赤瀬川原平さんの生涯最大のベストセラーとなった著作に「老人力」があります。
さて問題は、このタイトルです。
老人力とは、路上観察学会で生まれた(発見された)ことば。
物忘れがひどくなったり、ものの名前がとっさに出てこなくなった赤瀬川さんに対して、歳をとったというかわりに「老人力がついてきた」という言われ方をしたのがはじまりだそうです。
つまり、赤瀬川さんらしく、普通はネガティブにとらえられるものに着目して、そのマイナスのパワー、つかみどころのない視点を楽しむのが本来の用法でした。
ところが、時は20世紀末。
この端的なことばをタイトルとして雑誌連載がはじまり、一冊の本として世に出たとたん、老人力というのを「まだまだ若い者には負けない」という、最初からポジティブなイメージで誤解する人が続出。
それもあってか、またたく間に流行語、ベストセラーとなりました。
わたし自身、当時は赤瀬川原平さんの名前も意識していなかったこともあり、タイトルだけで「自分には関係のない本」と判断してしまっていました。
本来の意味を知ったのは、ずっと後のこと。
けれど、同じようなことは、いまだって、誰にだってあるでしょう。
本屋さんの棚に並んだ本のタイトルだけをちらっと見て、内容を誤解したり。
SNSに流れてきたニュースやブログ記事のタイトルだけで、本文も読まずに善し悪しを判断してしまったり。
それは、人が文章を読むとき、その書き手の想いをそのまま受け取るのではなく、実は自分自身の経験、価値観と照らし合わせて読んでしまっているから。
ピエール・バイヤールの「読んでいない本について堂々と語る方法」では、読者それぞれに、もともとの本とは異なる「内なる書物」が生まれると表現されています。
つまり、赤瀬川原平の「老人力」という一冊の本を取り巻き、読んだ人、果ては読んでいない人それぞれに、異なる視点の「老人力」という本があることになります。
ここまで考えると、もともとの「老人力」という言葉の持っていたつかみどころのなさにつながってくるような気もします。
けれど、あるいはそれも、赤瀬川さんの想定した世界かもしれません。
蟹缶を裏表さかさまにして再封し、全宇宙を蟹缶の中に閉じ込めた「宇宙の缶詰」という作品のように。
タイトルだけで語られる本の外側も、裏返せば、本の内容のひとつなのです。
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