いのちめぐる、大阪万博ミャクミャクの旅
開催中の2025年大阪・関西万博で人気を集める、公式マスコットキャラクター・ミャクミャク。
まだ胴体がなく「いのちの輝き」というロゴマークだけ発表されていたときから、ひそかに気になっていました。
人気に火がついたのは、立体化されたころからでしょうか。
おなかまわりの曲線美が、なんとも言えません。

こちらは開幕前に大阪へ行った時に見つけた、大阪市庁舎前のミャクミャク。この頃はたまに人が立ち止まるくらいでした。
それでも万博コラボレーションのラッピング電車やマンホールふたなど、すこしずつ大阪の街中にミャクミャクが増殖していく気配を感じていました。

和泉を名乗るからには外せない、和泉市のマンホールふた。

こちらは万博会場のマンホール…? それにしては、やけに年季を感じさせます。

実は1970年大阪万博の会場だった吹田市・万博記念公園のマンホールふたでした。
万博の大先輩である「太陽の塔」の背中を追うようなロケーション、国立民俗学博物館の手前にあります。他にもあるかもしれないので、万博記念公園を訪れることがあれば探してみましょう。
万博記念公園と太陽の塔、そしてEXPO ’70パビリオンは以前訪れたときも記事にしています。

EXPO ’70パビリオンでは回顧展「プレイバック1970 大阪万博と昭和レトロ」が開催中でした。
常設展とは別で大人800円、支払いはおどろきのキャッシュレスレス!(現金のみ)


真鍋博先生のイラストでしょうか。開幕前の「日本万国博こどもニュース」には、太陽の塔は描かれていません。
開幕当時の目玉とされていたのはお祭り広場の「大屋根」で、日本を代表する建築家・丹下健三らによって設計されました。
その大屋根を突き破るように太陽の塔を屹立させたのが、芸術家・岡本太郎です。
大屋根やほとんどのパビリオンが解体されても、シンボルとして残った太陽の塔。
太陽の塔といいミャクミャクといい、強烈なキャラクターが波紋を呼びながら定着していくのは、日本らしさのひとつかもしれません。

ちなみに1970年大阪万博の大屋根も、ごく一部だけが残されています。
やはり太陽の塔の背中側の広場にぽつんとあります。
さて、時を戻して2025年大阪万博の会場に向かいましょう。

きたで万博!
人が多すぎて、とても近寄って撮れないので上半身だけ。

真新しいマンホールふたがありました。プリントが平面的なので普通のマンホールふたと工法が違うのかもしれません。

ミャクミャクパイロンもたくさんいます。こちらは水飲み場近くの足元注意パイロン。

何かの立体展示をとりかこむ立入禁止パイロン。
ちゃんとミャクミャクが上を指差すポーズなのが細かいですね。
青パイロンに赤色の帽子をかぶせているのもミャクミャクカラーリング?

そしてミャクミャクが太陽の塔に擬態した路面標示もありました。
1970(大阪万博)から1975(沖縄海洋博)、1985(つくば博)と、日本で開催された万博の年表が並んでいます。

脈々とつづく万博の歴史の先に、EXPO2025がありました。
パビリオンの紹介をひとつもせずに、万博の記事を終わります。