文章であらわす、わたしの姿 – 北村薫の創作表現講義

文章表現には、その著者だけの視点があらわされています。

だから「表現」の文字も「著」の文字も、「あらわす」と読むことができる。

今回は、わたしが読者として偏愛し、また書き手としても憧れを抱いている作家の一人、北村薫さんによる文章表現の本をご紹介します。

 

北村さんは高校の国語教師をするかたわら、日常の謎を描いたミステリ「空飛ぶ馬」で作家としてデビューしました。

当時は、プロファイルを明かさない覆面作家としてデビューしたため、作中の語り手と同じ女子大生だと思っていた読者もいたとか。

のちに、経歴と性別(念のため、男性です)を明らかにして、小説だけでなく評論やアンソロジーの編集などで活躍されています。

 

この本は、北村さんが母校の早稲田大学で受け持った表現の授業をもとにつくられたもの。

昔の小説を題材にした講義や、現代の作家・編集者を招いてのインタビュー、それを学生たちがコラムの形にしていくワークショップなど。

思わず自分も学生として参加したくなるような「北村薫の授業」が、ここにあります。

 

さらに、本の中盤では、北村さんが当時NHKの番組「課外授業 ようこそ先輩」に出演されたときのエピソードも収められています。

この番組は、出演者が卒業した小学校を訪れ、後輩の児童に特別授業を行うというもの。

大学生と小学生という受け手の違いから、授業の表現方法は変わっても、北村さんらしい視点がここにもあらわれます。

 

北村さんが授業を通して伝えたかったというのは「はてな、と思うことの大切さ」。

こどもたちがまちなかで「はてな」と思うことを探し出し、それを自分の物語にしていきます。

 

日常の謎、それは路上観察学やトマソンにもつながる視点。

普通ならそのまま通り過ぎてしまう日常を「謎」という視点で読み直すと、また違った物語が見えてきます。

 

人の視点の数だけ、ものがたりが生まれる。

そのものがたりにあらわれる「わたし」の姿、「あなた」の姿。

文章表現を大切にするということは、それを大切にするということでもあります。

 

 

国鉄中央線の記憶をたどる – 愛岐トンネル特別公開

中央線と言っても、東京ではなく、東海のお話。

 

JR名古屋駅からやってきた電車が高蔵寺駅を過ぎると、トンネルを通り、愛知県と岐阜県の県境を越えて多治見駅に向かいます。

いまでは10分程度で通り過ぎる、この区間のそばに、100年以上の昔、明治時代に作られた赤レンガの旧線が眠っています。

 

それは、忘れられかけた日本近代化遺産のひとつ。

 

その廃線路の記憶を呼び覚まそうと活動に取り組んでいるのが、愛岐トンネル群保存再生委員会。

愛岐トンネル群保存再生委員会 公式サイト

愛岐トンネル群の「秋の公開」が近づいてきました。11/26(土)~12/4(日)の特別な9日間です! 秋と言えば、やっぱり紅葉。 紅葉と明治の赤レンガトンネルが一緒に味わえる愛岐トンネル群へお出かけください。愛岐トンネル群保存再生委員会では、 公開に向け整備に頑張っています。

今回は、平成28年秋の特別公開に行ってきたので、その様子をご紹介します。

 

最寄駅はJR中央本線・定光寺駅

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ふだんは普通列車しか停まりませんが、特別公開中は一部の快速列車も臨時停車するようです。

 

定光寺駅はトンネルとトンネルの合間、崖っぷちのようなところにホームが作られています。

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名古屋からほど近いのに、まるで秘境駅の雰囲気を感じられる駅としても有名ですね。

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JR東海のICカード・TOICA圏内なので、Suica・ICOCAも使えます。

 

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2016年現在、保存再生活動の対象として一般公開されているのは 3号〜6号トンネル。

定光寺駅に近い3号トンネルが入口になります。中学生以上は、保険料・施設整備費として100円が必要。

 

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3号始発駅。すみ丸ゴシックではないですが、ちゃんと駅名標が用意されています。

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トンネルの中や外のあちこちに、かつての施設の痕跡やバラストが残されていて、あえて整備しすぎないようにしている印象を受けます。

路上観察学にも通じるものがありそう。

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かと思えば、誰が作ったのか、こんなかわいい木彫りの動物がいたり。

 

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3号トンネルを抜けると、竹林駅

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緑あざやかな竹林を抜け、さらに4号トンネルへ向かいます。

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大モミジ前駅。渓谷と色づくもみじの景色が楽しめます。

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会員の方のの手作り水車のある、水車前駅

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さらに進むと、お弁当や飲み物売り場のあるマルシェ駅

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せっかくなので、エビ味噌カツ弁当をいただきますね。

 

体力を回復したら、5号トンネルへ。

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トンネルを抜けると、レンガ広場前駅

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C57型SLの動輪が展示されていました。

自転車のペダルをこぐことで動かすことができる、というめずらしい動態保存の形式。

 

そして、いよいよラスト、6号トンネル。

ここまでは100m未満のトンネルばかりでしたが、6号トンネルは全長333m。

工事中に崩落があったために80m延長したそうで、トンネルの途中に元の入口跡があります。

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こんな神秘的なパイロンは初めて見ました。

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懐中電灯がないと、ほんとうに真っ暗。iPhoneの懐中電灯機能でもいいですが、ちゃんとしたものを持っていくことをおすすめします。

 

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そして、トンネルを抜けると、終点の県境駅

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そう、この先はもう岐阜県多治見市。

向かいの7号トンネル自体は名古屋市の所有ながら、いろいろ壁があって、行くことはできないのだそうです。

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委員会としては、7号、8号トンネルも公開対象として、その先の古虎渓駅までつなぎたいとのこと。

ふしぎな言い方になってしまいますが、いつか、この廃線跡が全線開通する日の来ることを待ち望みます。

 

 

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ということで今回は、来た道を戻ります。意図的か偶然か、「アイチしょうゆ」のかごを横目に。

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ゆっくり探索しながらだと、往復2時間くらいの道のりでした。次回は2017/5/3(火)〜5/7(土) に公開予定とのこと。

 

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おまけ。やけにフレンドリーなよびかけの中部電力さん。

 

芸術をみつけだす観察者の視点 – 赤瀬川原平の芸術原論

芸術、アートとは何か。

それはとても奥が深く、裾が広い問い。

たったひとつの正解があるものではなく、それこそ人によって無数の答えがあることでしょう。

そうだとすれば、この質問は、その人が世界をどう見ているか、その視点を尋ねていることにひとしいと言えます。

 

この本では、赤瀬川原平さんによる、芸術への視点が語られます。

 

さまざまな雑誌などに掲載されたエッセイをまとめたもので、内容をふまえて全部で5章に編集されています。

もともとの美術家としての赤瀬川さんの側面に視点を合わせる人は、「II 在来の美」での美術(絵画)についての論考に注目するでしょう。

また、超芸術トマソンという概念を生み出し、路上観察学へと発展させた赤瀬川さんに着目すれば、やはり「IV 路の感覚」がおもしろい。

「V 芸術原論」も、トマソンや路上観察でよくみられる物件の分類が紹介されていて、これから路上観察をはじめる人にも参考になります。

 

ただ、それらに分類されることもない、いっけん雑多な話題が散りばめられた「I 芸術の素」の文章が、実にいいのです。

自分の意識が、自分にだけわかるもので、他人にはわからない。

人間は生まれたら誰でも必ず死ぬ。いままでの長い人類の歴史の中で、ただのひとつも例外がない。
そんな、子供の頃にふしぎだと思いながら、いつしか当たり前のこととして受け入れてしまっていたことを、ふしぎのままとして掘り下げていく、この感覚。

 

とくに好きなのは、「波打つ偶然」と名づけられたエッセイ。

思いがけないところで知り合いに会ったり。

お互いが、別のところで似たような経験をしていたり。

そして、そんな偶然というものに何らかの意味を見いだしてしまう、それも人間というもの。

 

そんな偶然を偶然として片づけない視点が、路上観察学にも活かされています。

トマソンや路上観察学が芸術になるのは、それを作った人ではなく、観察する人の視点によって、新たな意味が見いだされるから。

物件はそこにあるから、そこに行けば誰でも発見できる、しかしそこへ行く才能というものがあるのだった。物と出合う才能である。物を見る才能ということも混じるわけで、自分でも名品を見つけたあとは気分が高揚して、目が冴えわたるのがわかり、たてつづけに名品を見つけたりする。(p.314)

路上観察をしていると、このことはよくわかります。

 

まちを歩いていて、偶然に出会う物件。ふつうは通り過ぎてしまうようなものでも、路上観察の目をもっていれば、それを発見することができます。

 

ちなみに、この本では先に説明したとおり物件の分類も紹介されているのですが、それに沿ってだけ物件を集めても面白くない、と書かれているのが興味深いところ。

路上観察学を「学問」としてみれば、収集して分類することに重きを置いても良いと思いますし、実際そうやって一ジャンルに特化した活動をされている方も多くいます。

けれど赤瀬川さんにとって、「芸術」としてみれば、それはひとつの正解を求めているだけで冒険がない、ということなのでしょう。

 

路上観察学にも、無数の視点があって、無数の答えがある。

そんなこともあらためて発見した一冊でした。

 

瀬戸内国際芸術祭 – 西の島・粟島で、記憶を未来につないでゆく

はやくも暦は11月となり、瀬戸内国際芸術祭2016の秋会期も終わりが迫ってきました。

どうしても会期中にお伝えしたいのが、秋会期だけ会場となる西の4島、本島・高見島・粟島・伊吹島の魅力。

(四国本島と陸続きになっている沙弥島のみ、春会期)

 

東の島々に比べれば宇野港や高松港からも遠く、面積も小さいながら、そのぶん濃密な、島の時間を味わうことができます。

 

アート作品自体も、島の歴史や風習をテーマにしたり、島の人々といっしょに作り上げたものが多く見られます。

そこで、この島々では、ぜひ地元の人に話を聞くことをおすすめします。

芸術祭の公式サポーター・こえび隊のみなさんはもちろん、それ以外でもボランティアでガイドや手作りのおみやげをつくられている方が多くおられます。

 

粟島や伊吹島には、島四国とよばれる八十八か所めぐりがあります。

四国本島のお遍路さんと同じく、そうした旅人へのお接待の文化が引き継がれているおかげかもしれません。

 

今回は、そんな西の島のひとつ、粟島をご紹介します。

 

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日本初の海員養成学校だった建物を利用した、粟島海洋記念館。

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記念館向かいの「一昨日丸」とともに、日比野克彦さんのプロジェクトが展開されています。

一昨日丸が海底から引き上げたものを展示し、見る人に想像させる SOKO LABO。

路上観察学ならぬ、海底観察学でしょうか。

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ここから三十分ほど歩き、港と反対側の西浜へ。

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引き上げたレンガでつくられた「Re-ing-A」(レインガ)が沖合に漂流しています。

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堤防には、日比野さんのことばを、地元の小学生が一文字ずつ手書きしたパネルがまっすぐに並びます。

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そこにあるのは、過去形の記憶。けれど、こどもたちといっしょにことばをつむぐことで、それは現在進行形になり、未来へと向かっていく。

そんな希望を感じさせます。

 

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漂流する記憶といえば、漂流郵便局。

届け先のわからない、あるいはもう届けることのできない人へ向けた手紙を預かる郵便局です。

三年前にはじまったこのプロジェクトが、ずっと継続され、いまも毎日、誰かからの手紙が届き続けています。

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さいごに、旧粟島中学校の校舎を利用した粟島芸術家村。

 

島に滞在するアーティストが、島にゆかりのある人々から注文を聞いて作品を作り上げる「誰がための染物店」。

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作品を見るということは、人の記憶にふれるということ。

ものがたりに耳をすますということ。

 

あなたは、島から、どんなものがたりを聴くでしょうか。

 

 

芸術の、その先へ。路上観察レジェンドDay

路上観察といえば、「凪の渡し場」でも何度か取り上げられている、赤瀬川原平さん。

その赤瀬川さんと生前ゆかりのあった方々を招いてのトークイベント、その名も「路上観察レジェンドDay」が先日、岡山市で行われました。

 

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当日のJR岡山駅。

駅前では「おかやま国際音楽祭」のマーチングコンサートがあったり、「岡山芸術交流」という芸術祭の会期がスタートしたりと、同時多発的にさまざまなイベントが行われていたようです。
岡山芸術交流については、後ほど別の記事で取り上げようと思います。

 

駅の西口から徒歩で数分、奉還町商店街へ。

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相変わらず、タイポさんぽをはじめると足の進みが遅くなってしまいます。

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このとなりのカフェバー、KAMPが会場です。

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主催は、日本ピクトさん学会の内海慶一さん。

「ピクトさん」とは、案内や警告に使われる人型ピクトグラム。
ときに、その身を犠牲にしてわたしたちに警告してくれる献身的な姿勢に対する敬称です。

 

ゲストは小学館「ドラえもんルーム」編集長の徳山さんと、おかやま路上観察学会主宰の河原さん。

徳山さんは、ご自身の路上観察の話だけでなく、赤瀬川さんが作られた「本物の零円札」を持参されていました。

世に言う「千円札事件」、千円札を模写したアート作品が偽札にあたるとして有罪判決を受けたあとの作品。

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この作品が「つくる」アートだとしたら、路上観察は「みつける」アート。

赤瀬川さんの著作「超芸術トマソン」は、当時の読売巨人軍の4番バッターながらまったく活躍しなかった助っ人外国人になぞらえて、街中にある無用物を「トマソン」として収集、分類した本です。

その記念すべきトマソン第一号が、このチラシのロゴにもなっている「四谷の純粋階段」。

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のぼっておりるだけで、どこにもつながらない階段。それは、すでに現代アートを超えた存在。

 

河原さんのトークでも、岡山にあったトマソン物件が話題に。

内海さんが地名を口に出されたので、気になってイベント後に現況を見にいってきました。

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こちらが、その階段。

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のぼると前には進めず。

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左に曲がるとスロープがあるのですが、

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それをおりると元の場所に戻るという。

 

近くに公園があり、当日はここでもおかやま国際音楽祭のイベントが行われていました。

芸術祭ではなく、音楽祭のイベントというのがおもしろいところ。

階段上のベンチで休憩したり、スロープで遊ぶ子供の姿も見られ、もはや無用物ではなさそうです。

かつてトマソンだった頃のエピソードは、地元でもほとんど知られていないとのこと。

引退して芸能界に転身した野球選手が、現役時代よりも有名になった…という感じなのでしょうか。

 

あまり岡山のことを知らない身からしたら、新鮮な話もありつつ、路上観察学の奥深さを感じることができました。

まちあるきには、無数の視点がある。