8月にはじまった、三年に一度のアートの祭典、あいちトリエンナーレ。
三回目となる今回も、ついに先週、10月23日にフィナーレを迎えました。
当日は長者町ゑびす祭りが同時開催されており、そちらにも足を運びました。
六年前、第一回のあいちトリエンナーレ2010から会場となっている長者町繊維街は、トリエンナーレで大きく変わった街だといいます。
こちらは六年前の画像。偶然にも、ほぼ同じ場所を、今年も撮っていました。
手前の駐車場では、トリエンナーレ連携事業として、JIA愛知(日本建築家協会東海支部 愛知地域会)による建築家フェスティバルが行われていました。
街や建築への想いを、短冊にして飾るというブース。
ちょっと関係ない短冊もある気がしますが、それはそれで。
にぎわいのある街には、人が集まる。そして、少しずつ古いものが形を変え、何か新しいことがはじまる。
木材を利用したウッドデッキやベンチを街中に配置した、都市の木質化プロジェクト。
堀田商事のルアンルパさんによるルル学校(N-57)も祝卒業の幕が掲げられていました。
祭りといえば山車。八木兵錦6号館で展示されていた白川昌生さんの銀のシャチホコ(N-61)も、山車として表舞台へ。
アートと屋台が同居する、長者町ゑびす祭り。こちらはロゴがかわいくて思わず足を止めてしまった、いなよしのからあげ。からあげも、とても美味でした。
そして、栄会場の中央広小路ビル、大愛知なるへそ新聞社へ。
人々の記憶を取材し、まちの建物が建てかわるように、少しずつ記事が変化していく「記憶の地図」。
そのコンセプトに惹かれて、トリエンナーレ開催前、長者町の学書ビルでの活動当初から参加させてもらいました。
初回の取材は、都市の木質化プロジェクトやルル学校にも関わっておられる、滝一株式会社の滝さんでした。わたしが書いた記事ではないですが 、なるへそ新聞の0号に掲載されています。
わたし自身での取材はなかなかできなかったのが心残りですが、記事を手書きにしたり、題字を書いたりと、記者として楽しい時間を過ごさせてもらいました。
こっそり空き地に置いておいたパイロンが、まさか最終号まで残ることになるとは。
そう、この日に発行された17号をもって、大愛知なるへそ新聞も完了。
最後に編集長から直々に落款を押してもらいます。
山田亘編集長、村田仁副編集長、そして編集部記者、記事連載陣の方々(港千尋芸術監督も!)、取材を受けていただいた方々、来場者の方々。
トリエンナーレがなければ、出会うことがなかったかもしれません。
ここで、さまざまな縁がつながり、交流をもつことになった、すべてのみなさまに感謝を。
19時をまわり、「虹のキャラバンサライ」を掲げたあいちトリエンナーレ2016の旅は、ここが終着点。
20世紀をイメージしたこの編集部も、文字通り記憶へと変わっていきます。
けれど、終わりは新しい始まり。
街と人は、少しずつ変わりながら、生きているかぎり歩みを止めることはありません。
三年後、あいちトリエンナーレ2019は、どのような形で迎えることになるのでしょうか。
そのときを楽しみにしつつ、ここからまた、新しい旅がはじまります。
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