現代日本の般若心経 – 柳宗悦、平野甲賀、みうらじゅん

仏教の経典のひとつに「般若心経」があります。

「色即是空、空即是色」などの句が並べられ、短い文章の中に仏教の思想が簡潔に表されているといいます。

今回は、今年(平成30年)3月まで東京近郊で味わえる、現代日本ならではの三つの「般若心経」をご紹介します。

 

まずは、目黒区駒場にある、日本民藝館を訪れます。

大正末期、従来の権威や様式にとらわれない「民藝」という美の概念を提唱した柳宗悦が、その活動の中心とした博物館です。

こちらでは3月25日まで、特別展「棟方志功と柳宗悦」が開催されています。

展示|日本民藝館

日本民芸館の世界へようこそ。ホームページ。総数約1万7千点を数える。

柳宗悦と生涯を通して交流のあった版画家・棟方志功の作品を、両者の間で交わされた書簡とともに紹介しています。

ポスターに使われている「心偈(こころうた)」は、柳宗悦が仏教の浄土思想にもとづいてあらわした句を、棟方志功が版画にしたもの。

簡潔なことばのなかに想いを込める心偈は、民藝とも般若心経の思想と共通するものであり、心を打たれました。

実際に般若心経そのものの書も展示されており、壮観です。

 

日本民藝館の近くには駒場公園、改装中ですが旧前田侯爵家や日本近代文学館もあり、落ち着いた雰囲気で散策が楽しめます。

すこしだけタイポさんぽ。

具体的な一にくらべて、二がざっくりしすぎでは。

 

「宇宙支」とは…!?

 

さて、次は銀座に向かいます。

通りの向かいにある商業施設「GINZA SIX」の外観に目を惹かれていたら、なるほど、銀座6丁目だから、この名前なのですね。

手前の看板の丸ゴシックもかわいいです。

 

その先、銀座7丁目にあるのが、大日本印刷が運営するギンザ・グラフィック・ギャラリー(ggg)です。

こちらでは3月17日まで、「平野甲賀と晶文社展」が開催中です。入場は無料ですが、日曜・祝日は休館なのでご注意。

三十年近くにわたって平野甲賀さんが装丁を手がけた晶文社の本と、それ以外のさまざまなポスターなどを展示しています。

とくに近年の平野甲賀デザインといえば、このように描き文字ともフォントとも似つかない特徴的な「文字」。

そんな平野甲賀の文字で書かれた「般若心経」が展示の一角にあり、とても驚きました。たしかに一文字ずつ、じっくり見るのにふさわしい題材です。

晶文社の出版物も含め、どれだけいても飽きないかもしれません。

 

さて、最後は東京を離れ、川崎市へ。

JR・東急武蔵小杉駅から、さらにバスを乗り継ぎ、川崎市市民ミュージアムに向かいます。

今回の主目的のひとつである、みうらじゅんフェス(MJ’s FES)が3月25日まで開催中です。

MJ’s FES みうらじゅんフェス!マイブームの全貌展 SINCE 1958 | 川崎市市民ミュージアム

川崎市市民ミュージアムは、「都市と人間」という基本テーマを掲げて1988年11月に開館した博物館と美術館の複合文化施設です。常設・企画展や映像の定期上映を始めとして、講座やワークショップなど様々な事業を展開しています。さらに地域の皆様の文化活動に利用していただくために、ギャラリースペースや研修室など施設の貸出しを行っています。

マイブーム、ゆるキャラといった言葉を生み出し、「ない仕事」をつくり続ける、みうらじゅんさん(カラーバス効果で「つながる」読書の楽しみ方)。

そんなみうらじゅんさんの、小学生時代からの膨大な創作とコレクションが一堂に会する特別展です。

ちなみに冒頭の挨拶、「川崎市民ミュージアム」と誤記したあとで「市」を追加しているのですが、外の立て看板を見ると…

その「市」の活字が欠落しています。どっちが正しいのか?

 

それはともかく、展示の目玉は「アウトドア般若心経」なのです。

路上の看板やポスターから漢字一文字ずつを拾い上げ、般若心経を完成させる。

広告あり、選挙ポスターあり…。

日常の中から立ち上がってくる「色即是空」には、ひとりの人間が書き上げたそれとは違った感慨があります。

いや、書いたのは別々の人でも、この文字の中から般若心経を見出したのはまぎれもなくみうらじゅんさん、その人。

「アウトドア般若心経」に限らず、他の展示も単なるコレクションではなく、みうらじゅん視点で集められたものだからこそ、面白さが際立ってくるのです。

まさに空即是色。「みうらじゅんフェス!」という言葉に恥じない、壮大な試みでした。

 

日本のまちにあふれるスペシャルな文字 – まちの文字図鑑 ヨキカナカタカナ

人生を変える本があります。

まちなかの看板に描かれた文字を鑑賞する「タイポさんぽ」。

そして、さらにその文字を、ひらがな一文字ずつに分解することで、五十音の図鑑をつくる「よきかなひらがな」。

この二冊(「タイポさんぽ」は旧版と改版があるので正確には三冊)とであったことで、わたしのまちあるきの楽しみ方は、それまでとまったく違ったものになりました。

「よきかなひらがな」の作者・松村大輔さんと、雑誌「八画文化会館」の編集者おふたりによる京の夜のイベント「よきかな商店街」は、いまでも忘れられません。

あれから一年半、いよいよ待望の続編が刊行となりました。

日本語において、カタカナは主に外来語を表すための文字とされますが、商店や施設の名前としてもよく使われるため、実はひらがなよりもまちなかでお目にかかる機会は多いです。

では問題です。これは何の文字でしょうか?

 

 

正解はこちら。「スサノオ」の「オ」でした。

看板なら読めるのに、一文字だと謎の模様に見えてくるのも不思議なものです。

 

本書ではこのように、その店だけのオリジナルでスペシャルなカタカナの数々を一文字ずつ堪能できます。

(なお、上記の例はこの本に出てくるものではありません)

 

ひとつのカタカナがさまざまにデザインされ、一堂に会する見開きページを眺めているだけで、溜息が出てしまいます。

一文字ずつ抜き出すことで、「パ」の半濁音が斜めの線に突き刺さっている「串刺しパ」の世界など、不思議な類似点にも気づくことができます。

残念ながら、こちらは実物にお目にかかったことはないので、よきかな商店街イベント中の写真を拝借いたします。

 

こうやって本に収められなければ、互いの存在を知ることもなく、ひっそりとこの世界の片隅に生まれ、やがて消えていったであろう文字たちのことを思うと、恋にも似たときめきを感じざるを得ません。

 

そう、まちの文字図鑑は、本を読んで終わりではなく、実際にまちへ出かけて、まだ見ぬカタカナを味わうことで、はじめて真価を発揮するのです。

文字をめぐるたびに、終わりはありません。

 

知ること、見ること、考えること – 観察の練習

いまさらですが、このブログ「凪の渡し場」は、「日常に新たな視点を」をコンセプトに、さまざまな世の中の楽しみかたについて提案しています。

では、実際に新しい視点を見つけるにはどうしたらいいのでしょうか。

ひとつの方法は、これまでいろいろな記事で紹介している、さまざまなものの知識を身につけることです。

フォントの名前であったり、路上にあるものの名称(たとえば、パイロンであったり、建築材であったり)をおぼえることで、これまで区別していなかったもの、気にもとめていなかったことに目を向けるきっかけになります。

 

でも、それはあくまで、新たな視点を身につける補助線にすぎません。

ほんとうに大切なことは、知識そのものよりも、それを見ようとすること、観察することにあります。

そんな観察の習得方法について書かれたのが、その名も「観察の練習」という本です。

 

この本の本編は、まちなかのさまざまな日常の風景を切り取った写真だけのあるページと、それについて書かれたページに分かれています。

写真のページで、日常の風景から著者が感じた「小さな違和感」は何かを考えてからページをめくることで、それが自分の思ったことと同じかどうか、あるいはまったく違うことが書かれているかを楽しむことができます。

 

もちろん、ひとりひとりの視点はすべて違うものだから、その観察結果に「正解」はありません。

その違いが、もともと自分がどのような視点をもっているのか、何に注目しがちなのか、そんな思考のクセをつかむヒントにもなるかもしれません。

 

また、この本自体が、表紙に書かれたタイトルの漢字が部分的にしか白塗りされていなかったり、本編も一部内容に合わせて特殊な文章の組み方がされていたりと、小さな違和感を楽しむことができます。

実際にどんな「観察」が紹介されているか、気になる方はぜひ本をお読みいただくとして(この記事のアイキャッチ画像の謎も、本を読めばわかります)、今回は「凪の渡し場」オリジナルの「観察」をしてみます。

 

さて先日、とある博物館を訪れた際、こんなパイロンを見かけました。

「街角図鑑」を買ってからというもの、パイロンを見つけては撮るということをしているのですが、よくよく考えると、わざわざパイロンの形状にぴったりな「開館」の看板をかぶせているのはとてもふしぎです。

いわゆるサンドイッチマンならぬ、サンドイッチパイロンです。

ちょうど建物の一部が工事中だったため、工事現場を囲むパイロンがあり、訪れた客が閉館中だと間違わないように「開館」をかぶせたのかもしれません。

けれど、同時に、近くの駐車場で、こんなパイロンも見かけました。

契約車両以外の駐車を禁じる看板がわりに使われています。

よく見ると、こちらのパイロンも先ほどのパイロンも、上部以外の三方に囲みがあり、真ん中に紙やプレートを入れられるようになっているようです。

ここまでくると、工事中かどうかは関係なく、パイロンを手ごろな看板がわりに使おうとする意志を感じます。

たまたま、ここの関係者がその用途に気づいたのか、あるいはパイロン業界でひそかに普及しているものなのか…。

 

こんなふうに、自分でも撮りためた写真を見返して、さらに深く観察することで、そのときは気づかなかった視点を楽しむことができます。

もちろん、まだ路上観察に慣れていない人も、ぜひ街に出て、さまざまなものを観察して、写真に撮ってみてください。

 

最後に、この本に近い「観察」を楽しむ本として、こちらも紹介しておきます。

主に、街ゆく人々が無意識にとった行動を写真におさめ、発想の仕方やデザインの考え方を学ぶ本として、工学博士で作家の森博嗣さんが翻訳されたことでも知られます。

温泉旅館と文字の共演 – 部屋本 坊っちやん

2018年最初の更新となります。今年もよろしくお願いします。

最近はブログ「凪の渡し場」以外の活動も増えて更新頻度が下がっていますが、引き続きフォントやまちあるきなどを通して、日常を新たな視点で楽しめるきっかけづくりをしていきたいと思います。

 

さて、今回は昨年に訪れた四国松山は道後温泉の話題です。

 

日本最古の温泉地ともいわれる道後温泉では、並みいる温泉旅館や街並みの中にアートを取り入れた、道後オンセナートというイベントが行われています。

道後オンセナート2018

道後オンセナート2018

 

今回はそのひとつ、祖父江慎さんと道後舘の「部屋本 坊っちやん」をご紹介します。

祖父江慎さんといえば、誰も見たことも無いような驚きの造本、装丁を行うブックデザイナーとして知られています。

そんな祖父江さんが、黒川紀章設計の温泉旅館・道後舘の一室をまるごと本に見立て、松山・道後温泉を舞台にした夏目漱石の小説「坊っちゃん」を組む…。

こんな耳にしただけで心躍る組み合わせ、ぜひこの目で見にいかなくてはなりません。

道後舘へは市内電車の終点・道後温泉駅から、道後温泉本館を通り過ぎ、さらに北へ向かいます。

三沢厚彦さんのクマに見守られ、やや急な坂を上ります。

向かいが工事中で願望がよくないですが、建物が見えてきました。

部屋本「坊っちやん」の見学時間は11時から最終受付14時まで。泊まる必要はなく、フロントで申し込み、見学料金1,500円を支払います。

 

時間になると、係の方に部屋まで案内いただけました。

のれんをくぐり、部屋に入ります。

 

そこは、文字通り本の世界でした。

 

地の文は明治期の書体をイメージしたと思われる、築地体前期五号仮名。

登場人物のセリフには筑紫A丸ゴシック

さまざまなフォントを使いわけることで、文字だけで作品に表情が生まれます。

極太の数字や、たまに登場する手描き風フォントも気になります。

そんな文字を通して見る、道後温泉の街並みに見とれます。

 

バッタを床の中に飼っとく奴がどこの国にある。ここにありました。

このように、文字だけでなく作品にちなんだ仕掛けも随所にあります。

こちらは笹の葉に水飴を挟みこんだ清の笹飴。噛むと歯にひっついてしまうため、噛まずになめるよう注意書きがありました。

 

20分ほどの見学時間はあっという間に過ぎ、名残惜しくも部屋をあとにします。

 

見学のあとは、一階にある喫茶室で、ご当地名物・坊っちゃん団子と珈琲をごちそうになります。

喫茶室内では、祖父江慎さんのデザインされた本も閲覧できます。

右の非売品『坊っちやん』道後舘新聞バージョンは見学のお土産です。

 

明治の文学が、最先端の文字組みで、その舞台となった温泉地の一角にあらわれる。

部屋本「坊っちやん」は2019年(平成31年)2月28日までの公開が予定されています。

ほかにも、道後にしかない、道後ならではの作品が見られる道後オンセナート、ぜひ一度足を運んでみてはいかがでしょう。

 

 

新聞挿絵で観察する明治時代 – 文明開化がやって来た

来年、平成30年は明治維新から150年ということで、さまざまな記念イベントなどが企画されているようです。

150年といえば、大昔という感じでもなく、けれど当時を知る人はもう誰も生きてはいない、そんな現代と絶妙に距離感のある時代ではないでしょうか。

そんな時代の様子を、当時生まれたばかりのメディアである新聞の挿絵からうかがおうというのが、こちらの本です。

著者の林丈二さんは「マンホールのふた」などで知られるエッセイストであり、路上観察家。赤瀬川原平さんとともに、路上観察学会の発起人になった方としても有名です。

そんな林さんの視点だからこそ、挿絵に描かれた服装、小物、建物といった、ほんのささいな手がかりから想像をふくらませ、まるで当時の日本のまちを歩いているかのような楽しさを感じることができます。

ここで紹介されている挿絵は、もともとは新聞小説や広告のために使われたものであって、まさか描いた画家も載せた新聞社も、後世にこんな使われ方をするとは思ってもいなかったでしょう。

 

たとえば、「散切り頭を叩いてみれば文明開化の音がする」という謳い文句があるとおり、文明開化といえば散切り頭(断髪令)が文字通り頭に浮かびます。

では、男性が散切り頭にするために必要な理髪店は当時どのような様子だったのか。それは、現代の理髪店とどうつながっていくのか。

あるいは、女性はどうなのか?

そもそも、散切り頭にするまで、日本人はどうやって髪を洗っていたのか…。

そういった細かい疑問を、挿絵や当時の資料などをもとに読み解いていくことで、歴史の授業で習った年表上の出来事が、身近なものになっていきます。

 

誰も気にとめない、日常のささやかな光景に目を向けるのが、路上観察であり、都市鑑賞であり、あるいは考現学であったりします。

けれど、あたりまえすぎて、あえて記録に残さなけば、時が経ち、その習慣を知る人がいなくなったとき、事実がわからなくなってしまうということも起こりえます。

 

インターネットやスマートフォンが普及する前に、あたりまえだった情報がどれだけあって、それがどれだけ失われたのか。

もはや、それを知る術はありません。

現代を生きるわれわれにできることは、いまあたりまえにあるまちなかの看板も、パイロンも、いつかなくなってしまうかもしれないと思って、記録に残すことだけかもしれません。