伏線は張らなくていい – 「凪の渡し場」開設10周年
令和8(2026)年3月、このサイト〈凪の渡し場〉は開設10周年をむかえます。
ブログ記事は340を超え、「日常に新たな視点を」をキャッチフレーズに、フォント、まちあるき、アートイベントなど、さまざまなテーマを取り上げてきました。
この十年のあいだに、まわりの景色はずいぶん変わってきたようです。
時代は平成から令和へ。
素敵なハレの日も、一寸先さえ見えないような嵐の日もありました。
どんな日々も永遠につづくことはないという自然の摂理は救いでもあり、諦念でもあります。
どちらにせよ、それらの潮目が入れ替わる凪のときを何度も迎えながら、すこしずつ、みらいへと進んできました。
むかし書いた文章を読み返すのは恥ずかしいのですが、サイトの開設から一年後に書いた〈伏線はたぐり寄せるもの〉というテーマの記事を、いま思い出しています。
ここに書いた「あること」は、そのままの形では実現することはありませんでした。
それでも、このときの経験が、わたしにとってかけがえのない〈短歌〉という詩型への出会いに結びつく伏線だったことに、自分の文章を読み返して気がつきました。
少しだけ内実を明かすと、このころ知人と開催したリアルイベントで、ある本を取り上げました。
その本の著者こそ、数年後わたしが偏愛することになる歌集を出されている歌人だったのです。
思わせぶりに張った伏線が、その時点ではまったく予想もしないかたちで大きく結実したことを考えると、無理に「伏線を張ろう」と思う必要はないのかもしれません。
短歌の世界では、一首のなかにある語が〈動く〉という表現があります。
ひとつの単語、あるいは助詞・助動詞を、ほかのことばに置き換えても成立してしまうとき、たいていは否定的な意味で使われます。
五七五七七という、ちいさな枠を最大限活かすには、前後の文脈にぴたりとはまり、他の言葉では置き換えできない、〈動かない〉語を見きわめるのが大切だとされます。
本格ミステリで、さまざまな手がかりをもとに、たったひとつの真実にたどりつく名探偵のように。
張りめぐらされた伏線を回収して、一部の隙もない物語があらわれる瞬間は、大きなカタルシスがあります。
けれども、〈上の句〉の五七五で提示された光景と、まったく違うことが〈下の句〉の七七で詠われる短歌にも強く惹かれるのも、また事実です。
伏線などほとんどないように見えたのに、そこにたどりつくのか…! というタイプのミステリに似た驚きが、そんな歌にはあります。
小説なら、もう一度再読すれば、伏線はかならず見つかるでしょう。
短歌でも、下の句を読んでから上の句を読み返せば、「たしかに伏線かもしれない」という共通点が、すぐれた歌には見つかります。
それでも、上の句を読んだ(詠んだ)時点では、下の句はどのようにでも動かせたはずです。
その柔軟さは、古の歌人たちが楽しんだ、上の句と下の句をつぎつぎとつなげてゆく〈連歌〉という詩型では、よりはっきりあらわれます。
(現代では、NHK短歌で放映されていた「ことばのバトン」のコーナー、といったほうが通じるかもしれません)
人生もまさに、予想もしない上の句と下の句がつぎつぎにあらわれる連歌のようなもの。
そうであれば、上の句で提示された伏線を、どのように回収してもいい。
人生の下の句はいつだって動かせるのです。
伏線は張らなくていい人生の下の句はまだ動かせるから
〈凪の渡し場〉を、一年目から読んでくれている方。
今はもう、会えない方。
いつかふいに、再会できる方。
たった今、はじめて〈凪の渡し場〉を訪れた方。
遠い未来で出会う方。
すべての訪問者に感謝を。
そして、新しい世界への旅は、つづいていきます。