先日、人生において、いつかはやりたいと思っていたことのひとつを達成しました。
それ自体は、今のところ「凪の渡し場」とは直接関係はないので、詳しくは触れません。
ただ、わたしの中で、やってみたいけれどハードルが高いと思っていたことなので、同じようにやりたいことのハードルを越えたいと思っている人に向けて、お話してみようと思います。
そう、問題はこの「ハードル」ということば。
こどものころから運動神経が良いほうではなく、とくにハードル競走や跳び箱といった、文字通り目の前に障害物が立ちふさがっているような競技が苦手でした。
よく、心理的な抵抗をなくすために「ハードルを下げる」という言い方をしますが、高かろうと低かろうと、そもそも立体的なハードルがある時点で、飛べる気がしないのです。
そこで、視点を変えてみます。
目の前にあるものを、ハードルではなく、伏線だと考えてみるのです。
何度も書いているように、わたしは人生を伏線の張りめぐらされた物語だととらえています。
伏「線」とは言いながら、それは一方向に伸びるものではなく、網目のように面として広がったものというイメージです。
ただ、いずれにしても、それは立体的な高さのあるものではありません。
障害物競走で言えば、ハードルよりも、網の中に潜り込むもののほうが、それほど抵抗を感じずに飛び込むことができます。
網をたぐっていけば、いつかはゴールにたどり着くのだから。
あるいは、自分がいる現地点を基準にして、まわりに無数の伏線がひろがっていると想像してみてもいいでしょう。
ひろがった網を、目をこらして一本一本たどっていけば、過去の意外な伏線を見つけることができます。
大きな目標であったとしても、過去からの伏線がたくさんつながった結果として達成することができる。
それを楽しみに、小さな伏線をたくさん作り出していくほうが、一度に高いハードルを越えようとするよりも、気が楽になります。
そう。
伏線は過去だけではなく、未来にもひろがっているもの。
最初に、今回達成したことは「今のところ」凪の渡し場とは関係ないと言いました。
実はこの表現自体、この記事のなかですぐ回収される伏線だったのです(笑)。
今回のことは過去のさまざまな伏線がつながり、実生活で関わりのある多くの方の協力で実現することができました。
そして、この経験から、今後「凪の渡し場」のテーマと結びつける形で同じようなことをやるにはどうすれば良いか、ということを今まさに考えています。
まだ具体的に話すことはできないので、何を言っているのか伝わらないであろうことが申し訳なく思いつつ。
いつか未来に、あの日のことは、このことの伏線だったのか、と思ってもらえる日が来ることを願います。