自分のことを好きになれない、すべての人へ – 私とは何か 「個人」から「分人」へ

あなたは、自分のことが好きですか?

 

よりよく生きるためには、自分自身をあまり否定してはいけない、自己肯定感を大切にしなければいけない、と言われます。

そうは言っても、どうしても積極的に自分のことを好きになれない、という人はいるでしょう。

そんな人も、この本を読んでみれば、その考え方がすこしだけ変わるかもしれません。

 

著者は、芥川賞受賞作家の平野啓一郎さん。

小説のなかで提言された「分人主義」の考え方を、新書としてまとめたのがこの本です。

日本語の「個人」というのは英語の Individual を訳したもので、その語源は「in + divisual」=分けられない。

人はひとりひとり独立していて分けられない、という西洋のキリスト教的価値観を背景にした考え方です。

平野さんはそれに異議を唱え、自分の人格というものは対人関係の中でいくつにも分かれる、分けられる「分人divisual)」であると主張します。

 

職場における、上司に対する自分。部下に対する自分。

先輩や後輩に対する自分。

趣味友達に対する自分。

 

それぞれ違う顔を見せる自分がいて、どれが本当の自分だということはないのだと。

 

これを読んで、こどものころ教師から「裏表のない人間になりなさい」と言われたときにおぼえた違和感の正体が見えた気がします。

裏表のない人間というのは、誰に対しても同じように接するということであって、それは自分の主張を曲げない頑迷さと紙一重。

紙にだって裏も表もあるのに、人間にないわけがありません。

 

分人というのはリアルな人間関係だけでなく、本を読んだり、インターネットやSNSといったバーチャルな交流のなかでもあらわれます。

この記事の冒頭もそうですが、「凪の渡し場」で、わたしはよく読者に向かって問いかけをします。

それは本を読んでいるときにあらわれる、わたしの分人の態度をそのまま再現していると言えます。

自問自答しながら読み進めることで、自分の中になかった新しい視点を獲得する。そんな視点を誰かに伝えたいと思っているのが「凪の渡し場」にいる和泉みずほという分人なのです。

 

そんな分人は、リアルのわたしを知る人からは意外だと言われることもあります。

けれど、それはどちらかが素の自分だということではなく、単に複数の分人がいるだけのこと。

そう考えると、人間関係はずいぶん楽になります。

 

たとえばわたしは昔の知人に逢うのが苦手だったりするのですが、それは過去の知人に対する分人を思い出すのが嫌なのであって、それで今の自分を嫌いになる必要はないのです。

あるいは、初対面の人と話すのが苦手なのも、どんな「分人」を見せていいかわからないせいだったり。

そうやって、自分のことが好きになれない理由を分けて考えていくことで、辛さも半減していきます。

 

不幸な分人を抱え込んでいる時には、一種のリセット願望が芽生えてくる。しかし、この時にこそ、私たちは慎重に、消してしまいたい、生きるのを止めたいのは、複数ある分人の中の一つの不幸な分人だと、意識しなければならない。

(第3章「自分と他社を見つめ直す」より引用)

 

誰にだって、嫌いな分人ばかりではなく、好きな分人もいるはずです。

 

あの人と一緒にいるときの自分なら、好きになれる。

こういう場にいるときの自分は、とても居心地がいい。

 

そうやって、自分の一部でも好きになることが、自分を大切にして生きることにつながっていきます。