考えすぎる人生への処方箋 – 思わず考えちゃう

日々の生活のなかで、さまざまなことが気になったり、心配事をかかえてしまうことがよくあります。

他人から、考えすぎだと言われることもしばしば。

だからといって、考えないでいられる生き方に憧れながら、どうして自分はそうではないのかと、また考えこんでしまう。

そんな、考えすぎる人生を送る人々にとって、大いに共感を呼ぶであろう本がこちら。

著者のヨシタケシンスケさんは、かわいくてユニークな切り口の絵本、イラストなどで活躍されています。

この本は、ヨシタケさんが日常の中で思わず考えてしまった一コマを、その際に描きとめたスケッチとともに語るエッセイです。

 

トイレから出るとき、ドアノブの中で一番きたなくない部分はどこだろう。

ストローを取り出した後の紙袋を、きれいにちっちゃくたたみたい。

 

些細だけれど、わたしも幾度となく考えてしまったことがつぎつぎと登場します。

と同時に、ヨシタケさんの奥様はそういうのが気にならない方らしく、くしゃくしゃになったままのストローの袋を見て、さらに考えてしまう。この言葉は救いですらあります。

ところが、全くそれが気にならない人が世の中にはいて、そういう人と結婚まで出来るっていう、そういう人生の奥深さに、改めて感動したりします。

ヨシタケシンスケ「思わず考えちゃう」(新潮社)p.45

 

後半は、仕事であったり、人生であったり、考えすぎてしまうからこそかかえてしまう悩みが赤裸々に語られます。

でも、そんな悩みも、考えすぎも、いつかきっと何かの役に立つ。

そんな信念のようなものに貫かれていることが、読みすすめるとはっきりわかります。

 

この本を読むと、「安心して不安を感じていいんだ」と(ふしぎな言い方ですが)思えます。

そんなことを考えながら、今日という一日を終え、きっと明日を生きていくのです。

 

 

毎日を生きるそれぞれの人に – 月とコーヒー

月とコーヒー。

それは、対照的な存在である「太陽とパン」のように、誰にとっても生きていくために必要なものではないかもしれません。

それでも、誰かにとっては、もしこの世から消えてしまったら、生きる意味を失ってしまうくらい大切なものだったりします。

そうした〈とるにたらないもの、忘れられたもの、世の中の隅の方にいる人たちの話〉を書きたい——それが作家・吉田篤弘さんの言葉です。

 

本書ではそれぞれ原稿用紙にして10枚ほどという短さで、月とコーヒー、そして食をテーマに、この世のどこかに生きるさまざまな人々の毎日を描いていきます。

個人的にもコーヒーが好きなせいか、吉田さんの文章はとても波長が合うようにここちよく、淹れたてのコーヒーのように、深く心にしみわたります。

 

もちろん「月とコーヒー」にあたる大切なものは、人それぞれ違うでしょう。

ある人はミルクだったり。

またある人はビールだったりするかもしれません。

でも、それぞれが、その違いをわかりあって、互いの好きなものをそのままに受けとめることさえできたら、世界はもう少し生きづらさが減るような気がします。

それは思わず月に祈るようなささやかな願いでしょうけれど、綺麗な月が出ている夜は、あんがい、そんなふうにどこかの誰かと思い合えるかもしれません。

 

それはそれとして、去る平成31年3月22日(金)、東京の代官山蔦屋書店では、本書の発売を記念して、クラフト・エヴィング商會の吉田篤弘さんと吉田浩美さんによるトークイベントが開催されました。

作品執筆の裏側を覗くようなエピソードもさることながら、お二人の仲の良さそうな雰囲気が、作品世界と地続きのように思えて素敵な一夜でした。

装幀としてのクラフト・エヴィング商會のお仕事では、この本のサイズ感についてのお話が印象に残っています。

ハードカバーなのに文庫判よりひとまわり大きいくらい(およそ166x118mm)、ちょっとかわいくて手になじむサイズは、熱いコーヒーが冷めないコメダのコーヒーカップのおもてなしに通じるものがあります。

コーヒーカップ&ソーサー – コメダ珈琲店 公式オンラインショップ

コメダ珈琲店で使用されている、オリジナルコーヒーカップやソーサー、ジョッキなどが購入できる、コメダ珈琲店公式オンラインショップです。

 

今後もこのサイズで吉田さんの本が出版される予定だそうで、またこの世界にめぐり逢う日を楽しみのひとつに、毎日を生きていきたいなと思わせてくれます。

平成とともに歩んだ雑誌 – MdnN

まもなく平成という時代が終わりを迎えます。

そして、平成元年に創刊したひとつの雑誌が、元号と歩みを揃えるかのように休刊します。

 

https://books.mdn.co.jp/magazine/3218101004/

 

とくに秋はフォントに関する特集が組まれることが多く、毎回楽しみにしていました。

そのほかにも、マンガ、アニメ、ゲームなど、さまざまな切り口で、グラフィックデザインやアートを身近に楽しめる数少ない雑誌だったと思います。

わたしはここ数年読み始めたのですが、初期はDTP(Desktop Publishing)といわれるMacでのデザインを解説する専門誌だったそう。

「MdN」の「M」はMacintoshの略だったことを、休刊まで知りませんでした。

最終号には、そんな初期の記事が再録されています。

Adobe IllustratorやPhotoshopなど、いまでもデザイナーには必須のソフトですが、誌面で見るその画面は、解像度も荒く、フォントもOsakaやChicagoで、平成初期とはこんな時代だったんだ、と思い起こさせてくれます。

ちなみにChicagoというのはタッチスクリーンになる前のiPodにも使われていたフォントなので、iPodを持っていた人なら覚えているのではないでしょうか。

(最新のmacOSには搭載されていないので、Krungthepというタイ語フォントに含まれる欧文フォントで出力しています)

 

パソコンソフトに関する記事は、1年経つだけでも時代遅れになってしまいます。

それは、進化の速いテクノロジーの宿命で、編集や出版に時間のかかる紙の雑誌で語る場合には大きな弱点にもなります。

けれど、三十年もたてば、もはや歴史的な記述となり、新しい価値がそこに宿ると言えるでしょう。

 

わずか三十年で、印刷も、デジタルフォントも、その環境は大きく変化しました。

それまでは、高度な専門性をもった人が、大勢で協力しなければ本を作れなかったのです。

 

そういった手間暇をかけるのも、ものづくりには大切なことでしょう。

けれど、興味はあっても、作り手になれなかった、受け手でしかなかった人が、手の届く距離になった。

テクノロジーが、多くの人に可能性をひろげてくれたことも、たしかなのです。

 

次の時代も、良い本づくり、フォントづくりがたくさんの人に知られ、引き継がれていくことを願っています。

Webメディアに移行するというMdNの今後も楽しみにしています。

ひとりとひとり、対談の力

ノンフィクションといわれる本のなかに、対談というジャンルがあります。

対談という名があらわすとおり、ふたりの著者が一対一で話し合った内容をまとめた本のことです。

 

TVのトーク番組のように、一方がホストとして、気になる人・会いたい人と順番に話をするという形式の対談集もあります。

 

あるいは、対談の相手は変わらず、一冊まるごと、特定のテーマについて掘り下げるというものもあります。

どちらにしても、微妙に活躍するジャンルが違うふたりの対話から、とりわけ興味深い内容が生み出されることがあります。

それは、それぞれが、作家として、あるいは研究者として、ひとつの本を書き上げることができるだけの力があるからこそ。

ある話題について、どちらかが詳しい知識や経験を持っていたとき、「そういえば…」と、異なる視点の話題を俎上にあげることがあります。

そうやって話題を提供できる人のことを「ひきだしが多い」と言いますが、相手にとっては、自分の知らないひきだしから出されたそれは、まるで未知の領域のことかもしれません。

それでも、自分のひきだしの中をあさって、似たような状況、考え方はないか? と思いをめぐらしてみる。

そうすると、まるで意外なところから、それに対する返事がみつかったりします。

そうやって、対話がつながっていく。

 

たとえていうなら、単著は、著者の主張や世界観を、読者に対して語りかける、一対多の講義形式のようなものです。

対談は、そういった一方的に教える/教えられるという関係ではなく、おたがいに教えあい、学びあう。そんな勉強会を読者も一緒になって聞いている感覚が味わえます。

対談本には、体系的な知識を得られる単著とはまた違った、より周辺にしみ出していくような魅力があります。

 

大勢での会話が苦手で、ひとりで考えることを好む内向型人間にとっても、他人と話す力を身につけるのにうってつけかもしれません。

 

魅惑のアンダーワールド – 知られざる地下街

名古屋で暮らしていると、地下街を使いこなしたくなる気持ちが高まってきます。

栄や名駅といった繁華街の下に縦横無尽に広がる地下街の地理を覚えておけば、目的地まで安全に、快適に向かうことができます。

また、リニューアルで明るい雰囲気になる地下街を歩くのも楽しいですが、時が止まったような地下街のたたずまいも、また魅力的なものです。

知っているようで知らない、見えるようで見えない〈地下街〉に焦点を当てたのが、こちらの本です。

著者の廣井さんは2012年に名古屋大学減災連携研究センターの准教授に着任したのを機に、地下街を研究テーマに選んだのだそう。

名古屋、東京、大阪と言った都市部を中心に、全国で約80もあるという地下街の歴史、特徴などが詳しく解説されています。

 

個人的に名古屋の地下街で好きなのは、名古屋テレビ塔の下に広がるセントラルパークです。

地上の公園と一体となって「街全体を美しくし、楽しくするもの」というコンセプトで計画されたということで、丸善などの魅力あるテナントはもちろん、通路も広々としてとても明るい印象です。

突き当たりの地下鉄久屋大通駅に面した壁際は〈セントラルギャラリー〉として、定期的にさまざまな展示がされているのも楽しみのひとつです。

昨年末に訪れたときは、ちょうど今年開催される「あいちトリエンナーレ」の紹介と、過去のトリエンナーレのポスターが展示されていました。

 

そして、名古屋以外の地下街も、それぞれに特色があって、比較してみるのも面白いです。

たとえば、高速神戸駅からJR神戸駅にいたる「デュオこうべ」は、開放的なドームが印象的です。

いっぽう、新開地のほうに足を伸ばせば、一気に昭和な雰囲気の「メトロこうべ」が広がります。

ネコが微妙にかわいくない…。

そして、日本最西端・福岡市営地下鉄の「天神地下街」は、ヨーロッパ風の天井やステンドグラスで彩られた、ほの暗い空間が忘れられません。

「通路は客席、店舗は舞台、主役はお客様」という劇場空間のコンセプトなのだそう。

訪れたときは実に現代的な印象だったのですが、誕生から40年以上もリニューアルしていないというのに驚きです。

 

本の中では、このような地下街の紹介だけでなく、地震や津波など災害時の備えや、技術の進化にともなって変わっていく〈これからの地下街〉のありかたなども語られています。

 

地上のまちあるきとはまた違った「ちかあるき」を楽しんでみたくなります。