近江八幡まちあるき(2) – 飛び出しぼうや、ヴォーリズ建築の聖地、そしてラコリーナ近江八幡

近江八幡まちあるきの後半です。前回の記事はこちらからどうぞ。

近江八幡まちあるき(1) – 近江商人、飛び出しぼうや、そしてヴォーリズ建築

 

今回は八幡堀からスタートします。

鳥居をくぐり、日牟禮八幡宮への参道を先に進むと、八幡山ロープウェー乗り場が見えてきます。

恋人の聖地などと書かれていますが「飛び出しぼうやの聖地」の間違いですね。それが証拠に、お土産屋さんには飛び出しぼうやのグッズがたくさん。

 

ロープウェーの往復乗車券は大人880円ですが、前回購入したパスポートで利用できます。

山頂には琵琶湖が見渡せるスポットも。

八幡山城跡まで行くと、京都より移築された村雲御所瑞龍寺があるそうですが、今回は立ち寄りませんでした。

 

ロープウェーはこのくらいにして、八幡堀まで戻ります。

手こぎの和船が行きかう風景を見ると、伏見桃山を思い起こします。これが安土桃山時代ということでしょうか。

なにやら由緒ありげな「八幡瓦由来」の立て看板が。文章をよく読んでみると…???

 

そんな八幡瓦の歴史を楽しめるのが、かわらミュージアム

館内はもちろん、屋根に掲げられた瓦や中庭など、随所に遊び心を感じられます。

見にくいですが、よく見ると鯉模様…恋もよう? その謎は館内の展示で明かされます。

 

ちなみに、かわらミュージアムの周辺には、あちこちに鬼瓦を配した「お触書」があります。

このお触書を二か所以上見つけて、入館時に写真を撮って見せると、オリジナルストラップがもらえます。

どこにあるかは書きませんので、飛び出しぼうやとあわせて探しながら、まちあるきを楽しんでみましょう。

 

さて、かわらミュージアムから南に行くと、またまたヴォーリズ建築が現れます。

こちらは旧八幡郵便局

老朽化した建物を、地元の有志の方がセルフビルドで復元・保存活動を行っているそうです。

館内はその活動の紹介のほか、骨董品の販売も行われています。

道行く人も、ヴォーリズの名前は知らずとも、建物に惹かれて立ち寄る姿が多く見られました。

さまざまなきっかけで、もっと多くの人にこうした建築の魅力が伝わればいいなと思います。

 

そして、旧八幡郵便局から東に数分、ヴォーリズゆかりの近江兄弟社学園があります。

学校法人ヴォーリズ学園

滋賀県近江八幡にあります学校法人ヴォーリズ学園の公式サイトです。保育園・幼稚園・子供センター・小学校・中学校・高校・学園を紹介しています。

メンソレータム(現メンターム)で有名な近江兄弟社が設立した学園で、現在は学校法人ヴォーリズ学園となっています。

その一角が、学園の建築費を寄付したハイド氏にちなみハイド記念館として公開されています。(入館料200円)

この学校の卒業生という方に丁寧なご説明をいただきながら、ゆっくりと見学。

建物の雰囲気は同じくヴォーリズの学校建築として有名な旧豊郷小学校にも通じるところがあります。

幼稚園舎という建築の目的に沿い、窓枠や手すりが子供の目線に合わせて作られており、その建物と人の記憶がいまも、優しく時間を重ねています。

 

学園をぐるっと回って北に行くと、バス停までも美しい屋根とタイルで彩られています。

こちらの学園前バス停から長命寺線、あるいは徒歩で20分ほど北へ向かい、今回の最終目的地にたどり着きます。

 

そう、藤森照信展で模型を観て以来、ずっと行きたかったラコリーナ近江八幡です。

ラコリーナ入口のピクトさん。

 

四季折々の姿を見せるラコリーナ、ちょうど田植えが終わったところのようです。

館内はとても混雑していますが、入口すぐのメインショップより、中庭にあるお店のほうが空いているので、あまり焦らず中に進みましょう。

(2017年7月より、新しくフードガレージがオープンするようです)

ショップ情報|ラ コリーナ近江八幡 | たねや

周囲の水郷や緑を活かした美しい原風景の中での、人と自然がふれあう空間づくり。和・洋菓子を総合した店舗および飲食施設や各専門ショップ、農園、本社施設、従業員対象の保育施設などを設けるたねやグループの新たな拠点です。

 

建物・人・自然が一体となって、ここにしかない空間が現れる。

そんなたたずまいに感銘を受ける、近江八幡のまちあるきでした。

 

近江八幡まちあるき(1) – 近江商人、飛び出しぼうや、そしてヴォーリズ建築

滋賀県、近江八幡市。

古くは安土桃山時代、本能寺の変で織田信長が没した後、豊臣秀次によって開かれた八幡城の城下町として発展を遂げます。

また、ウィリアム・メレル・ヴォーリズによる建築など、複合的な視点での楽しみ方もできるまちです。

そんな近江八幡のまちあるきを、2回に分けてご紹介します。

 

スタート地点はJR東海道線(琵琶湖線)・近江八幡駅。米原駅と京都駅のほぼ中間に位置します。

駅北口の観光案内所では、近隣の資料館やミュージアム、ロープウェイに利用できる「近江八幡おもてなしパスポート」を一冊1500円で販売しています。

簡単な施設紹介や地図も載った小冊子になっているので、おすすめです。

 

施設は駅からバスで5分ほどの「小幡町資料館前」付近に集中しています。

徒歩でも20〜30分ほどなので、天気と体調に相談しながらまちあるきを楽しみましょう。

駅前ではスーパー・平和堂が解体工事を行っていました。おそらくいましか見られない、パイロンと平和堂看板つき街路灯のツーショット。

 

かわいいミニサイズの積みパイロン。

 

小幡交差点の東、新町通りが、歴史的なまちなみを保存・再生した「近江商人の街並み」になっています。

八幡商人の歴史を伝える郷土資料館。奥で歴史民俗資料館につながっています。

その向かいにある旧伴家住宅は、江戸時代としてはめずらしい3階建て。

「見ざる・言わざる・聞かざる」の逆、「見て・聞き・話そう」。もはや猿は関係なくなってしまっていますが、大切なことですね。

3階の大広間には、江戸〜明治時代の商品の広告に使われた「引き札」が展示されていました。

乳牛良純(にゅうぎゅうよしずみ)…ではありません。

ダイナミックな筆遣いのロゴ、絵柄、カラーリング、すべてがすばらしい。

 

このまま北に向かうと、八幡堀を超えて、日牟禮八幡宮、ロープウェイがあるのですが、その前に、西へ向かってみましょう。

いっけん何の変哲もない住宅街も、路上観察の目をもって見れば文化財の宝庫です。

絶妙なバランスの「八幡池田郵便局」のロゴ。

結納の店? ギフトショップ??

 

交差点の四隅に大量に設置された「飛び出し注意」の看板。そう、滋賀県はこの通称「飛び出しぼうや」の発祥の地と言われています。

次回ご紹介する観光地仕様の飛び出しぼうやも探す楽しみがありますが、こういった素朴なデザインもまた素敵です。

飛び出しぼうやのまちは、あとしまつ看板のまちでもありました。とても挙げきれませんが、こちらもやけに種類が多いのです。

「ポチいくよ シャベルとふくろ 手にもって」

立て看板の中に、さらに五七五の立て看板まで描いて、なんという念入りなあとしまつ看板でしょう。

 

江戸時代から、明治・大正・昭和。幾世代もの人々の生活が積み重なって、このまちなみは今ここにある。

 

そして見えてきました。池田町洋風住宅街

まるで建売のモデルハウスのように唐突に登場する、これが建築家・ヴォーリズが1912年に手がけた一連の建物です。

西洋建築でありながら、日本の風土をうまく取り入れた多種多様の作風がヴォーリズの魅力でもあります。

こちらは現在非公開ですが、ほかにも近江八幡には、いまも現役で使われるたくさんのヴォーリズ建築があります。

この続きは後半で…。

 

 

街をゆく人々の足跡を感じる – ストリート・ウォッチング

路上観察の目をもって街へ出れば、あらゆるものが観察の対象として楽しむことができます。

でも、街にあるのはモノだけではありません。

街を行き交う人々にまで目を向けて、まちあるきを楽しめる本が、こちら。

 

たとえば、ぽかぽかした陽気の日。

ふかふかした芝生の上で、ゆるやかな傾斜のついた河原で、ついリラックスして寝転んでしまう人々の姿。

 

あるいは、にぎやかな休日のメインストリート。

路上ライブがはじまり、道行く人が足を止め、いつとはなしに人だかりができる。

 

街と人が相乗効果をもって、刻一刻と変わる風景が生み出されていきます。

 

そんな人によって生み出される街の風景のひとつに、行列があります。

流行のお店や老舗のお店の前にできる、楽しみを待つ行列があるいっぽうで、駅のホームやスーパー・コンビニのレジ前のように、並ばざるをえない行列もあります。

わたしはどちらにせよ行列がとても苦手なのですが、視点を変えて、行列に並ぶ人自体を観察することで、客観的な気持ちになることができます。

同じように時計を見てイライラしている人、スマートフォンなどで時間をつぶす人…。

まだしも、通勤でいつも使う駅やなじみのお店であれば、どこに並べば良いか見当がつくものですが、はじめての場所では、勝手がわからなくて余計にイライラするもの。

そんなときも、地元の人であろう周囲を冷静に観察することで、行列にうまく対処するコツが見つかるかもしれません。

 

そもそも、行列があると並んでしまう、というのも人の心理学的な行動ですね。

まわりの人の動作につられてしまう「同調現象」「同調行動」について、この本でもいくつか触れられていますが、有名なものに路上観察学会の「御所の細道」があります。

京都御所を取り囲む京都御苑の砂利道に、うっすらとできた一本の道。

御苑内を自転車で通る人々が、同じところを通るために自然にできた跡だといいます。

 

路上観察から、やがて人間観察につながる。

まちあるきの楽しみは、さらにひろがります。

 

 

日常に静かに寄り添う – めぐりあう日々の用品 ずっと使いたい87のもの

わたしたちは日々、さまざまなものに囲まれて暮らしています。

そんな中で、なんとも言えず手になじんだり、末永く大切に使いたいと思えるものに出会うことがあります。

そんな、モノへのあたたかで丁寧なまなざしが感じられる、こちらの本を今回はご紹介します。

 

民芸品のような一点ものの手仕事から、食器、綿棒のように大量生産されるものまで。

「はたらく」「あそぶ」「もてなす」「たしなむ」といった日常のシーンに合わせて、形も大きさもさまざまな品が登場します。

でもどれも、どこかなつかしくあたたかい。

こんなふうに、作り手の想いが込められたものに囲まれて暮らす日々を想像するだけで楽しくなります。

 

また、著者の津田さんの文章が、実に静かで素敵なのです。

 

好きなものを語るとき、誰しも独特の熱量がこもります。

それでいて、声高に主張しすぎない。それこそが著者のいう「たしなみ」につながるものだと感じます。

大きな声を上げた瞬間、聞こえなくなるものがある。見えないものに気づかなくなる。

 

日々の暮らしに静かに寄り添うものだからこそ、語り口もそれにふさわしく、静かで地に足のついたものでありたい。

 

そんな、ものを語る視点でも勉強になる一冊です。

 

違う視点をもつわたしたちが「わかりあう」ということ

先日、TV番組「マツコの知らない世界」でフォントの世界が取り上げられていました。

何百種類ものフォントを見分けられる絶対フォント感をもつ方をゲストに、本やまちなかで使われるさまざまなフォントを紹介していきます。

 

このように、趣味が近い方の話を聞いていてつくづく思うのは、たとえ趣味が似ていても、注目するところ、視点は微妙に異なるのだということです。

番組でも、最後に国鉄時代のフォント・スミ丸ゴシックが紹介されたところで、マツコさんはフォントより駅名標自体のデザインに関心があるような口ぶりだったのが興味深いところ。

 

もし、同じように文字好き・フォント好きの人を集めてまちあるきをしたとして、きっと着目するところはみんな少しずつ違うのだと思います。

(ちなみに、文字、ロゴ、フォントはそれぞれ似て非なる概念なので、「文字好きの人」と「フォント好きの人」は同じとは限りません)

 

そして、わたしにとってみれば、そんな違いが生まれること自体が、とても楽しい。

 

ひとりひとりの「視点」のちがいを考えるの記事で書いたとおり、たとえとなりどうしに並んでいても、同じ視点は存在しません。

違いがあることで、争いが生まれることも世の中にはあるけれど。

ある程度の共通基盤をもった中であれば、違いこそ、お互いの個性として楽しむことができます。

 

「わかる」は「分かる」と書くように、分類することで世界を細かく見ていく方法。

そうやって分かれた世界も、遠くから見れば、モザイク画のようにひとつの大きな絵になる。

 

分かれて、またまじり合う。

 

そんな、ふたつの視点を合わせもつことが、「わかりあう」ということなのかもしれません。