ZINEとは、ひとり、あるいは少人数の手で、自由に作られた出版物のこと。
個人制作、ミニコミ、同人誌などともよばれたり、その内容も、印刷の方法やフォントもさまざまです。
インターネットやSNSの発達で、誰もがいつでも、どこへでも自分の想いを発信できるようになっても、あえてZINEという物理的なかたちで作品をつくる魅力は、衰えることがありません。
今月(令和7年4月)の東海地方だけでも、岐阜県大垣市で「ZINE TONIC」、愛知県名古屋市で「ZINE FEST」、「omnibus」といったイベントが開催されました。


それぞれのイベントに足を運んだのははじめてでしたが、短歌やフォントといった個別のイベントで知り合った方と再会することが多くありました。
個人で書店を営む方、これから書店を開業しようとしている方なども出展されていて、本をめぐる、ゆるやかなつながりが線から面へとひろがっていきます。
ZINEによる表現は、SNSやブログと、何が違うのでしょうか。
その大きな特徴は、本や雑誌、あるいは小冊子というかたちで、世界が「とじられていること」だと感じます。
SNSであってもアカウント開設という〈はじまり〉はあって、そのサービスに登録した人しか読めない内容もあります。
それでも、基本的にはインターネットは開かれていて、良かれ悪しかれ誰かに自由に引用されるし、アカウントを削除しない限り、明確な終わりはありません。
けれど、ZINEのばあい、制作者が〈はじまり〉と〈おわり〉を意識して、世界を閉じる——物理的に〈綴じる〉必要があります。
本文(コンテンツ)は単体ではなく、表紙と奥付・裏表紙でとじられる。
自由なZINEも、そのフォーマットだけは、ほとんどの作品が守っています。
あたかも、そのプロトコルによって、その人だけの世界が、小宇宙(ミクロコスモス)として完成するかのようです。
そんなZINEのイベントに行けば、宇宙旅行をするように、星間通信をするように、ふだん自分が見ているのとは異なる、さまざまな世界をのぞくことができます。
そうやって、自分が好きな世界との共通点や相違点にふれると、自分もZINEを作りたくなってきます。
作る手段も、発表の場も、かつてないほどひろがっていて、あと必要なのは、少しの勇気と熱量だけ。
ZINEがあるから、世界はもっと豊かになる。
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