2018年、世界の見方を変える18冊

「平成最後」という言葉が飛び交う年末です。

12/22に公開した記事で「年内に二、三回更新するのを目標」と書いておきながら、そのあと一記事しか更新できないまま大晦日を迎えてしまいました。

目標達成のためだけに、平成最後の大晦日に埋め草記事を公開するのも気が引けるので(笑)、ふりかえり的な内容が続いてしまいますが、2018年に読んだ印象的な本を紹介します。

ちなみに、このブログ「凪の渡し場」を開設した2016(平成28)年のクリスマスにも、同様の記事を公開しています。

2016年、文章とものがたりをあじわう10冊

このときは小説とノンフィクションが対象でしたが、今年はマンガも含め、西暦と合わせて18冊を選んでみました。

〈ノンフィクション〉

菅俊一「観察の練習」

知ること、見ること、考えること – 観察の練習で紹介したとおり、日常を新しい視点で見つめる、観察の習得方法を学ぶ本です。

 

笹原和俊「フェイクニュースを科学する」

Twitterでは、デマが事実より早く拡散するとよく言われますが、その理由をSNS特有の仕組みから解明しています。似た傾向の人をフォローする仕組みが「見たいものだけ見る」という思考のクセを助長してしまいます。

自分の世界の見方がまわりに影響されて歪んでいないか? は、常に自覚したいところです。

 

岩楯幸雄「幸福書房の四十年 ピカピカの本屋でなくちゃ!」
井上理津子・安村正也「夢の猫本屋ができるまで」
三品輝起「すべての雑貨」

東京で40年間「幸福書房」という本屋さんを経営してきた岩楯さん、好きなものの掛け算で夢を叶えた安村さん、そして西荻窪で雑貨店「FALL」を営みながら〈雑貨化する世界〉に思いをはせる三品さん。

本屋や雑貨屋という小さな宇宙を経営する人の言葉は、いつも胸に響くものがあります。

 

「旅する本の雑誌」

これは危険な本です。全国各地の魅力的なまちと、それにまつわる本や本屋さんを紹介する章や、東京の個性的なお店をめぐる章など。

同時期に発売された「全国 旅をしてでも行きたい街の本屋さん」と、この本を両手に、またいつでも旅に出たくなってしまいます。

 

藻谷浩介「世界まちかど地政学」

「里山資本主義」の著者、藻谷さんが以前から趣味で訪れていた世界各地の様子をレポートする毎日新聞のWebサイト連載を再構成したもの。世界には、こんな暮らしや街並みがあるのか、という新鮮な驚きであふれています。

 

松樟太郎「究極の文字を求めて」

そんな世界には、さまざまな文明・文化が興廃し、あまたの文字が作られ続けてきました。

顔文字のようなマヤ文字、視力検査のようなミャンマー文字など、自由な発想で文字を楽しむ一冊です。自由すぎて怒られないか? と心配になるくらい(笑)

 

ベン・ブラット「数字が明かす小説の秘密」

小説のなかで使われる典型的な表現、ベストセラーや歴史に残る作品に共通する傾向など、数字と統計で小説の神秘にメスを入れます。取り上げられているのが欧米の作品ばかりなので、日本の小説はどうなのだろうと興味がわきます。

 

〈小説〉

獅子文六「コーヒーと恋愛」

日本のお茶の間にテレビが普及し始めた時代。コーヒー好きの人気ドラマ女優と、彼女の回りのコーヒー通と演劇人、TV業界人たちが巻き起こす、それぞれの情熱と愛情のかたち。
描かれた時代は古くても、登場する多様な恋愛観、結婚のかたちは今に通じるものがあって面白いです。

 

佐藤亜紀「戦争の法」

1975年、日本国から独立を宣言したN県で、主人公は戦争の渦に巻き込まれ、あるいは自ら戦地へと進んでいく。

九州限定で復刊(他の地域は一部書店でのみ販売)という珍しい形態が気になって手に取りましたが、思索的な文章が癖になります。

 

宮下奈都「羊と鋼の森」

ピアノ調律師を目指した少年と、ピアニストを目指す姉妹を中心に、憧れを現実にするための厳しく優しい道程が描かれます。

作中で引用される「夢のように美しいが現実のようにたしかな文体」という原民喜の言葉は、わたしの理想とするところでもあります。

 

田中啓文「アケルダマ」

キリストの墓が隠されているという田舎の村に引っ越してきた女子高生と、彼女の東京での同級生だったオカルトマニアの男子が、千年に一度の壮大な陰謀に巻き込まれていく。

オカルトはノンフィクションだとちょっと困りますが、小説として描かれれば、こんなに面白い。

 

似鳥鶏「叙述トリック短編集」

叙述トリックとは、普通のミステリーのように犯人が探偵に仕掛けるものではなく、作者が読者に仕掛けるもの。

だからこそ普通は読み終わるまで叙述トリックがあることは秘密にされるのですが、最初から公言してしまうという、ひねりのある作風の著者ならではの企みに満ちた短編集です。石黒正数さんが描く表紙とオビの仕掛けも楽しい。

 

〈マンガ〉

細川貂々「日帰り旅行は電車に乗って」

半歩踏み出す、ものがたり旅で紹介。何度でも行きたい関西が、そこにあります。

 

益田ミリ「泣き虫チエ子さん」

ささやかだけれど、幸せな夫婦の日常。心が弱っているときに読むと思わず泣きそうになってしまって、こういう幸せがほしかったんだなあと思ってしまいます。

 

小川麻衣子「ひとりぼっちの地球侵略」

宇宙から地球を侵略するためにやってきた少女と、その心臓を受け取った少年。全15巻完結。

ボーイミーツガールのときめきが消えることはありません。

 

小林銅蟲「寿司 虚空編」

数学の世界には、日常生活ではまず目にかかることのない「巨大数」という概念があります。

ただひたすら桁数の大きさを追い求める、世界の深淵を垣間見れます。

 

今までの世界の見方を変えてくれそうな、個性的な本を中心に選んでみました。

来年もそれまでの視点を変えるような、良い本に出会えますように。

百万塔陀羅尼の縁がつなぐ、文字と印刷の歴史

今回はまず、こちらの画像をご覧ください。

バームクーヘンのような色と形がかわいい、これは百万塔陀羅尼(ひゃくまんとうだらに)といいます。

 

作られたのは奈良時代、西暦765年(天平神護元年)から770年(神護景雲4年)にかけて。

時の天皇・称徳天皇の命によって、百万枚の陀羅尼(仏教の梵文を訳さずに唱える経文)を印刷し、それを小さな三重塔に入れて南都各地の寺に納めたものです。

なんと、つくられた年代がはっきりしている世界最古の印刷物なのだそう。

 

称徳天皇は聖武天皇の娘で、孝謙天皇として即位して譲位したのち、尼となってからふたたび天皇位につき、僧の道鏡を寵愛したことでも知られます。

天平神護や神護景雲という、日本史上他に類を見ない四字元号の時代は、中国や仏教への傾倒が強まり、それまでとは違うかたちの国づくりが行われていきます。

グーテンベルクの活版印刷術が、ルターの「42行聖書」を大量に複製するために生まれたように。

今までになく多くの人に教えをつたえ、ひろめる手段として、印刷という複製技術が活用されことは洋の東西を問いません。

その思いは、千年以上も経った後世の人々にも連綿と伝わっていきます。

 

さて、この百万塔陀羅尼、実はあちこちの博物館で見かけることができます。

 

まずは東京の印刷博物館、総合展示ゾーンに百万塔陀羅尼はあります。

写真撮影は禁止ですが、ミュージアムショップで手に入れられるガイドブックでも解説されています。

ちなみに、2019年1月20日まで開催中の企画展「天文学と印刷」展も、内容だけでなく展示の雰囲気も素晴らしいので必見です。

(企画展開催中は入場料一般800円・総合展示のみの入場は不可。企画展が開催されていないときは300円)

 

同様に期間限定ですが、丸善日本橋店などで開催されていた、京都外国語大学図書館の稀覯資料「世界の軌跡を未来の英知に」展でも見ることができました。

『百万塔陀羅尼』

No Description

愛知県では、西尾市岩瀬文庫の常設展示が行きやすいでしょう。写真撮影可能のため、冒頭の百万塔陀羅尼はこちらのものを使用しています。

ここも企画展や製本ワークショップなどもあって、本好きの方にはとくに楽しめる場所となっています。

 

関西の方なら、大阪のフォントメーカー・モリサワ本社ビルのMORISAWA SQUAREで、印刷とフォントの歴史を学ぶことができます。

見学には予約が必要ですが、セミナーやイケフェス大阪の日には無料で一般公開されます。

 

そしてもちろん、本家本元である奈良・法隆寺の大宝蔵院には、大量の百万塔陀羅尼が納められています。

(参拝料一般1,500円)

 

いずれも百万塔陀羅尼が主目的というわけではなく、気になるテーマの展示を見にいったり、友人に誘われて訪ねた場所で、ふと百万塔陀羅尼に出逢えるのは、とても幸運な縁を感じます。

とくに、年末にひょんなきっかけで訪れた法隆寺で百万塔陀羅尼に再会したことで、その由来をしっかり調べ直す気になり、このブログ記事を書くことができました。

来年も、良いご縁がありますように。

 

感情をベースにする、自分視点のふりかえり

早いもので、今年(2018年)もあとわずかです。

年始に立てた目標や、やりたいことリスト(ウィッシュリスト)を見直して、どれくらい達成できたかふりかえる人も多いでしょう。

ちなみにわたしは、2018年の100個のやりたいことリストのうち、残念ながら1/4程度しか実現できませんでした。

けれど、目標というのは時として、「どれだけ実現できたか」よりも、実現したことで「どれだけ嬉しかったか」のほうが大切なことがあります。

文字通り、達成度よりも達成感です。

 

リストを見返すことで、ひとつひとつ達成したときの楽しかった気持ち、あるいは実現できず悔しかった想いがよみがえってきます。

その過程もまた、次のやりたいことを実現するための足がかりになります。

(やりたいことリストを作ったことがない人は、ぜひ来年は作ってみることをおすすめします)

 

さて、ここでもうひとつ、気をつけたいことがあります。

それは、自分では達成できた、楽しかったと思っていても、別の人から見たら違うかもしれないことです。

 

たとえば自分では読んで面白かったと思った本、観て面白かったと思う映画でも、他人の「つまらなかった」という感想を耳にすると、それに引きずられてしまうように。

たとえばイベントに参加していても、まわりに退屈そうにしている人がいると気になって楽しめなくなってしまうように。

 

もちろん客観的な視点を得るのは大事なことで、仕事や学校など、社会的にはそれが評価基準になることも多々あります。

 

けれど、自分の立てた目標のふりかえりをするときには、自分視点を大切にしてほしいのです。

 

自分の人生が楽しかったかそうでないか、本当に評価できるのは自分しかいないから。

誰にとっても生の時間は有限で、他人の人生を生きる暇はありません。

 

今年も「凪の渡し場」にお越しいただきありがとうございます。

まだ年内に二、三回更新するのを目標とはしていますが(笑)、少し早めのご挨拶です。

よいお年を。

MdNのフォント特集決定版 – MdN EXTRA Vol. 5 絶対フォント感を身につける。

雑誌「月刊MdN」では、毎年秋に〈絶対フォント感〉をテーマにした特集が組まれていました。

読書の秋、フォントの秋。文字を特集した雑誌を読みくらべ

日本の明朝体を読みなおす – 月刊MdN 2017年10月号特集:絶対フォント感を身につける。[明朝体編]

2018年は「明朝体を味わう。 」という別の切り口での特集となっていましたが、それとは別に、過去の特集を合本し、新たに[ゴシック体編]を加えたムックが刊行されました。

付録のフォント見本帳もアップデートされて、これからフォントについて学びたい人には、これ一冊で日本語フォントの流れが一望できる決定版となっています。

 

今回は追加されたゴシック体編について紹介します。

ゴシック体といえば、iPhoneやMacの標準フォントとしておなじみのヒラギノ角ゴシックをはじめ、現代日本でもっとも普通に目にするフォントと言えます。

シンプルだからこそ、その微妙な違いを見分けることで、細やかな表情を読み取ることができます。

このブログ記事では、見出しに「ゴシックMB101」、本文に「UD新ゴ R」を使ってみました。



見出しを「UD新ゴ M」にしたときと比較してみましょう。



ゴシックMB101は1970年代、写植の見出しゴシック体として愛用されてきたフォントだそうで、少し右肩上がりのひらがななど、現代のフォントより少しキリッとした感じがあります。

 

このように、ゴシック体はもともと見出しやタイトル用に使われ、本文は明朝体で組むという使い分けがされてきました。

長い文章を読むのには向いていないということだったのかもしれませんが、パソコンやインターネットの普及で、状況は変わっています。

特集では、「文章を組むと、書体の人柄が見える」という記述があります。

ゴシックMB101、ヒラギノ角ゴシック、筑紫ゴシックの三つのフォントで文章を組んだ見本を見比べるコーナーがあるのですが、個人的にはゴシック体とは思えないほど柔らかく、自然に読める筑紫ゴシックが好きです。

筑紫書体シリーズ|フォントコラム|FONTWORKS | フォントワークス

フォントコラム|

筑紫明朝との整合性を考えて作られたフォントということで、明朝体のようなリズムが感じられます。

フォントワークスの年間定額フォントサービス mojimoのkireiまたは kawaii を追加契約して使いたくなってきました。

 

これからも、時代の変化に合わせて、どんな表情のゴシック体があらわれるのか、楽しみです。

旅と路線図と鳥瞰図 – たのしい路線図

観光や仕事で鉄道の駅を利用するとき、路線図の存在は欠かせません。

目的の駅までの乗り換えや、運賃、付近の観光案内まで。

普通の地図とは似て非なる機能性を持つ「路線図」の世界を味わう本があります。

日本全国、さらには海外の路線図がひたすら紹介され、ただ「いいねぇ」という溜息を漏らすのみです。

とくに首都圏など大都市部では、JRや私鉄・地下鉄など数多くの路線が入り乱れて、どうわかりやすく見せるかの工夫が求められます。

作り手が伝えたい情報と、乗客が知りたい情報、それぞれに応じて何種類もの路線図が使われることもあります。

たとえば先日、東京に行った際、渋谷駅でこのようなインバウンド向け路線図を見かけました。

何気なくツイートしたところ、わたしのアカウントにしては多くのRTがあって驚きました。

山手線より東京メトロや都営地下鉄大江戸線が目立つように描かれているのは、地下鉄の出入口付近だったからでしょう。

その山手線が楕円ではなく、上野や秋葉原のあたりで出っ張っているのはデザイナーの苦心のあらわれのようです。

このエリアは上野動物園のパンダや浅草雷門が描かれ、「Cultural Fusion」(文化の融合)と命名されています。

その他の地域も「Cool Tokyo」や「Night Life」などと色分けされ、なんだか日本地図の形にも見えてきます。

さらに東武スカイツリーラインの先には日光の三猿、京王線の先は高尾山の天狗が描かれるなど、細かいところまで見る人を飽きません。

 

これを見ていて思い出すのが、大正時代に一世を風靡した鳥瞰図絵師の吉田初三郎です。

紙上からはばたく、鳥瞰図の世界

初三郎は若い頃に描いた京阪電車の案内図が、のちの昭和天皇から「これは綺麗でわかりやすい」との評判を得たことで頭角を現します。

初三郎の鳥瞰図も、大観光時代を迎えた当時の日本で、実用品だけでも、美術品だけでもない、その土地を新しい視点で見るものとして受け入れられていったのでしょう。

現代は現代で、駅の案内図や路線図は機能性を重視しながらも、利用する人にわかりやすく、見やすいものを提供するという心は共通するものがあります。

そんな作り手の想いが込められているからこそ、時代や受け手が変わっても、路線図は見る人々の心を躍らせてくれます。