時代。
聴きたい曲があればラジカセにCDを入れ、歌詞カード片手にリピート再生していた〈その頃〉が、ついこの間のように思い出されます。

小沢健二さんらしい音楽の奏でに乗って、日常的な光景を美しく変えていく、魔法のようなことば。

そんな歌詞をつづる文字・フォントに着目して、〈その頃〉のぼくらを支えていた作品と文字の記憶に向き合うのが、正木香子さんの「タイポグラフィ・ブギー・バック」という本です。

書籍タイトルが示す通り、最初に紹介されるのはアルバム「LIFE」にも収録された「今夜はブギー・バック」。

この曲のシングルCDではモリサワの見出ミンMA31というフォントがタイトルに、アーティスト名には新ゴが使われていると記載がありました。

わたしはシングルを持っていませんが、モリサワのデジタルフォントなら、このブログ「凪の渡し場」でも紹介したさくらのレンタルサーバ用Webフォント機能から使えるので、同じ設定にしてみました。


今夜はブギー・バック

小沢健二 featuring スチャダラパー


こんな感じですね。
今では一般的なフォントですが、当時は発売されたばかりの最新デジタルフォントでした。

いっぽうで、アルバム「LIFE」や「球体の奏でる音楽」には、当時圧倒的なシェアを誇った写研のフォントが使われているそう。

それは印刷技術が写植からデジタルに急速に移り変わる時代のはざま。

モダンで、でもどこか懐かしく、その時代を象徴する写研のフォントは少しずつ人々の前から姿を消していきます。

小沢さんも、その後新たなアルバムをリリースすることなく、その後約10年ほどメディアの第一線から姿を消します。

そして時は2020年代。
その楽曲は本人や他のアーティストによって幾度となくカバーされ、帰還〈ブギー・バック〉を果たします。

最近の小沢さんは、ホームページやミュージックビデオなどで独特な文字演出をされていて注目しています。

時代が呼応するかのように、長らくデジタル化されていなかった写研のフォントも、2024年にはモリサワによってデジタルフォントとして生まれ変わるといいます。

デジタル化された写研フォントで、小沢健二の歌詞が読めるときが来るのか。
それでもそれは、写植によるデザインが前提だった〈その頃〉のうたに感じたものとは似て非なる感情を呼び起こす予感がします。

正木さんの本に戻りましょう。

「タイポグラフィ・ブギー・バック」では、小沢健二や椎名林檎といったアーティストの楽曲、「NANA」「動物のお医者さん」などの漫画、雑誌「SWITCH」など、ここ30年ほどのメディアを、使われたフォントという観点で読み解きます。

かつて慣れ親しんだ作品の文字が、今はもう簡単に手に入らないフォントであったり、逆にパソコンに普通に入っているフォントであったりと、新たな一面を知ることができます。

なかでも、「古畑任三郎」のオープニングについての考察には驚きました。

ドラマ自体の完成度と相まって一世を風靡した、特徴的な黒バックと白抜きのゴシック体による出演者のクレジット。

幾度となく再放送され記憶に残る映像ですが、2021年に主演の田村正和さんの訃報に接し、あらためて見直した正木さんは、ある違和感を覚えたそう。
そこには30年近く、おそらく誰にも解かれていなかった謎が隠されていたというのです。

同じ時代を生き、同じようなメディアに接したであろう著者の視点に共感も多々ありつつ、フォントを見る目の違いによって、これほどまで景色が変わって見えることに、あらためて驚嘆します。

いま当たり前にある文字も、作品も、やがて誰かの記憶となって未来の世界へ連れて行かれる。
「LIFE」中の楽曲「愛し愛されて生きるのさ」ではないですが、誰もが誰かを(何かを)、愛し愛されながら。

擬人化フォントの学園生活 – フォント男子!

主にマンガ・アニメを中心としたカルチャーにおいては〈擬人化〉という表現手法があります。

実在の国や地域、商品、植物、はては細菌やら鉱物にいたるまで、あらゆる事どもを人(キャラクター)に見立てて、その特徴や個性を描き出すもの。

そしておそらく日本、いや世界初?のフォントを擬人化したマンガが、ヴァーニジア二等兵さんの「フォント男子!」です。

主人公はモリサワ学園に通うアンチックANくん。

マンガのフキダシによく使われるアンチック体をモチーフにしていて、組み合わせて使われることの多い太ゴB101が幼なじみと、フォントどうしの関係性が反映されています。

学園の名前からわかるとおり、フォントメーカーのモリサワが制作に協力しているため、生徒や先生もモリサワのフォントが勢ぞろいしています。

生真面目な明朝体のリュウミンくん、温和な丸ゴシックのじゅんくんなど、元になったフォントを知っていれば納得、知らなくてもキャラクターを思い浮かべるだけでフォントの名前を覚えられるようになるかもしれません。

2巻では街中(秋葉原)に出かけて看板に使われているフォントを見分けたり、いわゆる〈絶対フォント感〉を身につける授業が行われたりと、キャラクターと一緒になってフォントを学べる作品になっています。

KADOKAWA作品らしく「エヴァ」のフォントが「別の学校だけど」と匂わされる一幕も。これはフォントワークス学園とのライバル校対決があるのか、と思いきや2巻で完結というのが心残りですが、こんなふうにフォントを身近に楽しく学べる学園生活、あこがれます。

 

百万塔陀羅尼の縁がつなぐ、文字と印刷の歴史

今回はまず、こちらの画像をご覧ください。

バームクーヘンのような色と形がかわいい、これは百万塔陀羅尼(ひゃくまんとうだらに)といいます。

 

作られたのは奈良時代、西暦765年(天平神護元年)から770年(神護景雲4年)にかけて。

時の天皇・称徳天皇の命によって、百万枚の陀羅尼(仏教の梵文を訳さずに唱える経文)を印刷し、それを小さな三重塔に入れて南都各地の寺に納めたものです。

なんと、つくられた年代がはっきりしている世界最古の印刷物なのだそう。

 

称徳天皇は聖武天皇の娘で、孝謙天皇として即位して譲位したのち、尼となってからふたたび天皇位につき、僧の道鏡を寵愛したことでも知られます。

天平神護や神護景雲という、日本史上他に類を見ない四字元号の時代は、中国や仏教への傾倒が強まり、それまでとは違うかたちの国づくりが行われていきます。

グーテンベルクの活版印刷術が、ルターの「42行聖書」を大量に複製するために生まれたように。

今までになく多くの人に教えをつたえ、ひろめる手段として、印刷という複製技術が活用されことは洋の東西を問いません。

その思いは、千年以上も経った後世の人々にも連綿と伝わっていきます。

 

さて、この百万塔陀羅尼、実はあちこちの博物館で見かけることができます。

 

まずは東京の印刷博物館、総合展示ゾーンに百万塔陀羅尼はあります。

写真撮影は禁止ですが、ミュージアムショップで手に入れられるガイドブックでも解説されています。

ちなみに、2019年1月20日まで開催中の企画展「天文学と印刷」展も、内容だけでなく展示の雰囲気も素晴らしいので必見です。

(企画展開催中は入場料一般800円・総合展示のみの入場は不可。企画展が開催されていないときは300円)

 

同様に期間限定ですが、丸善日本橋店などで開催されていた、京都外国語大学図書館の稀覯資料「世界の軌跡を未来の英知に」展でも見ることができました。

『百万塔陀羅尼』

No Description

愛知県では、西尾市岩瀬文庫の常設展示が行きやすいでしょう。写真撮影可能のため、冒頭の百万塔陀羅尼はこちらのものを使用しています。

ここも企画展や製本ワークショップなどもあって、本好きの方にはとくに楽しめる場所となっています。

 

関西の方なら、大阪のフォントメーカー・モリサワ本社ビルのMORISAWA SQUAREで、印刷とフォントの歴史を学ぶことができます。

見学には予約が必要ですが、セミナーやイケフェス大阪の日には無料で一般公開されます。

 

そしてもちろん、本家本元である奈良・法隆寺の大宝蔵院には、大量の百万塔陀羅尼が納められています。

(参拝料一般1,500円)

 

いずれも百万塔陀羅尼が主目的というわけではなく、気になるテーマの展示を見にいったり、友人に誘われて訪ねた場所で、ふと百万塔陀羅尼に出逢えるのは、とても幸運な縁を感じます。

とくに、年末にひょんなきっかけで訪れた法隆寺で百万塔陀羅尼に再会したことで、その由来をしっかり調べ直す気になり、このブログ記事を書くことができました。

来年も、良いご縁がありますように。

 

アドビのフォントサービス Typekit が Adobe Fonts にリニューアル

アドビといえば、Photoshopなどのデザイナー、クリエーター向けアプリ・サービスで有名です。

そんな Adobe CreativeCloud 会員向けに、これまでTypekitというフォントサービスが提供されていました。

そのTypekitが2018年10月15日にリニューアルされ、Adobe Fonts という名前に生まれ変わったそうです。

Adobe Fonts

Adobe Fonts partners with the world’s leading type foundries to bring thousands of beautiful fonts to designers every day. No need to worry about licensing, and you can use fonts from Adobe Fonts on the web or in desktop applications.

これまでにあった使用フォント数の制限などがなくなり、Creative Cloud のすべてのプランで、提供されるすべてのフォントが使い放題になるそうです。

わたしはCreative Cloud を契約していないのですが、IDを取得することでCreative Cloud無償版プランに加入することができ、この状態でも一部のフォントは使うことができるようです。

モリサワやフォントワークスといった大手のフォントメーカーのフォントに加え、アドビ自体が開発するフォントも多数搭載されています。

中でも注目なのは、2017年にリリースされた貂明朝(てんみんちょう)です。

「貂明朝」は日本語フォントの新たな領域へ

(この記事中の貂の写真はすべて Adobe Stock で見つけることができます) この記事の目的は、 Typekit から提供される「 貂明朝」(Ten Mincho) の書体とフォント開発について技術的詳細を説明することにあります。貂明朝は、これまでどんな日本語フォントも到達しなかった領域に足を踏み入れました。貂明朝の書体デザインについての詳細については、Typekit Blog 上の 公式アナウンスメント ( 英語) の方をご覧ください。この長文の技術的な記事よりも、そちらの方に興味を持たれるかもしれません。公式アナウンスメントに述べられているように、この新しい Adobe Originals の和文書体にはユニークな特長が数多くあります。そのため、日本や各国の書体メーカー、タイプデザイナーの方々はこの書体からインスピレーションを受けられることでしょう。 貂明朝は 9,117 グリフを含み、RegularとItalicの二つの書体を提供していますが、特殊用途用の Adobe-Identity-0 ROS (Registry、Ordering 及び Supplement) に基づく CID-keyed OpenType/CFF フォントの一つでもあります。現在では特殊用途用の ROS に基づくオープンソースのフォントは多数存在し、そのほとんどが GitHub から入手可能ですが、その ROS を用いるアドビの二番目の書体が貂明朝です。 かづらき が最初のフォントでした。 オープンソースの 源ノ角ゴシック (Source Han Sans) と 源ノ明朝 (Source Han Serif) という二つの

貂というイタチ科の動物や鳥獣戯画をモチーフに、これまでにない「かわいい明朝体」というジャンルを切り開いています。

こちらのページで試し打ちができるのですが、ゆきだるまなどの絵文字を入力すると、かわいい貂の絵文字に変身するという、さりげない作り込みが素敵です。(スマートフォンから開いた場合、☃のようにカラー絵文字で入力すると変換されないようです)

貂明朝を表紙に使った本も見つけました。「い」や「こ」の筆がつながっている形は伝統的な明朝体によく見られるのですが、まるっとしてかわいらしいです。

日本の明朝体を読みなおす – 月刊MdN 2017年10月号特集:絶対フォント感を身につける。[明朝体編]

すっかり季節も秋めいてきました。

昨年(2016年)の記事 読書の秋、フォントの秋。文字を特集した雑誌を読みくらべ で紹介した雑誌「月刊MdN」では、今年もフォントの特集が組まれています。

 

今回は「絶対フォント感を身につける。[明朝体編]」。

日本語フォントの中でも基本と言える明朝体だけに、骨格が似通っていて、なかなか見分けることはむずかしい。

けれど、今でも毎年、いくつもの明朝体フォントがこの世の中に生み出されています。

ということは、それぞれにコンセプトがあり、それを主張できるだけの、ほかのフォントにはない違いがあるということです。

 

本書では、明朝体を歴史的な観点から「レトロ系」「ベーシック系」「アップデート系」の三つにざっくりと分類した上で、それぞれのフォントの特徴と見分け方を解説していきます。

レトロ系とは、かつての金属活字の時代に使われていたフォント、あるいはその影響を強く受けたフォントとしています。

その二大巨頭が築地体秀英体。

活字で組まれた古い本をめくれば、今からすると文字組も小さくでちょっと読みにくい、けれどやっぱり、その時代ならではの味わいがあります。

 

アップデート系は逆に、現在主流の、横書きやディスプレイ上でも見やすいように新しくデザインされたフォントたち。

MacやiPhone、iPadなどアップル製品に標準搭載されているヒラギノ明朝体をはじめとして、今も多くのフォントが生まれています。

 

この中間にあるのが、ベーシック系。モリサワのリュウミンなど、安定感のあるオーソドックスな明朝体です。今回の記事も本文にリュウミンを使用しています。

筑紫明朝もベーシック系に入れられていますが、そのバリエーションである筑紫Aオールド明朝や最近リリースされた筑紫Q明朝などはレトロ系に分類されています。

わたしの場合、筑紫シリーズを目にしたら、レトロ系とかベーシック系とか考える前に一瞬で絶対フォント感が発動するくらい、大好きなフォントです。

ぜひ、この本で、あなたもお気に入りの明朝体を見つけてみてください。

 

たとえば秋の観光シーズン。

まちなかや旅行先で修学旅行生たちとすれ違ったとしましょう。

彼ら、彼女らはみんな同じ制服を着ていて、大人の目からは見分けがつきません。

けれど、その子たち自身は、何ヶ月も、何年も同じ時間を共有していて、お互いの個性もわかっている。

仲良しの関係もいたり、ひっそりと想いを寄せる相手もいたり。

 

フォントも同じことです。

みんなちがって、みんないい。

 

この世に同じ人間がいないように、同じ明朝体はひとつとしてないのです。