名古屋市千種区。
JR中央本線・地下鉄東山線千種駅の近くに、ちくさ正文館という本屋がありました。
ありましたーーそう過去形で書かないといけないことが、とても悲しい。
「名古屋といえば、人文書といえば」と、多くの雑誌や本で語られた、伝説的な、でも至って普通の「まちの本屋さん」。
このブログ〈凪の渡し場〉でも、営業中だったちくさ正文館について書いた小さな記事は、長らくアクセス数の上位にありました。
もちろん私自身、一時期は毎月、あるいは毎週のように、この本屋に通いました。
どんなスパンで行っても、常に棚は更新され、他の本屋では見かけないような本との新鮮な出会いがありました。
そんなちくさ正文館も、2023年に閉店し。
名店長として知られた古田一晴さんも、2024年に他界されました。
半世紀あっという間と言い残し空いたレジには南のひかり
(和泉みずほ)
先日開かれた、古田さんを偲ぶ歌会イベント〈短歌一武道会〉で提出した短歌です。
閉店の直前には売り場が縮小されてしまいましたが、長らく、店の北側は比較的一般的な雑誌や書籍が並ぶのに対し、南側は〈古田棚〉とも呼ばれる独特の品揃えが特徴的でした。
人文書が有名でしたが、個人的には入口近くの大判書が並ぶ小さなコーナーが見どころ。
あの南側の棚を、何十分も眺めていられた休日のひととき。
知り合いを誘って行った特別な日。
そんな時間は、もう二度と戻ってきません。
店があった場所は更地になっていると聞きますが、少し怖くて、まだ見に行くことができません。
きっと、本屋であればそこで出会えたはずの本や人と、もう出会えないことへの喪失感に、耐えられないでしょうから。
形のあるものはいつか失われ、万物は流転します。
そんな無常を受けとめつつ、どこかで受け入れられない人々が、本や文字というものを発明したのかもしれません。
短歌一武道会には、書店員としてだけではない古田さんのさまざまな顔を知る方が集まり、それぞれの思い出が話られ、また歌にされていました。
言葉にすることで、なくなったものは少しだけ長く、この世にとどまります。
それは、単なる懐古ではなく、過去をたしかめながら未来に進むための、大切な手段なのです。
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