プロフェッショナルの仕事のバトンリレー – 本をつくる

本とは、不思議な存在です。

本がつくられるのは、中身であるコンテンツを読み手に届けるのが第一の目的であることは間違いありません。

けれど、それだけでなく、そのコンテンツの見せ方、印刷の仕方、そして装丁にいたるまで、さまざまな人の手によってモノとしての本はかたちづくられます。

そんな、一冊の本をつくるまでの過程を追ったのが、こちらの本です。

 

この本は、序章〈本のはじまり〉のあと、〈文字をつくる〉〈組版・活版印刷する〉〈製本する〉という三章で成り立っています。

序章では、詩人・谷川俊太郎さんの詩を書体設計士の鳥海修さんオリジナルフォントで組む、という「本づくり協会」の企画が語られます。

文字をつくるという鳥海さんの仕事に触れた谷川さんが書き下ろしの詩を生み出すことで、実際に企画がスタートします。

鳥海さんの仕事は、谷川さんの詩をイメージしながらも、あくまでふだんから理想とする「水のような、空気のような」フォントをつくることでした。

そしてできあがったフォント「朝靄」をもとに、活版印刷を長く手がける嘉瑞工房の高岡昌生さんは、活版印刷のプロという視点で、微調整を加えつつ詩の本文をつくりあげます。

さらに、手製本に特化した製本会社・美蔫堂の職人の手によって、それは最終的な本のかたちへと変貌を遂げます。

 

それぞれがけっして手を抜かず、プロフェッショナルとして自らの役割を果たし抜き、次の工程につないでいく。

理想的なバトンリレーのような仕事のかたちがここにあります。

 

本づくりの姿勢としては、こちらの本も思い起こされます。

2016年に埼玉と愛知でそれぞれ芸術祭の監督を務めた芹沢高志さんと港千尋さんによる、本のありかたを考えた対談をもとにした一冊です。

ここでは本づくりに携わった数多くの人の名前を、映画のエンドロールのように漏らさず収録するというアイディアが実現されています。

多くのプロフェッショナルの仕事によってつくられる本のかたち。それをまた、次の世代へバトンを渡していきたいと強く感じます。

文字を楽しむおとなの部活 – フォント部へようこそ

学生や生徒時代、部活動やサークル活動に所属していた人は多いと思います。

その楽しみは大人になっても、むしろ大人だからこそより自由にひろげることができます。

そんな大人の楽しみとして〈フォント部〉という概念を提唱しているのが、こちらの本。

明朝体・ゴシック体といったフォントの基礎知識から、まちなかの看板文字や、映画の字幕を作る人のインタビューなど〈作り手〉の世界、さらには〈受け手〉としての楽しみ方まで、あらゆる角度からフォントや文字の魅力をさぐる内容となっています。

「美女と野獣」や「タイタニック」など、数多くの映画字幕を手がけた佐藤英夫さんの手描き文字を、息子の武さんがフォント化したのがシネマフォントだそう。

https://cinema-font.com

 

全国各地のフォントやフォントじゃない文字の風景も多数紹介されています。

例によって東海圏が全く紹介されていない〈名古屋飛ばし〉が残念なので、いくつか「凪の渡し場」の見た名古屋文字情景を紹介しましょう。

今はなき百貨店・丸栄と、プリンセス大通の栄光のアーチ。奥に見える札幌かに本家(名古屋が本社)もポイントです。

名古屋で文字さんぽを楽しむならここ、大須商店街。

 

鉄道文字を楽しむ〈もじ鉄〉的には、やはり関西が楽しい。

雲雀丘花屋敷という駅名も素敵ながら、限られたドット数でちゃんと丸ゴシックを表現するところに阪急電車の心意気を感じます。

ちなみに駅名標はこちら。ひらがな主体なのはJR東海在来線と同じですが、ずいぶん雰囲気が違います。

 

日々を楽しめるフォント部の世界、あなたものぞいてみませんか?

 

 

静かな世界の声を聞く – 宮本常一 伝書鳩のように

宮本常一(みやもと・つねいち)という人物をご存じでしょうか。

〈旅する民俗学者〉という異名を取った彼は、生涯で16万キロ、三千を超える村を訪ね歩き、そこに生きる人々を文章と写真のかたちで写しとりました。

 

平凡社STANDARD BOOKSの一冊として刊行された本書は、宮本常一の膨大な記録の中から選りすぐられた随筆集です。

他のシリーズも寺田寅彦、岡潔、湯川秀樹など科学者・数学者を中心としたラインナップが素晴らしく、百科事典で知られる平凡社だけに、長く本棚に並べておきたいたたずまいを感じられる造本です。

令和の時代にはもはや遠く消えかけている、日本のさまざまな伝承、風習がつづられます。

つまり世の中が静かであったとき、われわれは意味を持つ音を無数に聞くことができたのである。意味を持たない音を騒音といっているが、 今日では騒音が意味のある音を消すようになってしまった。(中略)人間にとっては静かに考える場と、静かに聞く場が必要である。

「宮本常一 伝書鳩のように」(平凡社) p.12

1978(昭和53)年に書かれたこの文章は、いまでも胸に響きます。

スピードや豊かさを求める現代を否定するわけではありませんが、スピードが速くなればなるほど、騒音も大きくなり、小さな音、多様な音を聞きわけることができなくなります。

いま、静かに考える場は、ますます貴重なものになっています。

本を読むというのは、そうやって静かに著者の声に耳をかたむける経験でもあります。

時間も場所も、遠く離れても。

本を開けば、宮本さんの見た静かな世界を、わたしたちは聞くことができるのです。

 

 

違いを認める生き方へ – 見えない違い 私はアスペルガー

この世界に生きる人々は、みんな違っている。

けれど、その違いを違わないということにして生きている人たちも多くいます。

そんな社会の中で、生きづらさや違和感を覚えたことのある人には、読んでほしいマンガがあります。

とある会社で働くマルグリットは、騒音や大勢との人付き合いが苦手なタイプ。

本屋の前を通り、パン屋さんに寄って、いつもの通りを抜けて…といった、毎日決まったルーチン(習慣的行動)のおかげで、ホッとした気持ちをとりもどすことができます。

とあるきっかけから、彼女は自閉症という概念を知り、アスペルガー症候群(自閉症スペクトラムの一つ)だと診断されることで、そんな自分のことを本当に知ることができたと感じます。

とたんにマンガのコマが明るくなり、文字通り世界が色づくさまは本書の中でも印象的です。

アスペルガーという概念を知る前に、マルグリットが「誰だってそうだ」と自分だけの苦しさを理解してもらえなかったり、友人から乱暴な言葉を投げかけられて戸惑う様は、わがことのように心が苦しくなります。

 

以前に「凪の渡し場」でも紹介した内向型やHSPという概念を知ったときも、似たようなことを感じました。

概念に名前をつけることは、ばくぜんと「みんな同じ」と思っていたことに、違う視点からの光を投げかけ、見えない違いを見えるようにすることなのです。

 

本の中では〈スプーン理論〉というものも紹介されています。

障害や慢性疾患をもつ人には日常生活を送るのに必要なエネルギーの限度が決まっていて、それを小さなスプーンであらわすという考え方です。

普通なら何杯でもスプーンを使えるところ、マルグリットは12杯しか使えません。

けれど、自分のスプーンの限度と基準を把握しておくことで、たとえば飲み会をすればスプーン4杯を消費してしまうというふうに、自分の疲労を管理することができるようになります。

わたしも普通の人と比べて疲れやすいタイプで、実のところ、どうしてみんなができることが自分にはできないのだろう、と悔しく思うこともあります。

けれど、頭の中にスプーンをしのばせておくことで、その悩みをコントロールできるかもしれない、そんな希望がもてました。

 

そして、違う人たちが、その違いを認めて生きていける世の中でありますように。

 

新しい時代を生きるヒントに – 学びのきほん

この記事を書いているのは2019年5月2日、元号は平成から令和となり、大きな時代の変わり目にいることを実感します。

今回は、新しい時代を生きるヒントになりそうな二冊の本を紹介します。

どちらもハードカバーと同じサイズ(四六判)ながらカバー無しの表紙に税抜670円と手に取りやすいデザイン、NHK出版から創刊された「学びのきほん」シリーズの本です。

本を開けば、全4回の著者による講義を聴くように、それぞれの分野についてわかりやすく学べる…という構成に見えますが、どうやら、それだけではありません。

批評家・随筆家の若松英輔さんによる「考える教室」では、プラトン、デカルト、ハンナ・アレント、そして吉本隆明といった名だたる思想家・哲学者の本をひもときつつ、哲学とは先人の考えを知ることよりも、むしろ自分自身にとっての問題を考えることが大事だということを教えてくれます。

国語辞典編纂者の飯間浩明さんによる「つまずきやすい日本語」では、〈正しい日本語〉〈間違った日本語〉があるわけではなく、コミュニケーションの手段としての言葉がときに誤解を生む理由をさぐりながら、人それぞれの言葉の使いこなし方を考えていきます。

 

〈学ぶ〉とは単に知識を得るだけのものではありません。

それは人が自分の人生を生きていくために必要な行為なのです。

 

ところで、飯間さんの本のあとがきでは、執筆のとき「どう表現するのが適当か、いちいち悩む」と書かれています。

まさにこのブログ「凪の渡し場」を書くときも、毎回同じことを悩んでいます。

単語の選びかたひとつ、文の組み立てかたひとつで、わかりやすい表現になったり、誤解を招く表現になったり。

もちろん、どれだけ気を配ったとしても、育ってきた背景や、ことばに対する感性は人それぞれなので、完全に伝え手の狙い通りに受けとめられることはないでしょう。

違う視点をもつわたしたちが「わかりあう」ということ

 

伝えたい想いが100%伝えられない。

それがことばのもつ限界であり、コミュニケーションの難しさでもあります。

 

けれど、それでも。

伝わらないかもしれなくても、伝えたい。

それがことばの存在する理由であり、その叡智が本というかたちで結集したからこそ、時代を超えて読み継がれることも可能になったのです。