伝統の鉄道文字 – すみ丸ゴシック

九州地方・熊本を中心とした地震が続いています。
一日も早く、平穏な生活が戻ることをお祈りします。

 

九州には何回か旅行で訪れていますが、新しさと古さが同居した風景に惹かれます。

今回のテーマ、鉄道をとってもそれは同じ。

九州新幹線に代表される、水戸岡鋭治氏のデザインが有名ですが、もっと以前からの鉄道遺産も多く残されています。

 

たとえば、関門海峡に面し、かつて本州との玄関口として栄えた門司港レトロ地区。

その一角には、九州鉄道記念館があります。

近くには、旧「門司駅」のレール跡が。


このように駅名を示す看板を駅名標といいます。

「もじ」だけに印象に残って、以前はわたしのTwitterのアイコンにしていたりもしました。

右から左書きの筆文字が歴史を感じさせますね。

 

さすがに現役の施設で筆文字の駅名標が残されているところは少なくて、多くは手書き風の丸ゴシック体。

 

USAピョン…。

 

そんな中、丸ゴシック体とも角ゴシック体とも違う、独特のフォントに出会うことがあります。

 

これが、昭和35年(1960年)に国鉄の標準書体として指定された「すみ丸角ゴシック体」、通称すみ丸ゴシック

名前の通り、角ゴシック体を基本としながら、線の隅だけを丸くしたので「すみまる」。

フォントを統一したといっても、当然コンピュータもない時代なので、すべては手書き。
その際の書きやすさと読みやすさの両立を目指したのだと言われています。

製作した人や会社によって、微妙に異なる個性をもっています。

 

と、ここまで九州の話をしておきながら、実は東海地方にお住まいの方は、普通に接するフォントだったりします。

それは、国鉄を継承したJRグループの一つ・JR東海では、このフォントを基にした「スミ丸ゴシック体」や「JNR-L書体」を引き続き使っているから。

JR東海が運営する、東海道新幹線の駅名標も同じです。

ひらがなが大きい在来線とは違って、漢字が大きくレイアウトされているので、すこし目立ちにくいですが。
東京や京都にお住まいの人も、新幹線を使うときは意識してみると面白いかもしれません。

 

「マツコの知らない世界」では稀少フォントとして紹介された「すみ丸ゴシック」が、なぜJR東海でいまも使われているのか。

この本によると、その理由は、国鉄時代から「すみ丸ゴシック」に携わった須田寛氏が、JR東海の初代社長に就任したからとのこと。



旅客=お客様へ一貫したサービスを届けるために、文字を大切にする。
その信念が込められた、伝統の鉄道文字といっていいでしょう。

 

2027年に開業される予定のリニア中央新幹線でも、すみ丸ゴシックが引き続き使われるのか。

それとも、まったく新しいフォントに生まれ変わるのか。

 

その日が楽しみです。

内向型、恐ろしい子! – 外向型のようにふるまうとき

内向型人間の強みを語ってきましたが、それでもやはり、外向型のようにふるまわないといけないときはあります。

 

それは本の中では「自由特性理論」という名前で説明されています。

たとえば、自分にとって重要だと思っている仕事、大切な人の前では、もともとの性格を超えてふるまえるのだといいます。

たしかに、わたしも「お仕事モード」になると、内向的な性格からはだいぶ違って活動的になれたりします。

 

内向型人間でも、俳優やタレントのように人前に出る仕事をしている人はいくらでもいます。

舞台に上がったらその役になりきれる、「ガラスの仮面」の北島マヤも、ひょっとしたらこのタイプかもしれません。

まさに「内向型、恐ろしい子…!」
ところで、このときに注意しないといけないことが一つ。

 

いくら一時的に外向型のようにふるまえるといっても、内向型人間であること自体を変えることはできません。

それをずっと続けていると、疲れてしまったりします。

 

なので、回復するための時間はしっかりとらないといけない。

たとえ、自分の夢、やりたいことのために外向型のようにふるまう必要があるとしても、その時間・回数を決めておくこと。
たとえば、わたしはこんなふうに自分の中でルールを決めています。

  • セミナーや勉強会で知らない人と会う機会は、一ヶ月の中で多くても3回まで
  • ブログにかける時間は一日の中で一時間以内
  • 残りの時間は、それ以外の趣味、ひとりの時間を楽しむ

 

目標を決めたら、その通りに実行できるタイプなので、たぶんそれ以上の目標を立てても実現できると思うのですが、それをやっても、たぶんノルマのようになって楽しくなくなってしまう気がするのです。

 

無理をしすぎず、楽しく生きるために、そんな「自由特性協定」を結ぶことも、とっても大切なこと。


ひとりで働く – 内向型人間が活躍できる場所

内向型・外向型人間の話のつづき。

人間には内向型・外向型の二種類があること、それぞれに違う強みがあることをお話ししました。

 

では、実際に、どのようなときに内向型人間は力を発揮できるのか?

 

それは、「ひとりで働く」場所を作るということ。

 

学校でも、社会に出てからでも、大勢での共同作業とか、チームワークの大切さを説かれることは良くあります。

もちろん、ひとりでは達成できないことが多くあるのも事実。
でも、内向型人間にとって、共同作業そのものが力を消耗する仕事なのです。

 

たとえば、大勢の中で自分の意見が言えない。

それは、自分の意見が無いこととは違います。

 

頭の中で考えをまとめるのに時間がかかったり。

どういう言い方をすれば相手が納得するのか? と考えすぎてしまったり。

 

理由は人それぞれかもしれませんが、意見を言えない理由は多くあります。

 

口で言えないのであれば、文章にしてみれば良い。
あるいは、図に書いたり、プレゼンテーションにまとめたり。
そうやって、自分の意見をじっくりまとめるための、ひとりで働く時間をとるというのは、とても大切です。

 

でも、どうしても、ひとりで働けない場合は?

 

そういうときこそ、インターネットの出番。

「内向型人間のすごい力」でも、ソーシャルメディアの普及で内向型人間もアピールできる時代になったと書かれています。

このようにブログを書いてみたり、SNSで発信してみたり。

 

そんな「ひとりで働く」時間が生み出した成果が、そのうちに共感できる仲間を呼んだり、新しいコミュニケーションのきっかけになったりするから面白い。

 


この方は明らかに内向型だな、と思う作家(研究者)。

文化庁「常用漢字表の字体・字形に関する指針」から読み取る三つのこと

文化庁から、文化審議会国語分科会・漢字小委員会での審議をまとめた「常用漢字表の字体・字形に関する指針」が公開されました。

原文はこちら。

http://www.bunka.go.jp/seisaku/bunkashingikai/kokugo/hokoku/pdf/jitai_jikei_shishin.pdf

200ページ以上ある資料ですが、半分は字形比較表ですし、その前のQ&Aだけ読んでも面白いです。

 

ざっくり言うと、大切な三つのことが書かれています。

 

1.字体と字形について

形が違うことで、違う漢字とされる文字の骨組みが「字体」。
たとえば「学」と「字」は違う字体です。

形が違っても、同じ漢字とされるのが「字形」。

そして、このような字形の違いを、漢字ごとに一定の特徴をもたせたものが「書体」。
明朝体とゴシック体といったフォントの違いが、まさにこれにあたります。

jitai_jikei

ちなみに。書体とフォントはもともと別の意味の言葉ですが、一般的には同じ意味で使っても問題ない、とQ.13の回答にあります。

なので、このサイトでも大手を振って「フォント」を書体の意味で使います(笑)

 

 

2.手書き文字と印刷文字の違い

明朝体は、手書き(楷書)とよく似ていますが、違うところがあります。
たとえば、「去」などの文字の左下は、明朝体では突き出ていますが、ふつう手書きでそうは書きません。

「入」などの文字も、フォントによっては筆押さえとよばれる字形になることがあります。

jitai_jikei_2

 

実際に、教科書ではこの違いで混乱する児童がいることから、わざわざ専用のフォント(教科書体)が使われていたりします。

 

3.手書き文字では、あまり細かい字形の違いは問わない。

コンピュータの世界では、違う字体であれば区別しなければいけない、けれど同じ漢字でも字形が違うこともある…と、既に非常にややこしいことになっています。

ですが、手書き文字においては、あまり細かいことは言わなくてもいい、ということなのだそうです。

印刷やコンピュータ上のフォントと同じ形で文字を書く意味はないし、点画をとめるかはねるか、長いか短いかまで統一することはしないというのが、本来の漢字の伝統だとされています。

Q3 多様な手書き字形を認めるのは,漢字の文化の軽視ではないか

   それぞれの漢字を手書きする際に,様々な字形を認めることは,漢字の文化をないがしろにし,壊してしまうことにつながりませんか。

A 手書き文字の字形に多様性を認めるのは,むしろ,漢字の文化に基づく考え方です。この 指針は新しい考えを示すのではなく,本来の漢字の伝統を知ってもらおうとするものです。

たしか、わたしがこどもの頃は、テストで木へんの下をはねて書いたりしたら×をつけられたと記憶しています。

しんにゅう(しんにょう)辶 も、常用漢字表では、「近」はひとつだけれど「遡」はふたつ、というように漢字によって違います。

こういうのも、ちゃんとその通りに区別して憶えたものですが、手書きでは点一つで書いても良いのだそうな。し、知らなかった…。

そもそも、点の下の書き方にしてから、印刷文字ではまっすぐですが、手書きでは曲げて書きますしね。

 

 

文字は、長い歴史の中で変化しながら受け継がれてきたもの。

大事なのは、「正しい文字」にこだわることではなく、「伝わる」かどうか。それがそもそもの文字の役割だということですね。