自分視点の旅のすすめ – できるだけがんばらないひとりたび

旅行が好きです。

それも、もっぱら、ひとり旅。

何ヶ月も前から行きたいところを決めて、綿密に計画を立ててする旅行が大好き。

思い立って、ふらっとなじみの土地に行って、まだ行ったことのない場所を探索するのも大好き。

そう言うと、行動的とか、アクティブなどと思われることもあるのですが、わたしの中では、そこまで特別なことをしているという感覚はありませんでした。

このブログ「凪の渡し場」では「日常に新たな視点を」というコンセプトで、さまざまなまちあるきの記事を書いてきましたが、「旅に出ること」そのものが、わたしにとっては日常の延長線上にあるのかもしれません。

自分だけの物語を見つける – ぼくらが旅に出る理由

一歩を踏み出す勇気が出ないなら、半歩踏み出してみる

 

そんな、ひとり旅に対する新しい視点を提供してくれるのが、こちらの本。

同名のブログ「できるだけがんばらないひとりたび」をもとに、あまり旅に慣れていない人、心配性な人に向けてのコツや心得をまとめた本です。

わたしも心配性なことにかけては人後に落ちない自信があるので、そういった面でも実用的な学びにあふれています。

たとえば、わたしはよく、荷物が多い、カバンが大きいと言われることがあります。

「旅慣れた人は荷物が少ない」という定説にあこがれたこともありますが、やはり旅となると心配になり、あれもこれもと詰め込んでしまうもの。

けれど、心配な人はそれで良いのです。

現地で服を洗濯したり調達するのに不安があるなら、日数分持っていけば良い。

お土産だったり、本をたくさん買ってしまうのなら、その余裕をもったカバンを選べば良い。

ただし、大きいカバンを持ち運ぶのは体力を消耗するので、さっさとホテルやコインロッカーに預けるに限ります。それに向いたカバン選びこそが大事。そんな結論になります。

シンプルで大容量な旅行用リュックなら「2wayダッフルバッグ」と検索すると捗ります – できるだけがんばらないひとりたび

THE NORTH FACE の「Glam Duffel」が便利で、シンプルな旅行用リュックを探していた私は「そうそう、これでいいんだよ!」と思ったのですが、「2wayダッフルバッグ」で検索してみると同じようなのが出てきて、どれも便利そうでした。 「なんでこれを選んだの?」という話と、他にもよさそうなやつをまとめておきます。 ノースフェイスで見つけた、バカみたいに軽くて容量の大きい …

 

さて、とはいえ、本書に書かれているのは実用的な情報ばかりではありません。

むしろ、具体的な情報ならブログのほうが詳しいでしょう。

それでもわたしが本を読んで感銘したのは、旅に対しての「視点」が鮮明に打ち出されていることにあります。

実は著者の田村さんは、日本や世界のエスカレーターをめぐることを趣味としており、「東京エスカレーター」というサイトを主宰されています。

かっこいい・珍しい・おもしろい世界のエスカレーターまとめ | 東京エスカレーター

「東京エスカレーター」は、たぶん日本で唯一くらいのエスカレーター専門サイトです。首都東京から、世界の素敵なエスカレーター情報をお届けします。管理人は田村美葉(たむらみは)です。

 

本の後半は田村さんの旅の記録が収録されているのですが、ロンドン旅で突然エスカレーター写真が出てきたりと、本の表紙からはちょっと想像つかない、素敵にマニアックな世界が展開されています。

見開き特集されている「スパイラルエスカレーター」は螺旋階段のような外観が特徴的ですが、田村さん自身も認める通り、これを目的に旅をするのは自分だけではないかという「自分視点」のひとり旅。

それでいいし、それがいいのです。

 

旅で大切なことは、自分の視点で世界を見るということ。

それは一般的な名所やモデルコースを否定するものではなく、むしろそうした「多くの人が共感する視点」を取り込みながら、何故か自分だけが惹かれてしまう視点を少しずつ養っていく、それがひとり旅の大きな楽しみです。

ひとり旅なら、エスカレーターの写真を黙々と撮っていても同行者から不審に思われることもないでしょう。

ひとり旅なら、誰にも構わずパイロンを撮り続けることができるのです(パイロンも、125ページに何の解説もなく言及されていて、感慨深いものがあります)。

 

そんな自由さ、自分視点で、旅を楽しんでみること。

そうしてあるいは、そんな楽しみを発信することで、その視点が誰かの共感を呼ぶとしたら。

それもまた素敵なことでしょう。

 

時間がない生き方への処方箋 – 余白を大切にする

仕事で、私生活で、多くの人が時間に追われて暮らしています。

やらなければならない仕事は山のようにあって。

やりたいことも、読みたい本も、会いたい人もかぎりなくて。

忙殺されるように、矢のように過ぎる時間をやりくりして生きていく毎日。

 

それでいいの? と、わたし自身もそんな疑問があったから、タイトルに惹かれて、この本を手にとったのでしょう。

この本では、時間に追われる人に、借金や貧困に苦しむ人々と共通した心理があるとして、その要因を分析していきます。

そうした時間的・金銭的欠乏に対処する方法のひとつとして、スラックとよばれる余裕、ゆとりを持つことがあげられています。

 

例として、年中手術室の不足に悩まされ、急患が出るたびに予約の組み直しが発生してスタッフの負荷になっていた病院のケースが紹介されています。

この問題は、スラックの考え方で見事に解決されます。

それは、予定外の手術のために、ひとつだけ手術室を空けておくことでした。

「予定外の手術がどれだけ入るかなんて想定できないのだから、そんなことはムダだ」そう思ったスタッフも多かったのだそう。

けれど、想定外のことは、何がいつ起こるかわからなくても、いつかは起こるし、いつでも起こるものなのです。

想定外を想定する、そんな余裕をもつことで、もともとあった予定への影響をできるだけ抑えることができます。

 

わたしたちの暮らしにも、この考え方は応用できるのではないでしょうか。

 

毎日の仕事、旅行の予定。

予定を決めること、綿密に計画することは大切なことで、それを守ろうとする、いわゆるタスク管理も同じくらい重要な概念です。

けれど、あまりにきっちりと予定を詰めてしまったら、ひとつのことが遅れたり、いざ想定外のことが起こったときに、はたして対処しきれるでしょうか。

計画を立てたら、思い切って、ひとつだけでも予定を削れないか、もしくは、時間を延ばせないか、そう考えるだけの余裕をもっておきたいものです。

 

余裕はまた、余白と言い換えても良いかもしれません。

何も予定がないのが空白の本だとしたら、予定があってもゆとりがあるのが余白の多い本。

ページ全体にぎっしりと活字が詰まった本が読みにくいように、余白は「文字が書かれていないこと」それ自体に意味があります。

読みやすいだけでなく、余白があればこそ付箋を貼ることもできるし、何か書き込みをする自由も生まれるかもしれません。

 

かの数学者フェルマーが証明を書き込もうとした本に、もう少し広い余白があったなら。

数学の歴史は大きく変わっていたかもしれません。

その本の著者も、まさか自分の著書がそんな使い方をされるとは想定外だったかもしれませんね。

 

余白を、もっと大切にして、生きてみましょう。

 

 

まちの記憶をたどる – ひろしま地歴ウォーク

前回の記事で、よく知った場所で、まだ訪れていないスポットを回るのが好きだという話をしました。

わたしにとって、よく知った場所のひとつが広島です。

(以下、広島といえば県名ではなく市をさします)

先日、広島に行ったときは、あえて事前にあまり予定を決めずに、現地で気になるスポットを見つけてみることにしました。

そして当日、地元の本屋さんで、そんなまちあるきにうってつけの本を見つけてしまいました。

広島地理教育研究会という団体が中心になって、広島の地理や歴史を学びつつ、まちを歩いてみるという本です。

広島といえば原爆の被害からの復興という側面がクローズアップされがちですが、もっと昔からの、まちのなりたちを知る手がかりがあちこちに隠されています。

地図を眺めれば、このまちが瀬戸内海に注ぎ込む川によってつくられた三角州、通称「広島デルタ」の上にできたということがわかります。

暮らしの中で、水とのかかわりも深く、干拓によって土地を広げたり、氾濫を防ぐための治水事業が行われたり。

そんな歴史を、この本を通して知ることができます。

中でも、こうの史代さんの「この世界の片隅に」にも登場した江波は、干拓によって戦前から戦後にかけて風景ががらりと変わった代表的な土地です。

今まで行ったことがなかったので、この本を片手に訪れてみることにしました。

今まで、なぜ、エバに行かなかったのか? と問われても仕方がありません。

ともあれ、江波です。

広島電鉄で、JR広島駅または横川駅から江波行き終点まで。別の行き先の路線があるので、紙屋町などで乗り換えましょう。

ちなみに、広島電鉄では2018年3月17日(土)から、オリジナルのICカードPASPYとJR西日本のICOCA以外に加え、全国の交通系ICカードが使えるようになりましたよ…!

ちゃんと車内放送も「PASPYの方は」ではなく「ICカードの方は」という自動音声に変わっていました。

「舟入○○」という電停をいくつも通り過ぎ、まっすぐ走っていた電車は、突然ななめに道路を曲がり、江波車庫手前の電停で停車します。

なぜ、この道路が曲がっているのか? という理由も、本を読めば明らかになります。

 

南に進むと、高速道炉の高架が見えてきます。

もう少し行くと、江波山には天気専門の博物館・江波山気象館もあるのですが、この日はあいにく休館日。

この高架下の空き地の一部が、「歴史の道」という江波を紹介するスペースになっていました。

右のキツネが持っている旗をよく見ると「For ever ほぉ〜江波!」と書いてあったりします。

全国各地の観光案内図を描いた絵師として有名な、吉田初三郎による江波の鳥瞰図です。

養魚場としての江波の様子が描かれています。

いまも江波港の近くには、海神である大綿津見神をまつる海神宮があります。

被爆建物としても指定されています。

 

このほかにも、「ひろしま地歴ウォーク」には多くの土地の歴史が語られており、実際に歩いてみたくなる場所ばかり。

まちを歩くということは、その土地に生きた人々の記憶をたどり、耳をかたむけるということにほかなりません。

 

 

生を悩み、生を楽しむということ – 謎のペルシア詩、ルバイヤート

とある事情で、イラン・ペルシア関連の本を探すことになりました。

そんなきっかけで、ペルシアの四行詩「ルバイヤート」という存在にめぐりあいました。

ルバイヤートとは、11世紀のペルシア人、オマル・ハイヤームが残したとされる四行詩です。

数学者・哲学者・天文学者など、多彩な才能を発揮したハイヤームは、その独特の人生観を、ペルシア語の四行からなる詩の形式に託して歌い上げました。

三行目までで論理を組み立て、四行目で落とす形式は、日本の五七五形式の俳句とも、四コマ漫画の起承転結とも似て非なるおもしろさがあります。

ものの成りゆきが一瞬でも好都合なら、
運命のなすがままに愉快にやりたまえ。
科学者が友になれば分るさ、君の肉体なんか、
せいぜい空中に漂う埃か、掃き出した塵にすぎぬと。

 

金子民雄『ルバイヤートの謎』(集英社新書)pp.94-95より引用

ペルシアは当時イスラム王朝が栄え、その後モンゴル民族に征服されるなど波乱が続きます。

ハイヤームの死後は長く忘れられた存在だったルバイヤートですが、19世紀にイギリスの詩人、エドワード・フィッツジェラルドによって英訳詩が自費出版されると、またたく間に世界中で人気が高まります。

ところが、この英訳は翻案とも言えるようなものだったそうで、原点からはかけはなれており、しかも長い年月の間に、ハイヤーム作としてひろまった詩の多くは他人による贋作だといいます。

千編以上もあるルバイヤートのうち、どれが真にハイヤームの心情を表したものなのか。その謎解きもまた、ルバイヤートの魅力の一つに数え上げられるかもしれません。

いったんケンブリッジ大学図書館に収められた写本があとから偽物とわかり、よく見ればフォント(書体)にも美しさがない、と言われてしまうといったエピソードも。

 

明日どうなるかは誰にもわからないのだから、
心を心配事でいっぱいにさせないほうがいい。
愛しい女よ、月明かりの中で酒を飲め。
月はこれからも輝くだろうが、われらは消えてしまうのだから。

 

アリ・ダシュティ『オマル・ハイヤームと四行詩を求めて』(コスモス・ライブラリー)p.266より引用

酒がモチーフとして登場することが多いというルバイヤートですが、それは快楽に溺れるというのではなく、自分の意志ではどうにもならない世界への憂鬱をいっとき晴らすための、節度あるたしなみとして描かれています。

 

わたしは、美しい自然や、歴史ある建造物を目にしたとき、思わず胸がいっぱいになることがあります。

目の前にあるこの光景は、自分が生まれるはるか以前から存在し、そして死んだ後も、ずっと変わらずあり続けるのでしょう。

そんな人の生の短さへの諦観は、古今東西さまざまな形で描かれてきました。

ルバイヤートにも、同じ感覚が通底するように思えてなりません。

 

誰もがいつか終わる、この人生という旅の中で、何をよすがとして生きていくのか。

いつの時代も絶えることのない悩みを胸に、それでも心配ごとはいったん脇に置いて生きていくことの大切さを、ルバイヤートは教えてくれます。

 

金子みすゞ詩の視点でたどる「数」の世界

金子みすゞの詩といえば、「みんなちがって、みんないい」の一節があまりにも有名です。

日常のささやかな風景、身のまわりの世界を、彼女の視点で見ることによって、新しい意味が見出され、ふしぎな魅力が生み出されます。

そんな視点を、数学の世界に取り入れてみようという試みが、こちらの本でなされています。

 

この本で取り上げられている「数論」の中心にあるのが、素数という存在です。

1と自分自身以外に、約数(割り切れる数)をもたない数というのが素数の定義です。

まさに、みんなちがって、みんないい。

 

無限にひろがる数の世界の中で、ひときわ大きな輝きをはなっている素数は、夜空の一等星にたとえられます。

星の世界にふたごぼし(連星)があるように、3と55と711と13 といった、となりあう奇数がともに素数である素数を、双子素数といいます。

金子みすゞの「おはじき」という詩では、夜空の星を、とってもとってもなくならないおはじきにたとえていますが、素数も、いつまで数えてもなくならない(無限に存在する)ことが証明されています。

いっぽう、双子素数が無限に存在するのかは、まだよくわかっていないそうです。

 

このように、はるか昔からの素数をめぐる人々の思索の跡を、金子みすゞの詩と重ね合わせてたどっていきます。

もともと、本書が収められているブルーバックスなどの理数系の読み物が好きで、数の世界の美しさに触れてきた人はもちろん。

そこまで数学に興味が持てなくても、詩の世界、ことばの世界を通して、その一端に触れることができるのではないでしょうか。

 

気まぐれにあらわれるようで、ときに意外な規則性が見出される素数の性質を、著者はなんども「ふしぎ」と表現しています。

金子みすゞの「まんばい」という詩で、世界中の王様の御殿や女王様の服より、夜空や虹のほうが万倍も美しいとあらわされるように、自然界の法則には、人知を越えた美しさがあるのかもしれません。

 

けれどもそれは、もう一度視点を変えてみれば、やはり人間のもつ感性がなせるわざなのではないでしょうか。

 

自然の美しさにあこがれ、恋いこがれ、

はるか太古の人々は、あるいは天を衝くような城を建てようとし、あるいは美しい文様を再現しようとし。

また数という抽象的な世界に楽しみを見出した人は、数多くの定理や公式という形で、それぞれが思い描いた美しさを表現してきた。

 

それが人間の自然とのつきあい方だったのだといえます。

 

そんな人々の視点を通して世界を見ることで、わたしたちは世界の美しさを再発見することができるのです。