本というのは、とてもふしぎな存在です。
世界の一部を切り取ったかのような紙面に、あるいはディスプレイに、端正に並べられた文字列。
ひとたびその文字の海に目を向ければ、どこにいても、だれといても、まったく違う世界へと漕ぎ出すことができるのです。
そんなことをあらためて思ったのは、こちらの本を読んだからでした。
クラフト・エヴィング商會の一員として、この世のどこにもないような本を作り続ける吉田篤弘さんが語るおはなし。
この本は、装画を担当したフジモトマサルさんのイラストが先にあって、そこから連想される物語を吉田さんが文章にするというかたちで作られたといいます。
あとがきにいわく、挿絵ならぬ「挿文」。
じっさいに、本を開けば、挿絵以上の存在感をもってフジモトさんの絵が目に飛び込んできます。
どのイラストにも、黒猫、ペンギン、シロクマなどの擬人化された動物が本を読んでいる姿が描かれています。
あるいは電車の中で。駅のホームで。
図書館の片隅で。入院先のベッドで。おふろの中で。
読書というのは、本質的に孤独なものです。
もちろん、絵本の「よみきかせ」や朗読といった形態もありますが、ここに描かれているのは、黙読としての本を読むひとびとの姿です。
絵本を読む子供(の動物)が描かれるシーンでも、かれらはそれぞれ背中合わせになって別々の本を読んでいるので、おそらくフジモトさんの意図がそこにあると見ていいでしょう。
静かに本を読む瞬間、わたしたちはいっとき現実世界から離れて、ひとりの時間を手に入れます。
けれど、それは同時に、他人の存在を意識するものでもあります。
まさに吉田さんがフジモトさんの絵を意識して物語を組み上げたように。
読者も、その文章を通して、作者の存在を物語の向こうに垣間見ます。
あるいは、誰かからおすすめされた本であれば、その人のことを想ってページをめくることもあるでしょう。
逆に、物語を読みすすめるうちに、これはあの人が好きそうな本だ、と誰かのことが頭に浮かんだり。
本を読み終えた後で、他人に感想を話したり、他人の意見を聞いてみたいと思うことも。
あるいは、この読書体験は、自分ひとりだけのものにしたいと思うことも。
一冊の本を通して、他人を感じることで、世界は無限にひろがっていきます。
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