広島五日市・コイン通りと通貨の歴史

今回は久しぶりに広島偏愛シリーズの記事です。

広島市内から厳島神社のある宮島口までをむすぶ広島電鉄こと「ひろでん」は、路面電車としては日本一の路線網を誇ります。

それゆえに、○○町、○丁目などといった似たような名前の電停が多いのですが、個人的になかなか覚えられなかったのが宮島線の〈広電五日市(いつかいち)〉と〈広電廿日市(はつかいち)〉です。ともにJRの駅とも隣接しています。

後者はとなりに〈廿日市市役所前〉という早口言葉のような駅があることからもわかるように、広島県廿日市市にあります。厳島神社のある宮島町も2020年(令和2年)現在は廿日市市の所属となっています。

いっぽうの五日市は旧佐伯郡五日市町が広島市に編入されたもので、現在は佐伯区に属します。となりの駅〈佐伯区役所前〉は五日市駅がJRの駅近くに移設されたことを期に新設されたそう。

ちなみに西広島から宮島口までは厳密には路面電車ではなく線路を走る鉄道路線(なので、電停ではなく「駅」扱い)。緑の駅名標も格好いいですね。

そんな五日市には〈コイン通り〉というちょっと変わった名前の商店街があります。

コイン通り商店街

広島市佐伯区(五日市)のパワースポット。日本に3つしかない造幣局に面した約1.5キロの通称「コイン通り」とその周辺地域からなる商店街です。金運アップの「金持神」に会える街、コイン通り商店街にお越し下さい。

 

日本のコイン(硬貨)を製造する造幣局広島支局が存在することから名づけられたそうで、街路灯には「金持神に会える街」というキャッチフレーズののぼりが立ち並びます。

ゆるキャラ(Ⓒみうらじゅん)はうちでのこづちちゃん

さらに歩いていくと、日本史上に流通したコインを手にする動物の石像が次々に現れます。

写真を見返して気づきましたが、向かいにはボンドのコニシ株式会社がありました。ガラス扉の奥に写る巨大ボンドも気になります。

かねもちたい! といいつつ、この体勢は持っていないと思いますが…。

このベンチにも何かきざまれているようですが、よくわかりませんでした。

そして金持神がまつられている金持稲荷大社は、ビルの屋上という謎のロケーションにあります。

絵馬やお札、金運上昇の〈銭洗い〉の受付などは一階の酒屋さんで授与されるとのこと。

金持酒というのもあるので、お酒好きな方へのお土産にぴったりですね!

「ご注意ください」の貼り紙が大きすぎて何かと思ったら、一円玉の表にきざまれた若木をモチーフにした開運の若木だそうです。

 

とにかく遊び心にあふれたスポットばかりのコイン通りでした。

春には、桜の通り抜けで有名な大阪造幣局から広島造幣局に移植された桜が咲き誇る〈花のまわりみち〉も開催されるそうです。

(残念ながら2020年は新型ウイルスの影響で中止とのこと)

 

2019年、視点がひろがる15冊

令和時代をむかえた2019年も残りわずかです。

年をとると、季節の移ろいがあっという間に感じる人は多いでしょう。

その理由のひとつに、こどもは毎日が新しい経験ばかりだから時間感覚が長く、おとなになると同じことの繰り返しがふえてくるので短く感じるという説があるそうです。

それでいうと、ことしは個人的に新しいことや、いままで苦手だったことにも取り組んだ一年で、比較的長く感じました。

「平成31年」と「令和元年」二年ぶんを生きたような気分にもなります。

長く感じたぶん、読んだ本もいろんなジャンルにまたがっていて、毎年恒例の〈今年読んで面白かった本〉を選ぶのに苦労しました。

ちなみに去年までの記事はこちら。

どんどん冊数が増えていくのも考えものなので、ことしは小説は除いて〈視点がひろがる〉という三つのテーマで五冊ずつ選んでみました。

では、さっそくご紹介しましょう。

 

〈多様な生き方を考える5冊〉

若松英輔「悲しみの秘義」

若松さんの文章には新しい時代を生きるヒントに – 学びのきほんで紹介した「考える教室」ではじめて触れました。一度読んだだけでは汲みきれない、きらめきを感じる言葉たちが、読者の心に寄りそうようです。

 

平川克美「21世紀の楕円幻想論」

本を選ぶときは、自分の考えに近いものだけでなく、ときには相反するようなものも手にとるよう心がけています。

対立する円と円が、たがいに反発しあうだけではなく、ふたつの中心をもった楕円のようになることで、世界はひろがっていく…そんな〈楕円幻想論〉のイメージが心にのこります。

考えすぎる人生への処方箋 – 思わず考えちゃうで紹介した絵本作家・ヨシタケシンスケさんの自作解説や、創作の秘密にせまる一冊。

人生の目標は「おこられないこと」というのに思わず大きくうなずいてしまいました。いろんな人がいる世界だからこそ、おこられないことは大事ですよね。

 

ジェリー・ダシェ/マドモアゼル・カロリーヌ「見えない違い」

違いを認める生き方へ – 見えない違い 私はアスペルガーでご紹介。人付き合いが苦手、騒がしいのが嫌いなヒロインに共感する人も、そうでない人も。

 

細川貂々「生きづらいでしたか?」

他人の気持ちを察しすぎてしまうときの、「受けとめて棚にあげる」考え方でご紹介。生きづらい人たちが集う〈当事者研究〉が気になります。自分のネガティブさも大事にしていきましょう。

 

〈学術の視点で世界を見る5冊〉

広瀬浩二郎「目に見えない世界を歩く」

国立民族学博物館に勤める全盲の文化人類学者・広瀬さんが案内する、目の見えないひとの世界。

この記事の写真は、その国立民族学博物館のインフォメーションゾーンの展示から。ことばを音にしたり、さわって感じたり。世界は〈見える人〉が思っているよりずっと広い。

 

瀧澤美奈子「150年前の科学誌『NATURE』には何が書かれていたのか」

世界一の学術誌「Nature」が創刊された150年前は、科学者(Scientist)という言葉はありませんでした。

当時を生きた西洋人による、現代の最先端科学につながる研究から、開国直後の日本を紹介した記事など、その多彩さに驚かされます。

 

石田五郎「天文台日記」

星を見るひとの静謐な世界 – 天文台日記で紹介。光が一年間かかって届く距離をあらわす光年という単位は、天文学の世界では、ほんの小さなものにすぎません。そんな天文学に人生を捧げた著者の記録が、美しい文章でつづられます。

 

斉藤光政「戦後最大の偽書事件『東日流外三郡誌』」

偽書というのは、どうしてこんなにも人の心をつかんでしまうのでしょうか。公的に歴史書として扱われた文書が、実はまったくのデタラメではないかという疑いが持ち上がる…。地方紙記者が、偽書に翻弄されたまちと人々を追う一冊。

 

秋田麻早子「絵を見る技術」

美術館や教科書で、なんとなく眺めていた名作とされる絵には、実は共通した構造があり、正しい見方があるといいます。

この本を読むと、いますぐ美術館に行って、答え合わせのように名画を読み説きたくなります。

 

〈本の世界の奥深さを覗く5冊〉

鳥海修/高岡昌生/美篶堂/永岡綾「本をつくる」

〈本をつくる人〉とひとくちに言っても、そこには製本をする人、活版印刷をする人、そのまたフォントをつくる人など、多くのプロフェッショナルが存在します。モノとしての価値を高める本づくりの過程を描く本です。

 

堀井憲一郎「文庫本は何冊積んだら倒れるか」

ノーベル文学賞受賞者はどれくらい長生きなのか、小説の最初と最後の一文をつなげてみたら…。いままでにない方向から本を楽しむ著者の心意気が伝わります。たぶん。

 

坂根敏夫「新・遊びの博物誌」

仕掛け絵本・さかさま文字など、古今東西の変わった本やおもちゃなどが次々に紹介される、古い本ですが時代を超えて楽しめます。

 

「北村薫のうた合わせ百人一首」

北村薫さんという現代の読み巧者によって、短歌という世界への扉が開かれます。ひとつのテーマにそって二首ずつ五十編、合計百人の歌が集う。

来年はもっと短歌を読みたい、そして詠みたいと思います。

 

BRUTUS特別編集「合本 危険な読書」

最後は本当に危険な一冊。最も危険な作家・筒井康隆インタビューを目当てに買ったのですが、このムックだけで読みたい本が何十冊も増えてしまいます。

 

それでは来年も、良い本を。

自分だけの星座をみつけたい

冬になると、よく夜空を見上げます。

家までの帰り道、日の入りも早くなり、澄み渡った空に星々がきらめくのを感じる季節です。

星見の楽しみ方は人それぞれだと思いますが、わたしはスマートフォンのアプリを片手に星座をみつけるのが好きです。

 

よく、北極星をみつけるのに、カシオペア座のWから交点を延ばすとか、北斗七星を使うという方法が紹介されることがあります。

でも、そう言われると、カシオペア座が北極星をみつける道具に過ぎないようにも思えてしまいます。

北極星だって、ポラリスという名前の、こぐま座を構成するひとつの星なのです。

星座の間に、優劣はありません。

 

さらに言えば、星座というのも古代の占星術や天文学という視点から生まれたものです。

ほんとうは距離も大きさもバラバラの星々を、ある時点の地球から見たうえで、勝手につなぎ合わせた星座のかたちは、宇宙のどこにも存在しません。

それでも、人はそれに意味を、物語を見出します。

一等星だけを探すのではなく、明るい星も暗い星もつなぎ合わせて意味をみつけるのは、人類の習性かもしれません。

 

視点を個人の趣味や特性に転じてみましょう。

 

仕事でも趣味でも、それだけに長年打ち込んでいる人を見ると、到底かなわないと思える瞬間があります。

 

たとえば、どれだけフォントが好きと言っても、一流のフォントデザイナーには追いつけない。

けれど、フォントが好きで、本や物語が好きで、まちの風景が好きで…といった視点をつなぎ合わせることで、日常のなかに新たな意味を見つけることができるかもしれません。

 

たとえば、ネコが好きでも、岩合光昭さんのような写真家になるのは難しいでしょう。

けれど、たとえば路上観察・都市鑑賞の視点を持ち込めば、〈猫とパイロン〉といった唯一無二の視点で写真を撮ることができます。

好きなものをたくさんみつけて、自由につなぎ合わせれば、自分だけの星座を描くことができるのです。

岡本太郎の情熱に触れる – 太陽の塔内部公開とみんぱく

1970(昭和45)年、大阪府・吹田の地で日本初の万国博覧会が開かれました。

〈人類の進歩と調和〉をテーマにし、多くの人が訪れたそのイベントの歴史的意義は、あまりにも巨大です。

そして、その熱気が日本列島を去り、ほとんどの施設が取り壊された後、ひとつの巨大なモニュメントが忘れ形見のように残されました。

それが大阪万博テーマ館のプロデューサーとなった芸術家、岡本太郎の「太陽の塔」です。

長く外観のみの公開となっていましたが、半世紀近くの時を経た2018(平成30)年より、耐震工事とともにリニューアルされた内部の公開が行われています。

 

太陽の塔がある万博記念公園へは大阪モノレールで。万博、建築の記憶 – EXPO’70パビリオンの記事も参考にしてください。

今回は園内にある国立民族学博物館(みんぱく)で開催中の特別展〈驚異と怪異〉展もあわせて見にいきました。

モノレール駅の改札口を出て目の前にあるエレベーターで1Fに降りると、みんぱくシャトルバスのりばがあります。

運賃は無料で、車内も常設展の映像が流れていたりパンフレットが常備されていたりと至れり尽くせり。

広い万博記念公園を半周するように大回りするため10分程度かかりますが、暑い時期には助かりました。

館内は一部のみ撮影可能なので、写真では紹介できませんが、太古から現代にいたるまで、人の想像力はこれほどのものを生み出すのかと圧倒されます。

特別展は11月26日まで開催中です。

 

さて、園内を歩いて太陽の塔に向かいます。有料区域である自然文化園を通るため、ゲートで入園券大人250円を支払います。駅から直接行く場合も、中央口で券を購入しましょう。

北からだと、塔背面の通称〈黒い太陽〉を見ることができます。実は、正面よりもこちらの顔が好きだったりします。

塔の(文字通り)脇を通って、地下エントランスに向かいます。

よく見ると「太」の字だけフォントじゃなくて腕の形になってますね!

ここまで大事なことを言い忘れていましたが、太陽の塔入館には、2019(令和元)年9月現在、ホームページから前日までに予約が必要です。

トップページ | 「太陽の塔」オフィシャルサイト

「太陽の塔」オフィシャルサイト – トップページ – 2018年(平成30年)「太陽の塔 内部再生」事業では塔の耐震工事の実施とあわせて、「生命の樹の生物群」や「地底の太陽」とともに復元し、平成30年3月に一般公開を開始しました。

入館予約は30分単位となっていて、20分ほど前までに受付で入館券に引き替えを行います。

受付の様子を見ていると、ここまで来てはじめて予約が必要と知った人も多いようなので、お気をつけください。

入館時刻の15分ほど前になると、順番に〈地底の太陽〉ゾーンへと案内されます。

万博当時の地下展示を復元した空間では、みんぱく常設展示にもつながる、岡本太郎の愛した仮面と神像が来場者を出迎えます。

地底の太陽はプロジェクションマッピングで刻一刻と色が変化します。

歯をむき出しにする太陽に驚き!

 

時間になると、いよいよ塔内へ。この地下部分までが撮影可能ゾーンです。

太古のうねうねした生物から目を上にやると、〈生命の樹〉にそって生命の進化が描かれます。

手ブレが思わず印象的な写真に。壁面の三角は、万博当時最新鋭だった音響用の設備で、現在も変わらず使われているそうです。

ガイドとともに、階段で生命の樹の頂までのぼっていきます。(階段をのぼるのが難しい方は、予約時にエレベーター利用を申し込むこともできます)

 

駆け足に紹介したものの、太陽の塔の魅力はやはり、実際に現地に足を運ばないと伝わらないとも思います。

思想も主義も、嗜好も趣味も分け隔てなく、そこに立てばきっと何かを感じる。

岡本太郎というひとりの生命の情熱が作り上げた、唯一無二の塔。

それが時を経ても残り、時代を超えて人の心を揺さぶることが、ひとつの驚異と言えます。

 

星を見るひとの静謐な世界 – 天文台日記

最後に星を見たのはいつのことか覚えていますか?

こどものころには星座のものがたりや天文学の話題に心をおどらせた人も多いでしょう。

大人になっても、仕事を終えて家路を急ぐ夜更け過ぎ、ふと夜空を見上げれば、無数の星が無限の彼方まで広がっています。

つい「無数」とか「無限」といったことばを使ってしまいましたが、実際には星の数にも、その広がりにも限りはあります。

ただ、ひとりの人間が一生で汲み尽くすには、あまりにも広大で、奥が深い。

その世界を垣間見られるのが、とある天文学者の一年をつづった「天文台日記」です。

まだ山陽新幹線が全通していない時代、瀬戸内海と伯耆大山にはさまれた山中に建てられた岡山天体物理観測所が、本書の舞台です。

74インチという当時日本最大の反射望遠鏡を使うため、全国から研究者が集まり日夜観測を続けます。

資材の準備や現像などで苦労を重ねるエピソードもありつつ、日常から隔絶されたような星見の世界は、どこか郷愁と憧れを誘います。

ロシア革命時の天文学者を題材にした戯曲『星の世界へ』を紹介した一節が印象的です。

長女 あたしの天文がきらいなわけは、地面の上にまだしなければならないことがたくさんあるのに、よくものんきに空など見ていられたもんだと思うからです。

助手 天文学は人間の理性の勝利です。

(中略)

天文学者 一秒ごとに地球の上ではだれか人間が死ぬのだ。宇宙ではおそらく一秒ごとにどこかある世界が滅びるのだ。ひとりの人間の死のために、どうして泣いたり、絶望したりしていられるものか。

 

石田五郎『天文台日記』(中公文庫)

これを読んで『問題解決大全』という本で最初に取り上げられていた「100年ルール」を思い出しました。

生きていれば辛いことも悲しいことも数限りなく起こり、絶えずさまざまなことに思い煩わされます。

それでも人の一生からすれば、100年もすればすべてのことが解決している、そう考えれば気持ちがすこしだけ楽になります。

天文学では光が一年の間に移動する距離をさす「光年」という単位がよく使われます。

光の速さですら何年、何百年とかかるほど離れた星の世界と向き合うことも、人の理性は可能にしてくれるのです。

 

ちなみに本書の初版刊行から半世紀ほど経った令和になっても、岡山天体物理観測所は望遠鏡の利用を続け、岡山天文博物館の管理で一般向けのイベントも行われているようです。

岡山天文博物館 -Okayama Astronomical Museum Home Page-

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