こちらの記事は、文月詩乃さん @traveling_shino の主宰する「乙女の作戦会議室」の趣旨に賛同し書かれたものです。
今回のテーマは「こんなデートはアリorナシ」。
前回、デートの定義として「ふたりがそれをデートだと思っていればデートである」ということをお話しました。
ちなみに、わたしは「デート不遡及原則」を採用しています。
簡単に言うと、相手がデートだと思っているかわからない状態は、あくまで前史であって、晴れてお互いの気持ちが判明した時点から、その前にさかのぼってデートだとは認定しないということです。
この原則に従えば、デートとは基本的に、ふたりの気持ちが同じ方向を向いている状態からのスタートとなります。
だからこそ、お互いが好きなこと、共通項をさぐるプロセスとしてのデートの重要性が浮かび上がります。
趣味、好きな場所、食べ物、価値観…。
どこかしら共通点があるからこそ、ふたりはデートをするという関係性に発展したことでしょう。
そんなふうに同じ場所で、同じ感覚を過ごす時間は、かけがえのないもの。
けれど、どれだけ近くにいて、同じものを見ているようでも、まったく同じ視点に立つことはできないのです。
- ひとりひとりの「視点」のちがいを考える
だからこそ、デートでは、あえてお互いの違いを感じられる体験をしてみたいと思うのです。
たとえば、相手が好きそうだな、と自分が予想するところ(もの)を提案して、相手の反応を見ることで、その予想が正しかったかどうかがわかります。
あるいは、自分は好きだけれど、相手はどうだろう? あまり興味がないのでは? ということでも、一度は誘ってみれば、あんがい楽しんでくれるかもしれません。
歩き慣れた路も。
見慣れたまちも。
一人ではなく、二人で歩けば、また違った景色が見えてきます。
もちろん、その逆もアリ。
わたしの場合、慎重派なこともあり、ひとりではやらないようなことも、ふたりでならやれるかも、やってみたい、ということがあります。
だから、わたしにとって「ナシ」と思えるようなことでも、相手が「アリ」だと思っていれば「アリ」なのです。
振り子のように。
ブランコのように。
相手の気持ちに寄り添ったり、自分の気持ちに引き寄せたりして、行ったり来たり。
そうして、少しずつその振り幅が小さくなって、ふたりの気持ちがひとつになれたら、それはなんて素敵なこと。
もちろん、振り幅が大きすぎて、やはり一緒にはいられない、という結論が出てしまうかもしれないけれど。
そんな最終的な「ナシ」が確定してしまうまでは、ゆるゆると揺られていたいと思うのです。