日本の夏といえば怪談、お化け、幽霊。
怪談といえば怖い話、というイメージの人もいるかもしれません。
個人的には、それだけでなく、ちょっと切なかったり、お化けに対してもいとおしさを感じてしまう話が好きです。
なぜ人はそうした話に惹かれてしまうのか。それを解き明かそうとするのが、荒俣宏さんのこちらの著書です。
それにしても、タイトルに使われている筑紫Cオールド明朝のなまめかしさが素晴らしい。
その明朝体が、中国大陸の明の時代に使われていた文字をもとにしているように、日本で語り継がれてきた怪談も、明朝末期の小説がもとになっているといいます。
その代表と言える「牡丹灯籠」は、この世のものではない女性を見初めた男性の悲運を描いたもの。
この物語は、形を変え、江戸時代の「雨月物語」、そして明治の三遊亭圓朝による落語などに発展していきます。
中国でも日本でも、そして遠くヨーロッパでも、死者との結ばれない恋を描く物語は数知れずあります。
戦争であったり、社会情勢であったり、さまざまな理由から、現世で報われない、辛い思いをしている人はどうしても存在してしまう。
そうした人のままならない思いを、すこしでも救おうとするために、物語は生まれる。
それは怪談であったり、ファンタジー、ミステリーとよばれるものであったり。
現実にはありえない物語だからこそ、人はそこに救いを見出すのかもしれません。
それは人の弱い部分であっても、けっして現実逃避ではないとわたしは思うのです。
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