表現の力を高める、美術解剖学

絵を描いたり、文章を書いたり、なにかを表現するにあたって、大切なことはなんでしょうか。

それは、自分だけの視点、ものの見方を身につけ、それを人につたえること。

 

今回は、そのヒントになりそうな一冊を紹介します。

 

著者は、東京藝術大学美術学部を卒業したのち、大学院で「美術解剖学」を専攻した方。

美術解剖学というのは、レオナルド・ダ・ヴィンチ以来の伝統がある、美術を深く学ぶために人体解剖をする学問だといいます。

 

この本は、その経験を活かし、布施さんが出演されたNHKの番組「課外授業ようこそ先輩」で、小学生向けに行った授業をもとにしています。

人体解剖のかわりに、魚を実際に釣り上げ、自分たちの手で解剖する。

死んだ魚をじっくり観察した後、目の前に現れる、泳いでいる魚に宿る生命の力。

そうした経験を通して描いた絵は、授業の前に描かれた絵とは見違えるように豊かな表現力をもった、ひとりひとりの視点の違いが際立つものになっていきます。

 

そして、この手法は絵を描くこと以外にも応用ができそうです。

実は、この本を購入したのは、六本木の21_21 DESIGN SIGHT で行われていた「デザインの解剖展」の会場。

21_21 DESIGN SIGHT – 企画展「デザインの解剖展: 身近なものから世界を見る方法」 – 開催概要

展覧会ポスター 21_21 DESIGN SIGHT では、2016年10月14日より、企画展「デザインの解剖展: 身近なものから世界を見る方法」を開催いたします。 私たちは日々、数え切れないほど多くの製品に囲まれて生活しています。大量に…

この企画展では、魚のような生物ですらなく、明治きのこの山、おいしい牛乳などの食品を解剖していく試みが行われていました。

パッケージのロゴ、フォントに注目してみたり。

原材料の産地、製法に注目してみたり。

 

よく知っていると思っていた製品でも、細かく解剖し、観察することで、いくらでも知らなかったことに気づくことができます。

それも、製品の作り手が生み出した、表現のひとつ。

 

身近なものを解剖していくことが、表現の幅を広げ、表現力を高めることにつながります。

 

ひとをまねく、ねこのまち – 常滑まちあるき

名古屋から、名鉄特急で30分。

中部国際空港セントレアを臨む、伊勢湾に面したまち、常滑(とこなめ)。

常滑焼や、招き猫の生産で有名ということは知っていながら、なかなか訪れる機会がなかったこのまちに、今回は足を運んできました。

そこは想像以上に、招き猫と驚きのあふれるまちでした。

 

まずは、名鉄常滑駅から東へ。

坂の下に、ずらりと常滑焼のモニュメントが並んだ「とこなめ招き猫通り」。

ひとつひとつ、違ったご利益のある招き猫だそうです。

プレートを見ながら歩くのはもちろん、見ずに御利益を想像するのも楽しい。

こちらは「晴天祈願」だそうで。晴れてほしい日に、お守りとしてスマートフォンの待ち受けにしたい(笑)。

 

そのまま歩くと、陶磁器会館の建物が見えてきます。

中で、常滑焼やお土産を買うことができます。となりには喫茶店も。

 

ここから坂をのぼった先は、工房やギャラリーが立ち並ぶ「やきもの散歩道」として整備されています。

名古屋芸大の常滑工房、という看板がちょっと気になりましたが、中に入れるのかは不明。

 

路地の風景は、香川の小豆島にある「迷路のまち」にもちょっと似ています。

似ているようで違うのは、こちらにはそこかしこに招き猫がいること。

招き猫と「あとしまつ」立て看板の共演でテンションが上がるのは、わたしだけかもしれません。

お手製の「あとしまつ」看板も。

おや、この猫型ピクトさん(ピクトニャン)は…?

 

出ました!

日本各地の珍風景を集大成した雑誌「ワンダーJAPAN」の表紙を飾ったこともある、巨大招き猫「とこにゃん」。

 

実物を見ると、その存在感に圧倒されます。

あれ、手前に猫がいる…? と思ったら、よく見ると、これも作り物。

 

やきもの散歩道を普通に散策するだけでも楽しいですが、「凪の渡し場」的にはもちろん、まちの魅力は、それだけではありません。

地元民にはおなじみ「とこなめ競艇」(現・ボートレース常滑)の真っ白になった看板。

 

旧常滑市役所の建物を活用しているらしい、中央商店街の事務所。

この路地にも、招き猫のやきものがあちこちにあります。

 

もちろん、良い文字もたくさんあるので、タイポさんぽにもうってつけ。

新しい建物ですが、流れる水のロゴがかわいい、アグリス(JAあいち知多)

 

そんなふうにまちあるきを楽しんでいると、あっという間に日が暮れてゆきました。

これだけの招き猫のあるまち。人も招かれ、福も招かれてゆくことを願ってやみません。

 

忘却するわたしたちの、夢と現実を区別するもの

人は忘却する存在です。

小説家・西尾維新の作品に、一日ごとに記憶がリセットされる「忘却探偵」掟上今日子を主人公とするシリーズがあります。

今日子さんほどでなくても、わたしたちは毎日、いろいろなことを忘れていきます。

朝起きたとき、見ていた夢のことをすぐ忘れてしまうように。

現実にあったことも、時間がたてば忘れてしまいます。

しっかり記憶したつもりでも、現実にあったことなのか、夢だったのかさえ、あいまいになることも。

 

では、夢と現実を区別するものはなんでしょうか。

 

それは、現実に起きたことは忘れないように文章や写真で記録したり、モノとして形にすることができる点。

夢の中で建てたお城は、どれだけ大きくても目を醒ませば消えてしまうけれど、現実で作ったものは、どれだけ小さくても残ります。

 

まさしく、区別するモノ。

その意味で、モノは自分の記憶を構成する一部であるともいえるでしょう。

 

今日子さんは探偵としての守秘義務のため、自分の身元を証明するものや、記録をいっさい残しません。

唯一の記録は、彼女自身の体に書かれた備忘録。

シリーズ最新刊「掟上今日子の旅行記」では、それを犯人に悪用され、自分がエッフェル塔を盗む「忘却怪盗」であると誤認識させられてしまいます。

 

モノによって揺らぐ、探偵・掟上今日子という存在。

わたしたちも、不意にそんな気持ちを実感することがあります。

 

LINEのトーク履歴が消えてしまったとき。

パソコンに保存していた写真や日記が消えてしまったとき。

あるいは、大切な思い出の品をなくしてしまったとき。

 

自分の体の一部がなくなってしまったような幻視、喪失感をおぼえます。

 

だからこそ、データはこまめにバックアップして。

旅行に行ったときは、自分や誰かのために、大切な思い出にしたいお土産を買うのでしょう。

 

 

今日子さんは旅行に行ってもお土産を買うことはないでしょうけれど。

西尾作品の中でも最速の刊行ペースで掟上今日子の「記録」が形として残されていくのは、そんな意味合いもあるのかなと感じます。

 

 

路上と動物との共存を考える – さんぽあとしまつ

まちあるきをしていると、路上のあらゆるものが観察の対象になります。

 

たとえば、お店の看板や貼り紙の文字に目を向けたタイポさんぽ

たとえば、一般にカラーコーンという商標で知られるパイロン

 

そして最近、ひそかに気になっているものがあります。

 

それは、犬などのペットを散歩させる飼い主に向けて書かれた注意書きの立て看板。

すでに決まった呼び方があるのかもしれませんが、わたしは仮に「あとしまつ」系とよんでいます。

今回は、ペットも連れずに、立て看板だけを目当てとした「あとしまつ」散歩を楽しんでみましょう。

 

まずは、文字通り、ペットのあとしまつを飼い主にお願いするメッセージが書かれたもの。

地方自治体の名前と、犬のキャラクターが描かれたものがよく見られます。

ふしぎなことに、同じ自治体でも、少し歩くと違う犬のキャラクターに出会うことがあって、探すのが楽しくなります。

描かれるのは犬が多いですが、たまに猫が登場することも。野良猫へのえさやり禁止を兼ねたメッセージのようです。

 

なぜか、この犬だけはあちこちで見かけます。下のふたつはフォントも同じですね。

 

ピクトグラムになった犬。ピクトさんに飼われるピクトワンでしょうか。

 

ピクトさんといえば、日本ピクトさん学会会長・内海慶一さんのイベントで岡山に行ったときに見つけた、こちらのあとしまつ。

自分であとしまつをするという、かしこい犬。

タウンボーイDSKというのが検索しても出てこなくて謎です。

 

ときには、ちょっと強い口調で怒られたり。

 

と思ったら、「ワンちゃん」とやさしく諭されたり。

 

もはや文字が消えていてもなんとなくつたわってしまいます。それこそがペットへの愛情の証かもしれません。

 

まちには人間ばかりではなく、ペットも、野良犬、野良猫だっている。

そんな人間と動物との共存についても考えさせられてしまう、まちあるきでした。

 

今回のおまけ。

しゃちほこ立ちをしつつ、目も名古屋市章の「まるはち」に。

なんとも名古屋愛にあふれた犬でした。

 

自分と正反対の存在から、力を得る – 向かい干支

二月も半ばを過ぎ、年末年始に年賀状を書いた人もそうでない人も、早くも今年の十二支がなんだったか思い出せなくなっているころかもしれません。

 

今年、平成29年はそう、酉(とり)年です。

 

わたしは生まれも酉年ということで、今年に入ってからというもの、ものがたりの登場人物や作者が酉年だったりすると、さらに印象が深くなります。

たとえば、中勘助(明治18年生)の自伝的小説「銀の匙」では、主人公の幼少期、同じ酉年生まれの少女と仲良くなるという描写があります。

 

そして、中勘助よりひとまわり上、明治6年に生まれたのが、幻想的な作風で知られる泉鏡花

その故郷、金沢にある泉鏡花記念館では、ちょっと変わった企画展が開催されています。

企画展情報 | 泉鏡花記念館

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題して、「酉TORI/卯USAGI―錦絵で愉しむ向かい干支」。

向かい干支というのは、十二支を円周上にならべたとき、ちょうど向かい合わせにあたる存在。

鏡花は、酉の向かい干支にあたる卯(うさぎ)をモチーフにしたものを収集していたといいます。

 

陰と陽が対になるように。

あるいは、互いに正反対の性格だったり、自分にないものをもっている人に惹かれるように。

 

自分と正反対のものから、力を借りるという発想で見れば、いちだんと世界が広がるのではないでしょうか。

向かい干支の解説付き、十二支しおりもあります。