寅年に「組織のネコ」を目指して生きよう

まずは、タイトルがとても気になりました。

表紙のイラストでほとんど内容が説明されているので、いつもより画像を大きくしました。

会社などの組織における働き方を、ネコ目の動物にたとえて4タイプに分類しています。


横軸は組織の中央志向か、組織よりは自分の意志を重視するか。
縦軸は組織の中で大きなパフォーマンスを発揮しているかどうか。

  • 右上が群れを統率するライオン。社長や役員といった、まさに王道をゆく立場です。
  • 左下のイヌは、そんな組織にとことん忠実、ルールに従って動きます。
  • 対して、ネコはそこまでルールに縛られず、出世などにも興味がない。
  • そんなネコにとって、あこがれの存在がトラ
    変わり者と思われがちで組織の中央からは外れているれど、自分の使命を追求し、めざましい成果を上げている。

ある程度長く組織にいると、理想の働き方は何かとか、将来のキャリアを考える場面が増えてきます。

イヌ的な働き方や、ライオンという頂点を目指すだけでなく、右側の道もあるよ、とあらためて気づかされます。

ネコ派になるかイヌ派になるかは個人の特性によるとすれば、両者は確率的にほぼ半々になるはずです。

でも、かつての高度成長期はイヌとして働くほうが効率がよかったせいか、イヌの皮をかぶったネコ=「隠れネコ」がそれなりの数いて、組織といえば〈イヌ派=多数派〉という図式ができあがっているようです。

平成の終わりから令和にかけて続くネコブームは、その反動でしょうか。

ただ、本を読むまでわたしも勘違いしていたことがあります。
ネコというと自由気ままのイメージですが、「組織のネコ」は、わがまま放題というわけにはいきません。
そうではなく、あくまで自分にとって意味のある仕事か? という〈自らに由る〉価値観で判断するのが「組織のネコ」という意味だそう。

そして、ネコ派が成長・進化することで、その人だけの強みを活かした「組織のトラ」という働き方を手に入れることができる、というのが、本書の真のメッセージです。

個人的に振り返れば、会社の中外で明らかな「組織のトラ」を目の当たりにすると、あこがれとともに圧倒されてしまい、とてもこうはなれない、と思ってしまうことが多くありました。
フリーランス、転職、独立だってつらすぎる。

それは、ひょっとしたら「隠れネコ」という働き方でも、それなりに評価されてしまっているせいかもしれません。

価値観はネコ的なのに、イヌ的な働きもやればできる、できてしまう。
ただ、ずっとそれだと疲れてしまう、というのも確かです。

5年ほど前に書いた、自分の資質を知り、強みを活かす – ストレングスファインダー という記事を読み返してみました。

ひとつの強みにフォーカスすると成果は出せるけれど、実はあまりやりたくない仕事ばかり回ってきてしまう、ということもあります。

「慎重さ」や「分析思考」から計画を立てたりルールを作るのは得意だけれど、ワクワクする体験にめぐりあえない、本当に価値の高い仕事ができているのか不安になる。

だからこそ、組織の中にいても組織の使命を絶対視するのではなく、自分に忠実に生きる「組織のネコ」を、まずは目指してみましょう。

そして、ずっとネコでいられるならいいけれど、組織の中に理解者がいないと、またイヌ的な働き方に組み込まれてしまうかもしれません。
いつの間にか、まるで向いていないのにライオン的なキャリアアップのレールを敷かれてしまう、なんてことも。

そうならないように、いざというとき身を守れる蓄えも大事でしょう。

自分の強みは、そのためにこそ発揮するのです。

成果主義も、成長も否定せず、「組織のトラ」として生きる道もある。
さらにトラを極めると「寅さん」になる、とも本書には書かれています。
わたしが思うに、トラを極めるだけでなく、小さなネコのまま、きらりと光る爪をとぐ、という生き方もあるかもしれません。

ヒトもネコも千差万別、自分だけの生き方を見つけましょう。

他人の気持ちを察しすぎてしまうときの、「受けとめて棚にあげる」考え方

このブログ「凪の渡し場」では、内向型、HSPといった人に特徴的な考え方、生き方について取り上げてきました。

ささいな変化に敏感だからこそ、いろいろなことに気づき、深く考えることができます。

けれど、その特質によって、他人とのかかわりで苦労することもあります。

攻撃的な物言いや相手のネガティブな感情を察しすぎて気が滅入ってしまったり、どう対処すればいいかわからなくなったり。

また結果として、相手の気持ちを察して行動したつもりでも理解されずに、報われない思いにとらわれることもあります。

 

細川貂々さんの「生きづらいでしたか?」という本では、生きづらさを感じていたご本人の体験と、そのような人々を支援する〈当事者研究〉という活動が紹介されています。

本を読んで印象的だったのは、貂々さんが自身のネガティブを「大事にしてくださいね」と言われるところです。

誰もがそれぞれの生きづらさをかかえていて、そのネガティブをいったん受けとめることも必要なのです。

それも含めて、自分なのだから。

 

けれど、自分だけでなく、他人のネガティブな感情まで引き受けてしまうことには注意が必要です。

根本裕幸さんの「人のために頑張りすぎて疲れたときに読む本」では、あえて「わたしとあの人は違うから」という言葉を使ってみることを薦めています。

「わたしはわたし、○○さんは○○さん」

そう口癖のように唱えることで、ついつい察しすぎてしまう相手の気持ちと自分の気持ちを分離して、棚上げすることができます。

 

棚上げというのは、けっして悪い意味のことばではありません。

列車や飛行機の中で、大勢の人がいる中、たくさんの荷物をかかえていては、自分の行動もにぶくなってしまうし、まわりの人に迷惑をかけることにもなります。

大事なもの以外は棚にあげることが、自分のためにも、相手のためにもなると考えましょう。

 

気持ちをいったんうけとめて、棚にあげる。

 

そうすることで、心も軽くなり、余裕が生まれます。

 

 

考えすぎる人生への処方箋 – 思わず考えちゃう

日々の生活のなかで、さまざまなことが気になったり、心配事をかかえてしまうことがよくあります。

他人から、考えすぎだと言われることもしばしば。

だからといって、考えないでいられる生き方に憧れながら、どうして自分はそうではないのかと、また考えこんでしまう。

そんな、考えすぎる人生を送る人々にとって、大いに共感を呼ぶであろう本がこちら。

著者のヨシタケシンスケさんは、かわいくてユニークな切り口の絵本、イラストなどで活躍されています。

この本は、ヨシタケさんが日常の中で思わず考えてしまった一コマを、その際に描きとめたスケッチとともに語るエッセイです。

 

トイレから出るとき、ドアノブの中で一番きたなくない部分はどこだろう。

ストローを取り出した後の紙袋を、きれいにちっちゃくたたみたい。

 

些細だけれど、わたしも幾度となく考えてしまったことがつぎつぎと登場します。

と同時に、ヨシタケさんの奥様はそういうのが気にならない方らしく、くしゃくしゃになったままのストローの袋を見て、さらに考えてしまう。この言葉は救いですらあります。

ところが、全くそれが気にならない人が世の中にはいて、そういう人と結婚まで出来るっていう、そういう人生の奥深さに、改めて感動したりします。

ヨシタケシンスケ「思わず考えちゃう」(新潮社)p.45

 

後半は、仕事であったり、人生であったり、考えすぎてしまうからこそかかえてしまう悩みが赤裸々に語られます。

でも、そんな悩みも、考えすぎも、いつかきっと何かの役に立つ。

そんな信念のようなものに貫かれていることが、読みすすめるとはっきりわかります。

 

この本を読むと、「安心して不安を感じていいんだ」と(ふしぎな言い方ですが)思えます。

そんなことを考えながら、今日という一日を終え、きっと明日を生きていくのです。

 

 

感情をベースにする、自分視点のふりかえり

早いもので、今年(2018年)もあとわずかです。

年始に立てた目標や、やりたいことリスト(ウィッシュリスト)を見直して、どれくらい達成できたかふりかえる人も多いでしょう。

ちなみにわたしは、2018年の100個のやりたいことリストのうち、残念ながら1/4程度しか実現できませんでした。

けれど、目標というのは時として、「どれだけ実現できたか」よりも、実現したことで「どれだけ嬉しかったか」のほうが大切なことがあります。

文字通り、達成度よりも達成感です。

 

リストを見返すことで、ひとつひとつ達成したときの楽しかった気持ち、あるいは実現できず悔しかった想いがよみがえってきます。

その過程もまた、次のやりたいことを実現するための足がかりになります。

(やりたいことリストを作ったことがない人は、ぜひ来年は作ってみることをおすすめします)

 

さて、ここでもうひとつ、気をつけたいことがあります。

それは、自分では達成できた、楽しかったと思っていても、別の人から見たら違うかもしれないことです。

 

たとえば自分では読んで面白かったと思った本、観て面白かったと思う映画でも、他人の「つまらなかった」という感想を耳にすると、それに引きずられてしまうように。

たとえばイベントに参加していても、まわりに退屈そうにしている人がいると気になって楽しめなくなってしまうように。

 

もちろん客観的な視点を得るのは大事なことで、仕事や学校など、社会的にはそれが評価基準になることも多々あります。

 

けれど、自分の立てた目標のふりかえりをするときには、自分視点を大切にしてほしいのです。

 

自分の人生が楽しかったかそうでないか、本当に評価できるのは自分しかいないから。

誰にとっても生の時間は有限で、他人の人生を生きる暇はありません。

 

今年も「凪の渡し場」にお越しいただきありがとうございます。

まだ年内に二、三回更新するのを目標とはしていますが(笑)、少し早めのご挨拶です。

よいお年を。

捨てられない人のための取捨選択と集中

一ヶ月ぶりの更新となりました。

ブログの更新頻度が落ちたのは、わたしの環境の変化も関係しているかもしれません。

 

ここのところ、ありがたいことに、いろいろな縁で、いろいろなことに関わらせてもらっています。

新しいことをはじめるには、その分、いままでやってきた何かを犠牲にしなければいけない部分も出てきます。

また、せっかく何かに誘われても、どうしても余裕がなくて辞退してしまうこともあります。

もう少し自分に時間と体力があったら、もっといろいろなことができるのに…と思いながら、取捨選択をしていかなければなりません。

 

取捨選択、これがとても悩ましい。

 

「取」は「拾」と読み替えることもできます。

拾と捨、よく似た漢字で意味は正反対ですが、【拾】は「一つ拾う」、【捨】は「土に捨てる」という覚えかたをしました。

その印象からか、「拾」は一度に一つだけしか選ぶことができないという思いがあります。

あれもこれもと思っても、あれかこれか、どちらかしか選べない。

 

対するに、「捨」は一気に捨ててしまうことができます。

「土」は「十一」に分解できて、両手にあまるものを一度に手放してしまうイメージがあります。

子供のころ、お気に入りだったおもちゃや本を捨てられて、あるいはなくしてしまって、ショックを受けた思い出は、いまでも忘れられません。

その記憶もあって、捨てること、捨てられることに対する恐怖感があるのかもしれません。

 

捨てることに抵抗を感じるのであれば、視点を変えてみましょう。

土に捨てるのではなく、土に埋めると考えたら、どうでしょうか。

埋めたものは、目の前からは見えなくなって、選んだものに集中することができます。

けれど、それはけっして捨てたわけではなく、豊かな土壌をはぐくむ肥やしとなるのです。

あるいはそれが種となって、やがて芽を出し、花を咲かせるかもしれません。

そう、この世の中のすべては伏線でつながっていて、無駄なことなど何ひとつとしてないのですから。

 

いまはちょっとだけ手放したとしても、思いがけない形で手元に帰ってくるかもしれない。

そう考えれば、選択することがすこしだけ楽になります。