違いを認める生き方へ – 見えない違い 私はアスペルガー

この世界に生きる人々は、みんな違っている。

けれど、その違いを違わないということにして生きている人たちも多くいます。

そんな社会の中で、生きづらさや違和感を覚えたことのある人には、読んでほしいマンガがあります。

とある会社で働くマルグリットは、騒音や大勢との人付き合いが苦手なタイプ。

本屋の前を通り、パン屋さんに寄って、いつもの通りを抜けて…といった、毎日決まったルーチン(習慣的行動)のおかげで、ホッとした気持ちをとりもどすことができます。

とあるきっかけから、彼女は自閉症という概念を知り、アスペルガー症候群(自閉症スペクトラムの一つ)だと診断されることで、そんな自分のことを本当に知ることができたと感じます。

とたんにマンガのコマが明るくなり、文字通り世界が色づくさまは本書の中でも印象的です。

アスペルガーという概念を知る前に、マルグリットが「誰だってそうだ」と自分だけの苦しさを理解してもらえなかったり、友人から乱暴な言葉を投げかけられて戸惑う様は、わがことのように心が苦しくなります。

 

以前に「凪の渡し場」でも紹介した内向型やHSPという概念を知ったときも、似たようなことを感じました。

概念に名前をつけることは、ばくぜんと「みんな同じ」と思っていたことに、違う視点からの光を投げかけ、見えない違いを見えるようにすることなのです。

 

本の中では〈スプーン理論〉というものも紹介されています。

障害や慢性疾患をもつ人には日常生活を送るのに必要なエネルギーの限度が決まっていて、それを小さなスプーンであらわすという考え方です。

普通なら何杯でもスプーンを使えるところ、マルグリットは12杯しか使えません。

けれど、自分のスプーンの限度と基準を把握しておくことで、たとえば飲み会をすればスプーン4杯を消費してしまうというふうに、自分の疲労を管理することができるようになります。

わたしも普通の人と比べて疲れやすいタイプで、実のところ、どうしてみんなができることが自分にはできないのだろう、と悔しく思うこともあります。

けれど、頭の中にスプーンをしのばせておくことで、その悩みをコントロールできるかもしれない、そんな希望がもてました。

 

そして、違う人たちが、その違いを認めて生きていける世の中でありますように。

 

デザイナーやエンジニアの見る世界

こどものころから、ものをつくる人に憧れてきました。

 

身の回りにあるおもちゃも、電化製品も。

線路の上を走る列車も、空を飛ぶ飛行機も。

現代社会に欠かせないあらゆるものは、この世界のどこかの誰かがデザインして、形にしたものだということを、わたしたちはいつとはなしに理解します。

「design」という英語は現在、そのまま〈デザイン〉というカタカナの日本語になっていますが、明治時代には〈設計〉という言葉で訳されました。

デザインとはもともと、見た目を整えるだけではなく、ものがどうやって動くのかというエンジニアリングの観点も、またそれがどう使われるのかというユーザビリティの観点も含む、広い意味のことばです。

 

そんなデザインとエンジニアリングの両方の視点が混在するのが、デザイナーであり東京大学教授の山中俊治さん。

山中さんはSuicaの自動改札機をデザインしたことで知られます。

今では当たり前になった改札の光景ですが、SuicaのようなICカードが登場する前は、東京の、いや日本中の誰も、カードをかざして改札を通るという経験をしたことがなかったのです。

そんな人の動きを想像し、実際に何度もテストを繰り返して、自然に改札を通れるように読み取り機の角度を調整した結果、今にいたる日本中の駅の「当たり前」がつくられたのです。

本書では山中さんのTwitterでのつぶやきをベースに、東京大学の研究室で、あるいは企業や研究機関と共同で、まだ世の中に存在しない製品のありかを探すように、スケッチと言葉が重ねられていきます。

その言葉に宿る純粋な響きは、どこか工学博士で作家の森博嗣さんに通じるところがあります。

森さんも長年大学で学生の指導に当たりながら、趣味(個人研究)で工作を続けてきたことから、世界に対して似通った視点をもつものなのかもしれません。

 

一流のデザイナーやエンジニアの言葉は、それ自体が製品のように、情熱をうちに秘めているかのようです。