人生にとって、文学(ものがたり)の効用とは何でしょうか。
その答えは人それぞれでしょうが、わたしにとっては「世界をひろげてくれるもの」というのがその答えです。
現実世界ではありえない冒険も、実験も、思索も、物語の世界なら体験できる。
そんな文学の楽しさをわたしに教えてくれたのが筒井康隆という作家です。
SF作家としてデビューしながら、ジュブナイル、純文学とさまざまなジャンルで半世紀以上にわたって活躍を続ける、その作風の広さは驚異的です。
そんな筒井さんの創作活動を、余すところなく解説したのが、こちらの本。
巻末の「主要参考文献一覧」にずらりと並ぶ、筒井さんの著者名と作品名に酩酊をおぼえます。
そして、あらためて感じるのは、これだけの作品数の多さにもかかわらず、シリーズものや、同一キャラクターを主人公とした作品が極端に少ないことです。
数少ない例外が、他人の心が読める超能力を持った少女、火田七瀬がヒロインとなった「七瀬三部作」でしょう。
しかしこれも、本書で解説されているとおり、その作風はバラバラです。
第一作の「家族八景」は家政婦としてはたらく七瀬が垣間見る家族の姿を描いた短編集。
第二作「七瀬ふたたび」は長篇と趣向を変え、七瀬と同じような能力者が集まって敵対勢力と戦うサスペンス。この二作は何度もドラマ化をされています。
と思ったら、第三作「エディプスの恋人」は突然、人間の内面世界を描いた幻想的な作品になり、映像化不可能と思えるような小説ならではの試みがなされます。
多大な人気を博した『七瀬ふたたび』の続編を、前作と同じスタイルで書き進めることだって出来たでしょうし、それはそれで絶大な支持を得られたはずです。しかし筒井康隆はそうはしなかった。ここには「自分の反復をしない」という筒井康隆が自分に課したルールが強く働いています。結果として「七瀬三部作」は小説史上、非常に希有なシリーズとなったのです。
(佐々木敦「筒井康隆入門」星海社新書、pp.94-95)
とにかく、筒井康隆という作家は同じことをしない。
それでいて、夢だとか文学賞だとか、似たようなモチーフが時間をおいてくり返しさまざまな作品に登場してきます。
まるで、作者の中心をコンパスで円を描くように、しかもそれが完全な同心円ではなく、少しずつ摂動して揺れ動いていくように。
(余談ですが、筒井康隆とコンパスといえば名作「虚航船団」を思い出さずにはいられません)
もっとも有名な筒井康隆作品といえば「時をかける少女」でしょうが、これすら、作者みずからの手によるシリーズ化はされていないのです。
それでも、筒井作品を愛する人の手によって、映画化されたり、アニメ化されたりして、それは文字通り時を超えて生まれ変わります。
これほどまでに多様な筒井康隆作品に影響を受けて、作家となった人も多く生まれます。
あたかも短編「バブリング創世記」のごとく、筒井康隆はツツイストを生み、ツツイストは新たな作家を生み、そしてこの記事のような文章を生み、筒井康隆をめぐる無数の文章が、世界が自己増殖していく。
そうして、昨日より少しひろくなった世界を、私たちは生きていくことができるのです。
No Comments