広島の歴史とともに – 熱狂のお好み焼

※この記事は約一年ぶりの〈広島偏愛シリーズ〉です。

広島に行くと、必ず食べるご当地料理があります。

それは、いわゆる広島風お好み焼きです。

 

大阪のお好み焼きとは違って、焼きそばやうどんを入れて焼く特有のスタイル。

オタフクソースをはじめとする、濃厚ソースの味付け。

お店ごとに異なる、さまざまな具材や味付けなどのオプション。

 

そんな個性的な食のスタイルが街中に浸透している広島は、全国各地を旅して見てきた中でも珍しい存在です。

(名古屋のいわゆる喫茶店文化も、それに近いものがありますが)

いったい何故、広島だけにこのようなお好み焼文化が存在するのか。

それを紐解く、〈お好み焼ラバーのための新教科書〉を銘打った本があります。

※「凪の渡し場」では、いままで〈お好み焼き〉〈広島風お好み焼き〉と表記してきましたが、これ以降は本書に従い〈お好み焼〉〈広島お好み焼〉と表記します。

レストランレビューサイトを運営している著者の調査により、お好み焼の発祥から現在にいたるまで、そして名店といわれるお好み焼屋の数々が紹介されていきます。

意外にも、お好み焼のルーツは明治から大正にかけての東京にあるといいます。

この料理はそこから東海道・山陽道をたどるように広まり、そして戦後の復興とともに大阪や広島で独自の進化をあゆみます。

さまざまな店主やその先代のエピソードから、広島というまちの歴史が浮かび上がります。

食の歴史は、ひとの歴史でもあるのです。

 

また本書では、地元でよく出される、ヘラと呼ばれる小さなコテでお好み焼を上手に食べるコツも紹介されています。

多くの具材が層状になっている構造上、うまく切り分けるのにもなかなか苦労することがあります。

慣れた手つきで食べる地元の方にひそかな憧れをいだいていたので、次に広島に行くときまで、この本を読んで予習しておきます(笑)。

 

 

星を見るひとの静謐な世界 – 天文台日記

最後に星を見たのはいつのことか覚えていますか?

こどものころには星座のものがたりや天文学の話題に心をおどらせた人も多いでしょう。

大人になっても、仕事を終えて家路を急ぐ夜更け過ぎ、ふと夜空を見上げれば、無数の星が無限の彼方まで広がっています。

つい「無数」とか「無限」といったことばを使ってしまいましたが、実際には星の数にも、その広がりにも限りはあります。

ただ、ひとりの人間が一生で汲み尽くすには、あまりにも広大で、奥が深い。

その世界を垣間見られるのが、とある天文学者の一年をつづった「天文台日記」です。

まだ山陽新幹線が全通していない時代、瀬戸内海と伯耆大山にはさまれた山中に建てられた岡山天体物理観測所が、本書の舞台です。

74インチという当時日本最大の反射望遠鏡を使うため、全国から研究者が集まり日夜観測を続けます。

資材の準備や現像などで苦労を重ねるエピソードもありつつ、日常から隔絶されたような星見の世界は、どこか郷愁と憧れを誘います。

ロシア革命時の天文学者を題材にした戯曲『星の世界へ』を紹介した一節が印象的です。

長女 あたしの天文がきらいなわけは、地面の上にまだしなければならないことがたくさんあるのに、よくものんきに空など見ていられたもんだと思うからです。

助手 天文学は人間の理性の勝利です。

(中略)

天文学者 一秒ごとに地球の上ではだれか人間が死ぬのだ。宇宙ではおそらく一秒ごとにどこかある世界が滅びるのだ。ひとりの人間の死のために、どうして泣いたり、絶望したりしていられるものか。

 

石田五郎『天文台日記』(中公文庫)

これを読んで『問題解決大全』という本で最初に取り上げられていた「100年ルール」を思い出しました。

生きていれば辛いことも悲しいことも数限りなく起こり、絶えずさまざまなことに思い煩わされます。

それでも人の一生からすれば、100年もすればすべてのことが解決している、そう考えれば気持ちがすこしだけ楽になります。

天文学では光が一年の間に移動する距離をさす「光年」という単位がよく使われます。

光の速さですら何年、何百年とかかるほど離れた星の世界と向き合うことも、人の理性は可能にしてくれるのです。

 

ちなみに本書の初版刊行から半世紀ほど経った令和になっても、岡山天体物理観測所は望遠鏡の利用を続け、岡山天文博物館の管理で一般向けのイベントも行われているようです。

岡山天文博物館 -Okayama Astronomical Museum Home Page-

No Description

 

プロフェッショナルの仕事のバトンリレー – 本をつくる

本とは、不思議な存在です。

本がつくられるのは、中身であるコンテンツを読み手に届けるのが第一の目的であることは間違いありません。

けれど、それだけでなく、そのコンテンツの見せ方、印刷の仕方、そして装丁にいたるまで、さまざまな人の手によってモノとしての本はかたちづくられます。

そんな、一冊の本をつくるまでの過程を追ったのが、こちらの本です。

 

この本は、序章〈本のはじまり〉のあと、〈文字をつくる〉〈組版・活版印刷する〉〈製本する〉という三章で成り立っています。

序章では、詩人・谷川俊太郎さんの詩を書体設計士の鳥海修さんオリジナルフォントで組む、という「本づくり協会」の企画が語られます。

文字をつくるという鳥海さんの仕事に触れた谷川さんが書き下ろしの詩を生み出すことで、実際に企画がスタートします。

鳥海さんの仕事は、谷川さんの詩をイメージしながらも、あくまでふだんから理想とする「水のような、空気のような」フォントをつくることでした。

そしてできあがったフォント「朝靄」をもとに、活版印刷を長く手がける嘉瑞工房の高岡昌生さんは、活版印刷のプロという視点で、微調整を加えつつ詩の本文をつくりあげます。

さらに、手製本に特化した製本会社・美蔫堂の職人の手によって、それは最終的な本のかたちへと変貌を遂げます。

 

それぞれがけっして手を抜かず、プロフェッショナルとして自らの役割を果たし抜き、次の工程につないでいく。

理想的なバトンリレーのような仕事のかたちがここにあります。

 

本づくりの姿勢としては、こちらの本も思い起こされます。

2016年に埼玉と愛知でそれぞれ芸術祭の監督を務めた芹沢高志さんと港千尋さんによる、本のありかたを考えた対談をもとにした一冊です。

ここでは本づくりに携わった数多くの人の名前を、映画のエンドロールのように漏らさず収録するというアイディアが実現されています。

多くのプロフェッショナルの仕事によってつくられる本のかたち。それをまた、次の世代へバトンを渡していきたいと強く感じます。

文字を楽しむおとなの部活 – フォント部へようこそ

学生や生徒時代、部活動やサークル活動に所属していた人は多いと思います。

その楽しみは大人になっても、むしろ大人だからこそより自由にひろげることができます。

そんな大人の楽しみとして〈フォント部〉という概念を提唱しているのが、こちらの本。

明朝体・ゴシック体といったフォントの基礎知識から、まちなかの看板文字や、映画の字幕を作る人のインタビューなど〈作り手〉の世界、さらには〈受け手〉としての楽しみ方まで、あらゆる角度からフォントや文字の魅力をさぐる内容となっています。

「美女と野獣」や「タイタニック」など、数多くの映画字幕を手がけた佐藤英夫さんの手描き文字を、息子の武さんがフォント化したのがシネマフォントだそう。

https://cinema-font.com

 

全国各地のフォントやフォントじゃない文字の風景も多数紹介されています。

例によって東海圏が全く紹介されていない〈名古屋飛ばし〉が残念なので、いくつか「凪の渡し場」の見た名古屋文字情景を紹介しましょう。

今はなき百貨店・丸栄と、プリンセス大通の栄光のアーチ。奥に見える札幌かに本家(名古屋が本社)もポイントです。

名古屋で文字さんぽを楽しむならここ、大須商店街。

 

鉄道文字を楽しむ〈もじ鉄〉的には、やはり関西が楽しい。

雲雀丘花屋敷という駅名も素敵ながら、限られたドット数でちゃんと丸ゴシックを表現するところに阪急電車の心意気を感じます。

ちなみに駅名標はこちら。ひらがな主体なのはJR東海在来線と同じですが、ずいぶん雰囲気が違います。

 

日々を楽しめるフォント部の世界、あなたものぞいてみませんか?

 

 

静かな世界の声を聞く – 宮本常一 伝書鳩のように

宮本常一(みやもと・つねいち)という人物をご存じでしょうか。

〈旅する民俗学者〉という異名を取った彼は、生涯で16万キロ、三千を超える村を訪ね歩き、そこに生きる人々を文章と写真のかたちで写しとりました。

 

平凡社STANDARD BOOKSの一冊として刊行された本書は、宮本常一の膨大な記録の中から選りすぐられた随筆集です。

他のシリーズも寺田寅彦、岡潔、湯川秀樹など科学者・数学者を中心としたラインナップが素晴らしく、百科事典で知られる平凡社だけに、長く本棚に並べておきたいたたずまいを感じられる造本です。

令和の時代にはもはや遠く消えかけている、日本のさまざまな伝承、風習がつづられます。

つまり世の中が静かであったとき、われわれは意味を持つ音を無数に聞くことができたのである。意味を持たない音を騒音といっているが、 今日では騒音が意味のある音を消すようになってしまった。(中略)人間にとっては静かに考える場と、静かに聞く場が必要である。

「宮本常一 伝書鳩のように」(平凡社) p.12

1978(昭和53)年に書かれたこの文章は、いまでも胸に響きます。

スピードや豊かさを求める現代を否定するわけではありませんが、スピードが速くなればなるほど、騒音も大きくなり、小さな音、多様な音を聞きわけることができなくなります。

いま、静かに考える場は、ますます貴重なものになっています。

本を読むというのは、そうやって静かに著者の声に耳をかたむける経験でもあります。

時間も場所も、遠く離れても。

本を開けば、宮本さんの見た静かな世界を、わたしたちは聞くことができるのです。