静かな世界の声を聞く – 宮本常一 伝書鳩のように

宮本常一(みやもと・つねいち)という人物をご存じでしょうか。

〈旅する民俗学者〉という異名を取った彼は、生涯で16万キロ、三千を超える村を訪ね歩き、そこに生きる人々を文章と写真のかたちで写しとりました。

 

平凡社STANDARD BOOKSの一冊として刊行された本書は、宮本常一の膨大な記録の中から選りすぐられた随筆集です。

他のシリーズも寺田寅彦、岡潔、湯川秀樹など科学者・数学者を中心としたラインナップが素晴らしく、百科事典で知られる平凡社だけに、長く本棚に並べておきたいたたずまいを感じられる造本です。

令和の時代にはもはや遠く消えかけている、日本のさまざまな伝承、風習がつづられます。

つまり世の中が静かであったとき、われわれは意味を持つ音を無数に聞くことができたのである。意味を持たない音を騒音といっているが、 今日では騒音が意味のある音を消すようになってしまった。(中略)人間にとっては静かに考える場と、静かに聞く場が必要である。

「宮本常一 伝書鳩のように」(平凡社) p.12

1978(昭和53)年に書かれたこの文章は、いまでも胸に響きます。

スピードや豊かさを求める現代を否定するわけではありませんが、スピードが速くなればなるほど、騒音も大きくなり、小さな音、多様な音を聞きわけることができなくなります。

いま、静かに考える場は、ますます貴重なものになっています。

本を読むというのは、そうやって静かに著者の声に耳をかたむける経験でもあります。

時間も場所も、遠く離れても。

本を開けば、宮本さんの見た静かな世界を、わたしたちは聞くことができるのです。

 

 

デザイナーやエンジニアの見る世界

こどものころから、ものをつくる人に憧れてきました。

 

身の回りにあるおもちゃも、電化製品も。

線路の上を走る列車も、空を飛ぶ飛行機も。

現代社会に欠かせないあらゆるものは、この世界のどこかの誰かがデザインして、形にしたものだということを、わたしたちはいつとはなしに理解します。

「design」という英語は現在、そのまま〈デザイン〉というカタカナの日本語になっていますが、明治時代には〈設計〉という言葉で訳されました。

デザインとはもともと、見た目を整えるだけではなく、ものがどうやって動くのかというエンジニアリングの観点も、またそれがどう使われるのかというユーザビリティの観点も含む、広い意味のことばです。

 

そんなデザインとエンジニアリングの両方の視点が混在するのが、デザイナーであり東京大学教授の山中俊治さん。

山中さんはSuicaの自動改札機をデザインしたことで知られます。

今では当たり前になった改札の光景ですが、SuicaのようなICカードが登場する前は、東京の、いや日本中の誰も、カードをかざして改札を通るという経験をしたことがなかったのです。

そんな人の動きを想像し、実際に何度もテストを繰り返して、自然に改札を通れるように読み取り機の角度を調整した結果、今にいたる日本中の駅の「当たり前」がつくられたのです。

本書では山中さんのTwitterでのつぶやきをベースに、東京大学の研究室で、あるいは企業や研究機関と共同で、まだ世の中に存在しない製品のありかを探すように、スケッチと言葉が重ねられていきます。

その言葉に宿る純粋な響きは、どこか工学博士で作家の森博嗣さんに通じるところがあります。

森さんも長年大学で学生の指導に当たりながら、趣味(個人研究)で工作を続けてきたことから、世界に対して似通った視点をもつものなのかもしれません。

 

一流のデザイナーやエンジニアの言葉は、それ自体が製品のように、情熱をうちに秘めているかのようです。

 

新しい時代を生きるヒントに – 学びのきほん

この記事を書いているのは2019年5月2日、元号は平成から令和となり、大きな時代の変わり目にいることを実感します。

今回は、新しい時代を生きるヒントになりそうな二冊の本を紹介します。

どちらもハードカバーと同じサイズ(四六判)ながらカバー無しの表紙に税抜670円と手に取りやすいデザイン、NHK出版から創刊された「学びのきほん」シリーズの本です。

本を開けば、全4回の著者による講義を聴くように、それぞれの分野についてわかりやすく学べる…という構成に見えますが、どうやら、それだけではありません。

批評家・随筆家の若松英輔さんによる「考える教室」では、プラトン、デカルト、ハンナ・アレント、そして吉本隆明といった名だたる思想家・哲学者の本をひもときつつ、哲学とは先人の考えを知ることよりも、むしろ自分自身にとっての問題を考えることが大事だということを教えてくれます。

国語辞典編纂者の飯間浩明さんによる「つまずきやすい日本語」では、〈正しい日本語〉〈間違った日本語〉があるわけではなく、コミュニケーションの手段としての言葉がときに誤解を生む理由をさぐりながら、人それぞれの言葉の使いこなし方を考えていきます。

 

〈学ぶ〉とは単に知識を得るだけのものではありません。

それは人が自分の人生を生きていくために必要な行為なのです。

 

ところで、飯間さんの本のあとがきでは、執筆のとき「どう表現するのが適当か、いちいち悩む」と書かれています。

まさにこのブログ「凪の渡し場」を書くときも、毎回同じことを悩んでいます。

単語の選びかたひとつ、文の組み立てかたひとつで、わかりやすい表現になったり、誤解を招く表現になったり。

もちろん、どれだけ気を配ったとしても、育ってきた背景や、ことばに対する感性は人それぞれなので、完全に伝え手の狙い通りに受けとめられることはないでしょう。

違う視点をもつわたしたちが「わかりあう」ということ

 

伝えたい想いが100%伝えられない。

それがことばのもつ限界であり、コミュニケーションの難しさでもあります。

 

けれど、それでも。

伝わらないかもしれなくても、伝えたい。

それがことばの存在する理由であり、その叡智が本というかたちで結集したからこそ、時代を超えて読み継がれることも可能になったのです。

 

車は急に止まれない。けれど行き先は変えられる

長い道のりを進んできました。

歩き始めた頃、はるか遠くに見えていた目標は、まだまだ先にあって。

ひょっとしたら、いま行く道を先に進んでも、そこにたどり着くことはできないかもしれない。

そんな不安さえよぎります。

けれど、「車は急に止まれない」と標語にもあるとおり、人生も、どうやら急に歩みを止めることはむずかしいようです。

これはちょっと違うかも、と頭で判断して、じっさいにブレーキをきかせるまでの時間も。

ブレーキが、じっさいにききはじめるまでの時間も。

それまでの人生のスピードや、まわりの状況に応じて、長くかかることがあります。

 

それでも。

人生はけっして一本道ではありません。

この道を進んでいけないと思ったら、いつでも進路を変えることはできるのです。

もちろん、それだって少し時間はかかるけれど。

 

ちょっと曲がりくねった、行く先も見えない道をあえて進んでみたり。

まっすぐの道とは、スピードも景色もまるで違って見えるのも楽しいものです。

 

もと来た道を逆にたどることだって、けっしてムダではありません。

反対側からなら、いままで見えていなかったものが見つかるかもしれないし、行きは入りにくいと思った横道も、するっと入れてしまったりして。

 

同じところをぐるぐるしたって、たまにはいいじゃない。

迷子になっても、間違っても、道は道で、進めはススメ。

 

ときどきひとりでどんどん進んで。

誰かと合流して、また別れて。

そんな人々の道行く先に、幸多からんことを。

 

トンネルを抜けると霧の国 – 亀岡まちあるき

以前「半歩踏み出す、ものがたり旅」という記事で〈半日旅〉をすすめる本を紹介しました。

この本で気になった場所のひとつに、京都府亀岡市があります。

JRで京都駅からも20分程度、けれど旧国名では丹波国に属し、京都に似ているようで違う、落ち着いた雰囲気の街らしいです。

ということで、さっそく行ってきました。

 

まずはJR京都駅、嵯峨野線(山陰本線)ホームへ。

今年(2019年)3月には、京都鉄道博物館や梅小路公園の最寄駅として梅小路京都西駅も開業予定です。

駅構内ポスターは安定のPOP体でした。

嵯峨嵐山駅を過ぎると、ぐっと乗客は減って、長いトンネルで険しい山峡を越えます。

山城国と丹波国、国境のトンネルを抜けると、霧の国だった——

そう言いたくなるほど美しい霧が広がる市街が見えてきました。

盆地のため霧が広がりやすく、竜ヶ尾山の山頂付近には「霧のテラス」という名所もあるそうです。

かめおか霧のテラス ライブカメラ|ぶらり亀岡 亀岡市観光協会

かめおか霧のテラス ライブカメラ|亀岡市観光協会のページです。亀岡の観光の見どころや、湯の花温泉、保津川下り、嵯峨野トロッコ列車の紹介はもちろん亀岡の、四季の花や、グルメ情報、イベント情報を発信しております。いろいろな亀岡を探索して頂きながら、あなただけの亀岡を探してみてください!

 

亀岡駅舎、特徴的な形をしています。

北口では京都スタジアム(仮称)が工事中でした。2020年のオープン予定だそうです。

 

「国鉄山陰線」という表記におどろいた看板、〈京都府下随一のスケールと楽しいインテリアを創造する〉というスケールの大きい謳い文句も惹かれます。

 

まるいフォルムと外階段の対比がかわいい。

マンホールは上下どちらから見ても亀の形をしています。

「🐕のフンは飼主が持ち帰りましょう!」と、犬のイラストを絵文字のように使うあとしまつ看板は意外にめずらしい。

 

まちあるきを楽しんだら、亀山城址へ向かいます。

亀岡市は明智光秀が築いた丹波亀山城の城下町として栄えました。

織田信長の謀反人というイメージが強い光秀ですが、2020年のNHK大河ドラマ「麒麟がくる」の主役となるなど、再評価が進みそうな予感がします。

そして、城の名前は「亀山城」なのに何故「亀岡市」なのかというと、三重県に同じ亀山という地名があってややこしいため、明治の廃藩置県ごろに亀山から亀岡に改称したとのこと。亀岡県となるも、ほどなく京都府に合併されます。

なんだか数奇な運命をたどったまちですが、さらに変わっているのは現在の亀山城、実は宗教法人大本の所有する土地となっています。

大本の聖地〈天恩郷〉とされていますが、一部の禁足地以外は本部で申し出れば誰でも自由に見学できます。

 

亀山城址の近くには亀岡市文化資料館もあります。

もとは亀岡市立女子技芸専門学校だったそうで、白い建物はなつかしい学校らしさを感じさせます。

入館料は210円、古代からの亀岡の歩みを学ぶことができます。

そして、ここ亀岡は「こち亀」で有名な秋本治先生の新作漫画「ファインダー」の舞台ともなっています。

文化資料館にも作品や秋本先生の紹介があり、さらに近くのハンバーガーショップ「ダイコクバーガー」は登場する女子高生たちの行きつけの店として大々的にコラボレーションしています。

こちらの意味での〈聖地巡礼〉をする人も増えているのだとか…。

 

いろんな楽しみ方ができる、亀岡市まちあるきでした。