仕事で、私生活で、多くの人が時間に追われて暮らしています。
やらなければならない仕事は山のようにあって。
やりたいことも、読みたい本も、会いたい人もかぎりなくて。
忙殺されるように、矢のように過ぎる時間をやりくりして生きていく毎日。
それでいいの? と、わたし自身もそんな疑問があったから、タイトルに惹かれて、この本を手にとったのでしょう。
この本では、時間に追われる人に、借金や貧困に苦しむ人々と共通した心理があるとして、その要因を分析していきます。
そうした時間的・金銭的欠乏に対処する方法のひとつとして、スラックとよばれる余裕、ゆとりを持つことがあげられています。
例として、年中手術室の不足に悩まされ、急患が出るたびに予約の組み直しが発生してスタッフの負荷になっていた病院のケースが紹介されています。
この問題は、スラックの考え方で見事に解決されます。
それは、予定外の手術のために、ひとつだけ手術室を空けておくことでした。
「予定外の手術がどれだけ入るかなんて想定できないのだから、そんなことはムダだ」そう思ったスタッフも多かったのだそう。
けれど、想定外のことは、何がいつ起こるかわからなくても、いつかは起こるし、いつでも起こるものなのです。
想定外を想定する、そんな余裕をもつことで、もともとあった予定への影響をできるだけ抑えることができます。
わたしたちの暮らしにも、この考え方は応用できるのではないでしょうか。
毎日の仕事、旅行の予定。
予定を決めること、綿密に計画することは大切なことで、それを守ろうとする、いわゆるタスク管理も同じくらい重要な概念です。
けれど、あまりにきっちりと予定を詰めてしまったら、ひとつのことが遅れたり、いざ想定外のことが起こったときに、はたして対処しきれるでしょうか。
計画を立てたら、思い切って、ひとつだけでも予定を削れないか、もしくは、時間を延ばせないか、そう考えるだけの余裕をもっておきたいものです。
余裕はまた、余白と言い換えても良いかもしれません。
何も予定がないのが空白の本だとしたら、予定があってもゆとりがあるのが余白の多い本。
ページ全体にぎっしりと活字が詰まった本が読みにくいように、余白は「文字が書かれていないこと」それ自体に意味があります。
読みやすいだけでなく、余白があればこそ付箋を貼ることもできるし、何か書き込みをする自由も生まれるかもしれません。
かの数学者フェルマーが証明を書き込もうとした本に、もう少し広い余白があったなら。
数学の歴史は大きく変わっていたかもしれません。
その本の著者も、まさか自分の著書がそんな使い方をされるとは想定外だったかもしれませんね。
余白を、もっと大切にして、生きてみましょう。
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