知ること、見ること、考えること – 観察の練習

いまさらですが、このブログ「凪の渡し場」は、「日常に新たな視点を」をコンセプトに、さまざまな世の中の楽しみかたについて提案しています。

では、実際に新しい視点を見つけるにはどうしたらいいのでしょうか。

ひとつの方法は、これまでいろいろな記事で紹介している、さまざまなものの知識を身につけることです。

フォントの名前であったり、路上にあるものの名称(たとえば、パイロンであったり、建築材であったり)をおぼえることで、これまで区別していなかったもの、気にもとめていなかったことに目を向けるきっかけになります。

 

でも、それはあくまで、新たな視点を身につける補助線にすぎません。

ほんとうに大切なことは、知識そのものよりも、それを見ようとすること、観察することにあります。

そんな観察の習得方法について書かれたのが、その名も「観察の練習」という本です。

 

この本の本編は、まちなかのさまざまな日常の風景を切り取った写真だけのあるページと、それについて書かれたページに分かれています。

写真のページで、日常の風景から著者が感じた「小さな違和感」は何かを考えてからページをめくることで、それが自分の思ったことと同じかどうか、あるいはまったく違うことが書かれているかを楽しむことができます。

 

もちろん、ひとりひとりの視点はすべて違うものだから、その観察結果に「正解」はありません。

その違いが、もともと自分がどのような視点をもっているのか、何に注目しがちなのか、そんな思考のクセをつかむヒントにもなるかもしれません。

 

また、この本自体が、表紙に書かれたタイトルの漢字が部分的にしか白塗りされていなかったり、本編も一部内容に合わせて特殊な文章の組み方がされていたりと、小さな違和感を楽しむことができます。

実際にどんな「観察」が紹介されているか、気になる方はぜひ本をお読みいただくとして(この記事のアイキャッチ画像の謎も、本を読めばわかります)、今回は「凪の渡し場」オリジナルの「観察」をしてみます。

 

さて先日、とある博物館を訪れた際、こんなパイロンを見かけました。

「街角図鑑」を買ってからというもの、パイロンを見つけては撮るということをしているのですが、よくよく考えると、わざわざパイロンの形状にぴったりな「開館」の看板をかぶせているのはとてもふしぎです。

いわゆるサンドイッチマンならぬ、サンドイッチパイロンです。

ちょうど建物の一部が工事中だったため、工事現場を囲むパイロンがあり、訪れた客が閉館中だと間違わないように「開館」をかぶせたのかもしれません。

けれど、同時に、近くの駐車場で、こんなパイロンも見かけました。

契約車両以外の駐車を禁じる看板がわりに使われています。

よく見ると、こちらのパイロンも先ほどのパイロンも、上部以外の三方に囲みがあり、真ん中に紙やプレートを入れられるようになっているようです。

ここまでくると、工事中かどうかは関係なく、パイロンを手ごろな看板がわりに使おうとする意志を感じます。

たまたま、ここの関係者がその用途に気づいたのか、あるいはパイロン業界でひそかに普及しているものなのか…。

 

こんなふうに、自分でも撮りためた写真を見返して、さらに深く観察することで、そのときは気づかなかった視点を楽しむことができます。

もちろん、まだ路上観察に慣れていない人も、ぜひ街に出て、さまざまなものを観察して、写真に撮ってみてください。

 

最後に、この本に近い「観察」を楽しむ本として、こちらも紹介しておきます。

主に、街ゆく人々が無意識にとった行動を写真におさめ、発想の仕方やデザインの考え方を学ぶ本として、工学博士で作家の森博嗣さんが翻訳されたことでも知られます。

温泉旅館と文字の共演 – 部屋本 坊っちやん

2018年最初の更新となります。今年もよろしくお願いします。

最近はブログ「凪の渡し場」以外の活動も増えて更新頻度が下がっていますが、引き続きフォントやまちあるきなどを通して、日常を新たな視点で楽しめるきっかけづくりをしていきたいと思います。

 

さて、今回は昨年に訪れた四国松山は道後温泉の話題です。

 

日本最古の温泉地ともいわれる道後温泉では、並みいる温泉旅館や街並みの中にアートを取り入れた、道後オンセナートというイベントが行われています。

道後オンセナート2018

道後オンセナート2018

 

今回はそのひとつ、祖父江慎さんと道後舘の「部屋本 坊っちやん」をご紹介します。

祖父江慎さんといえば、誰も見たことも無いような驚きの造本、装丁を行うブックデザイナーとして知られています。

そんな祖父江さんが、黒川紀章設計の温泉旅館・道後舘の一室をまるごと本に見立て、松山・道後温泉を舞台にした夏目漱石の小説「坊っちゃん」を組む…。

こんな耳にしただけで心躍る組み合わせ、ぜひこの目で見にいかなくてはなりません。

道後舘へは市内電車の終点・道後温泉駅から、道後温泉本館を通り過ぎ、さらに北へ向かいます。

三沢厚彦さんのクマに見守られ、やや急な坂を上ります。

向かいが工事中で願望がよくないですが、建物が見えてきました。

部屋本「坊っちやん」の見学時間は11時から最終受付14時まで。泊まる必要はなく、フロントで申し込み、見学料金1,500円を支払います。

 

時間になると、係の方に部屋まで案内いただけました。

のれんをくぐり、部屋に入ります。

 

そこは、文字通り本の世界でした。

 

地の文は明治期の書体をイメージしたと思われる、築地体前期五号仮名。

登場人物のセリフには筑紫A丸ゴシック

さまざまなフォントを使いわけることで、文字だけで作品に表情が生まれます。

極太の数字や、たまに登場する手描き風フォントも気になります。

そんな文字を通して見る、道後温泉の街並みに見とれます。

 

バッタを床の中に飼っとく奴がどこの国にある。ここにありました。

このように、文字だけでなく作品にちなんだ仕掛けも随所にあります。

こちらは笹の葉に水飴を挟みこんだ清の笹飴。噛むと歯にひっついてしまうため、噛まずになめるよう注意書きがありました。

 

20分ほどの見学時間はあっという間に過ぎ、名残惜しくも部屋をあとにします。

 

見学のあとは、一階にある喫茶室で、ご当地名物・坊っちゃん団子と珈琲をごちそうになります。

喫茶室内では、祖父江慎さんのデザインされた本も閲覧できます。

右の非売品『坊っちやん』道後舘新聞バージョンは見学のお土産です。

 

明治の文学が、最先端の文字組みで、その舞台となった温泉地の一角にあらわれる。

部屋本「坊っちやん」は2019年(平成31年)2月28日までの公開が予定されています。

ほかにも、道後にしかない、道後ならではの作品が見られる道後オンセナート、ぜひ一度足を運んでみてはいかがでしょう。

 

 

新聞挿絵で観察する明治時代 – 文明開化がやって来た

来年、平成30年は明治維新から150年ということで、さまざまな記念イベントなどが企画されているようです。

150年といえば、大昔という感じでもなく、けれど当時を知る人はもう誰も生きてはいない、そんな現代と絶妙に距離感のある時代ではないでしょうか。

そんな時代の様子を、当時生まれたばかりのメディアである新聞の挿絵からうかがおうというのが、こちらの本です。

著者の林丈二さんは「マンホールのふた」などで知られるエッセイストであり、路上観察家。赤瀬川原平さんとともに、路上観察学会の発起人になった方としても有名です。

そんな林さんの視点だからこそ、挿絵に描かれた服装、小物、建物といった、ほんのささいな手がかりから想像をふくらませ、まるで当時の日本のまちを歩いているかのような楽しさを感じることができます。

ここで紹介されている挿絵は、もともとは新聞小説や広告のために使われたものであって、まさか描いた画家も載せた新聞社も、後世にこんな使われ方をするとは思ってもいなかったでしょう。

 

たとえば、「散切り頭を叩いてみれば文明開化の音がする」という謳い文句があるとおり、文明開化といえば散切り頭(断髪令)が文字通り頭に浮かびます。

では、男性が散切り頭にするために必要な理髪店は当時どのような様子だったのか。それは、現代の理髪店とどうつながっていくのか。

あるいは、女性はどうなのか?

そもそも、散切り頭にするまで、日本人はどうやって髪を洗っていたのか…。

そういった細かい疑問を、挿絵や当時の資料などをもとに読み解いていくことで、歴史の授業で習った年表上の出来事が、身近なものになっていきます。

 

誰も気にとめない、日常のささやかな光景に目を向けるのが、路上観察であり、都市鑑賞であり、あるいは考現学であったりします。

けれど、あたりまえすぎて、あえて記録に残さなけば、時が経ち、その習慣を知る人がいなくなったとき、事実がわからなくなってしまうということも起こりえます。

 

インターネットやスマートフォンが普及する前に、あたりまえだった情報がどれだけあって、それがどれだけ失われたのか。

もはや、それを知る術はありません。

現代を生きるわれわれにできることは、いまあたりまえにあるまちなかの看板も、パイロンも、いつかなくなってしまうかもしれないと思って、記録に残すことだけかもしれません。

 

文学とめぐりあう文字のものがたり – 文字と楽園

ミヒャエル・エンデの「はてしない物語」という作品があります。

児童文学の名作として名高いこの本は、全26章それぞれの扉絵にAからZまでのアルファベットが描かれています。
本のなかの世界「ファンタージエン」で起きることは、すべてAからZまでの文字でものがたることができます。

もちろん、岩波書店から出版されている日本語版の本文では、アルファベット以外の漢字・ひらがな・カタカナが使われているのですが、そのフォント(書体)こそが精興社書体とよばれる、とくべつな存在だったのです。

 

精興社書体は、戦前から岩波書店の出版物を多く手がけてきた印刷会社、精興社オリジナルの活字がもとになっています。

伝統的な明朝体の中にあって、平べったく独特の流れをもった「かな」のデザイン。

そんな文字に魅せられ、精興社書体で組まれた本を追い続けていった人がいます。

正木さんによると、戦後あたらしく作りなおされた精興社書体がはじめて使われたのは1956年(昭和31年)、夏目漱石の全集「吾輩は猫である」であったそうです。

そして同じ年、三島由紀夫の「金閣寺」にも使われたことで、作中に現れた美しい金閣寺の姿を、読み手は精興社書体の文字の向こうに見ることになるのです。

それから三十年後、この書体は現代を代表する作家・村上春樹の「ノルウェイの森」に使われたり。

はたまた、ブックデザインなども手がけるクラフト・エヴィング商會のお一人、吉田篤弘さんの「つむじ風食堂の夜」に使われたり。

クラフト・エヴィング商會の名前は、大正から昭和に活躍した作家・稲垣足穂に由来するそうですが、その稲垣足穂の装丁を他ならぬクラフト・エヴィング商會が手がけたとき、選ばれたのも精興社書体だといいます。

作家や出版社、多くの人に愛され、名だたる文学作品とめぐりあいを重ねてきた文字。

 

同じ文字でも、異なる作者の手によって、まったく異なる世界が紡ぎだされます。

けれど逆に、文字を縦糸にして見ることで、さまざまな本と本がつながり、あたらしいものがたりが姿をあらわします。

いいビルと、ビルを彩るものの世界 – いいビルの世界 東京ハンサム・イースト

まちを歩いていれば、いくつも目に入るビルの姿。

けれど、あたりまえにありすぎて、目をとめて「観る」ことは少ないかもしれません。

まちのなかにひっそりとたたずみ、ひとびとの暮らしや仕事によりそい、あるいはいつか消えてしまう…。

そんなビルの見方、楽しみ方を知ることができるのが、こちらの本です。

 

ビルがその建物を使う人のために設計されるように、この本も、ビルの魅力を伝えるため、いくつもの工夫が凝らされています。

たとえば、この本は、通常よりも高精細の印刷ができるフェアドット印刷という手法が使われているそうです。

大福書林 on Twitter

『いいビルの世界』は、モアレが出ないよう特殊な印刷をしています。普通の線数が200線くらいのところ、この本で使ったフェアドット印刷は350線と、ドットが細かく、配列も違うのです。カメラ店などで売っているルーペをお持ちの方は、眺めてみてください。ドットを見るだけで楽しめますよ。

 

そのおかげか、ステンレス・タイル貼りなどさまざまな素材でできたビルの外壁や内装が、実に色鮮やかに目に飛び込んできます。

 

そう、ビルを知るということは、ビルをいろどるさまざまなものの世界を知るということなのです。

「ビルの外側をいろどるもの」や「ビルと視点」といった記事では、ビルを楽しむ手がかりが図鑑のように紹介されていきます。

壁画といった大きなものから、ドアハンドルのコーディネートといった小技の光るものまで。

 

そして本書を読んで、大きな発見がありました。

Macユーザーならおなじみの、コマンドキーに印字された記号「」。

いったい現実世界では、どんなときに使うのだろう? と思っていたら、ドアハンドルの模様に描かれているのを本書の中だけでも二ヶ所見つけました。

これはぜひ、実物も探してみたくなります。

文字通り、知らない世界を開く扉であり、秘密のコマンドのようです。

 

わたしはよく、こうやって新しい知識を得たら、昔に撮った写真をもう一度見返してみることをしています。

そうすると、いままで見えていなかった景色が見えてきます。

 

つまりこういうことです。

中央の「丸高ビル」、一文字ずつの看板も素敵ですが、対照的に黒い外装、少し斜めにへこんだ窓が、実にいい表情を見せます。

こちらは本書にも紹介されていたJR上野駅のペデストリアンデッキ。

このときは、ちょうどタイルの清掃中で、かわいい積みパイロンに夢中でシャッターを切りました。

そして見返してみれば、パイロンが置かれた色とりどりのタイルも実にかわいい。

他にも上野には素敵なタイルやビルがあるそうなので、次に訪れるときは見逃さないようにしたいです。

ここにはおそらく、かつて公衆電話が置かれていたのでしょう。

公衆電話の数がめっきり減ったいまも、その置き場所だけがひっそりと時間を重ねていきます。

それによって、壁の少しずつ色が違ったタイルも、よりいっそう引き立つよう。

 

「いいビル」の味わいとは、そんな時間の流れを感じられることのように思うのです。