電子書籍アプリに息づく、明朝体フォントの歴史

日本の明朝体を読みなおす – 月刊MdN 2017年10月号特集:絶対フォント感を身につける。[明朝体編]では、歴史をひもとくことで、明朝体フォントを見分けるコツを紹介していました。

 

漢字のふるさとでもある中国で発明された活版印刷は、西欧に渡り発展を遂げたのち、19世紀の中国に再輸入されます。

その技術が幕末〜明治時代の長崎に伝承され、日本において金属活字がつくられはじめます。

そこから、近代日本の明朝体の歴史がはじまったのでした。

 

当時設立された活版印刷の会社から、今につながるふたつの明朝体の流れが生まれます。

ひとつは、東京築地活版製造所の「築地体」。

もうひとつは、活版印刷所秀英舎の「秀英体」。

 

秀英体を生んだ秀英舎は、ちょうどこの記事を公開したきょう、10月9日が創立記念日だそうです。

明治9年(1876年)の創立から141年、現社名・大日本印刷株式会社(DNP)といえば、本の奥付などで目にする機会も多いのではないでしょうか。秀英体も、多くの書籍に使われ続けています。

沿革 | DNP 大日本印刷株式会社

1876―1944|当社の前身、秀英舎は、明治維新後まもない1876年(明治9年)、東京・銀座の地に誕生しました。「活版印刷を通じて人々の知識や文化の向上に貢献したい」。創業の原動力になったのは、発起人たちのそんな熱い思いでした。秀英舎にとって初めての大仕事は、大ベストセラーとなった『改正西国立志編』(原題『Self-Help』、スマイルズ著)の印刷。若者たちに勇気を与えたこの本は、日本初の…

現在は丸善やジュンク堂書店を経営する丸善CHIホールディングスの関連会社でもあり、電子書籍サービス honto にも出資しています。

ということは…?

そう、honto電子書籍リーダーアプリでは、秀英体(秀英明朝)で本を読むことができるのです。

(2017/10/09現在、iPhone/iPad バージョン 6.25.1 時点の情報。他のOSやバージョンによって異なる可能性があります。以下同じ)

スクリーンショットは夢野久作「ドグラ・マグラ」(青空文庫版)で撮りました。全角ダーシが途切れているのが少し残念ですね。

ちなみに、他の明朝体としてモリサワのリュウミンも選択できます。

「こうした」や「い」などのひらがなに注目すると、秀英明朝では筆がつながっているのがわかります。

明治期の小説を読むときは、より時代の雰囲気が感じられそうです。

 

さて、では築地体の話にうつりましょう。

築地体は、筆文字の印象が強い「前期」と、より骨格が整えられた「後期」にわかれます。

いまも使われる明朝体の多くは後期築地体から発展したものといわれています。

その中で、とくに明治・大正時代の金属活字の復刻をめざしたのが「游明朝体五号かな」や「游築初号かな」などの游書体シリーズです。

通常の游明朝体は紀伊國屋書店がリリースしている電子書籍リーダーKinoppyで使うことができます。

(iPhone/iPad バージョン 3.2.7 時点)

 

また、築地体をベースにしながら、大胆かつ新鮮なデザインを生み出しているのが筑紫Aオールド明朝などの筑紫シリーズ。

筑紫明朝は、三省堂書店と提携しているBookLive! や、楽天ブックスが運営する楽天Koboで使えます。

こちらは楽天Koboのスクリーンショットです。(iPhone/iPad バージョン 8.7.1)

ひらがなが漢字よりひとまわり小さめで、なんとなくやわらかい印象を受けますね。

 

ちなみにKindle などの専用端末は持っていないので不明ですが、iPad のKindleアプリはOS標準(ヒラギノ明朝)でしか読むことができませんでした。

 

電子で本を読む時代になっても、フォントには、たしかに活字の時代からの歴史が息づいています。

今後、ますます電子本が普及していくとしたら、そこに搭載されるフォントの選択肢もまた広がっていってほしいと願います。

 






一人で読む、他人を感じる – という、はなし

本というのは、とてもふしぎな存在です。

世界の一部を切り取ったかのような紙面に、あるいはディスプレイに、端正に並べられた文字列。

ひとたびその文字の海に目を向ければ、どこにいても、だれといても、まったく違う世界へと漕ぎ出すことができるのです。

 

そんなことをあらためて思ったのは、こちらの本を読んだからでした。

 

クラフト・エヴィング商會の一員として、この世のどこにもないような本を作り続ける吉田篤弘さんが語るおはなし。

この本は、装画を担当したフジモトマサルさんのイラストが先にあって、そこから連想される物語を吉田さんが文章にするというかたちで作られたといいます。

あとがきにいわく、挿絵ならぬ「挿文」。

 

じっさいに、本を開けば、挿絵以上の存在感をもってフジモトさんの絵が目に飛び込んできます。

どのイラストにも、黒猫、ペンギン、シロクマなどの擬人化された動物が本を読んでいる姿が描かれています。

あるいは電車の中で。駅のホームで。

図書館の片隅で。入院先のベッドで。おふろの中で。

 

読書というのは、本質的に孤独なものです。

もちろん、絵本の「よみきかせ」や朗読といった形態もありますが、ここに描かれているのは、黙読としての本を読むひとびとの姿です。

絵本を読む子供(の動物)が描かれるシーンでも、かれらはそれぞれ背中合わせになって別々の本を読んでいるので、おそらくフジモトさんの意図がそこにあると見ていいでしょう。

静かに本を読む瞬間、わたしたちはいっとき現実世界から離れて、ひとりの時間を手に入れます。

 

けれど、それは同時に、他人の存在を意識するものでもあります。

まさに吉田さんがフジモトさんの絵を意識して物語を組み上げたように。

読者も、その文章を通して、作者の存在を物語の向こうに垣間見ます。

あるいは、誰かからおすすめされた本であれば、その人のことを想ってページをめくることもあるでしょう。

逆に、物語を読みすすめるうちに、これはあの人が好きそうな本だ、と誰かのことが頭に浮かんだり。

 

本を読み終えた後で、他人に感想を話したり、他人の意見を聞いてみたいと思うことも。

あるいは、この読書体験は、自分ひとりだけのものにしたいと思うことも。

 

一冊の本を通して、他人を感じることで、世界は無限にひろがっていきます。

 

住んでいるまちを好きになるということ – なごやじまん

あなたは、自分の住んでいるまちが好きですか?

あるいは、かつて住んでいたまち、ふるさと、訪れた場所など…好きだと言えるまちはあるでしょうか。

 

いまわたしが住んでいるまちは、愛知県名古屋市というところです。

東京、大阪に次ぐ三大都市と言われながら、ときに「魅力のない街」などといったレッテルが貼られ、当の名古屋人でも、そう言われてうなずいてしまう人も少なくありません。

そんな風潮に異議を唱えるべく、名古屋在住のライター、大竹敏之さんがこんな本を出版しました。

表紙には、この地に昔から住んでいる方にはなじみが深いであろう、圧倒的な地元ブランドを誇る松坂屋百貨店でかつて使われていた包装紙が使われています。

本文でも巻頭記事として、その松坂屋がいかに名古屋を愛し、そのお返しのように名古屋の人に愛されてきたかという歴史が滔々と語られます。

 

普通の観光案内で取り上げられるような名所や、いわゆる「なごやめし」も当然取り上げられているのですが、あくまで地に足の着いた目線で、地元の人に長く愛される名店を中心に語られます。

あのちくさ正文館が、ナナちゃん人形や徳川美術館などと同列に並ぶ目次は壮観です。

 

毎年秋に開催されている「やっとかめ文化祭」を紙上で再現するという記事の中では、名古屋渋ビル研究会(高度成長期の渋いビルを愛でる会)や、建物にタイルで建物に描かれたアートを鑑賞するモザイク壁画などのまちあるき企画も紹介されています。

YATTOKAME LIFE丨やっとかめライフ

やっとかめライフオフィシャルサイトです。

住み慣れた場所であっても、その歴史を学んだり、ふだん通り過ぎてしまうものに目を向けることで、新しい楽しみを見つけることができるのがまちあるきの魅力です。

わたし自身、まちあるきをするようになって、そのまちをもっと好きになることができました。

地元だからこそ、その魅力に気づかないのだとしたら、それは自分のことを好きになれない自己肯定感の低さにもつながっているかもしれません。

 

好きなお店や食べ物。

ここで出会った人との想い出。

それが地層のように積み重なって、自分だけのまちとのつながりが生まれます。

それを大切にすることで、まちも自分自身も好きになっていけるはず。

 

そして、好きなまちができたら、まわりにアピールしなければもったいない。

自分の好きなまちの魅力を発信するとともに、いろんな人の住んでいるまちのことをもっと聞きたいと思います。

そうすることで、お互いが、まちのことをもっと知ることができます。

 

この読書会は実在する – 架空読書会

読書会という催しをご存知でしょうか。

ある一冊の本を課題本に決めたり、あるいは何かテーマを決めて参加者がテーマに沿った本を持ち寄ったりして、それらの本に対する意見や感想を話し合う場です。

自分の好きな本について語るだけではなく、ふだん一人ではなかなか読めないような本を読むきっかけになったり、お互いにまったく違うバックグラウンドをもった人の視点からの感想を聞けたりと、多くの魅力があります。

 

そして、そんな読書会仲間のうちで、ひっそりと噂にのぼる会がありました。

その名も、架空読書会

読書会である以上、そこには必ず語られる本が存在するはずです。

けれども架空読書会には、課題となる本が存在しない…その名の通り〈架空〉の本について語り合うのだというのです。

 

そんな読書会が、果たして実在するのか。

そんな読書会があるなら参加してみたい。

 

ほどなく、そんな話が持ち上がり、あれよあれよという間に実現する運びとなりました。

 

こちらが今回、架空読書会にあたって用意した「お品書き」です。

会のスタート時点では、まだ真っ白。

 

参加者の方に、事前に考えてきてもらった架空の本のタイトルを、その場でここに書き込んでいきます。

ほかの参加者も、その本を読んできたという体裁で、一冊ずつ、そのタイトルから連想される感想を語り合っていきます。

 

たとえばわたしは「いまひとたびの、ふたり旅」というタイトルを挙げました。

誰かが口火を切ります。

「なかなかの恋愛小説でしたね。主人公はけっこう、年のいったふたりでしたけど…」

発言は自由に行われますが、誰かが言った感想は、それがそのまま真実となります。

以降、この本は、熟年恋愛小説ということで話が進んでいきます。

「なんだか妙に鉄道ネタが多いけれど、ちょっと考証が甘い気がするな」

「著者は沖縄出身ですからね」

「でも、この宮崎の風景描写は、さすが南国の雰囲気が出ていて良かったですよ」

そうやって、この世に存在しない本の輪郭が、すこしずつ姿を現しはじめます。

 

さまざまな読書会に参加し、豊富な知識をもつ方が多く集まったおかげか、当意即妙の切り返しで、驚くほど自然に会話が成立します。

かと思いきや。

どう考えても幻想小説のようなタイトルに対して「ビジネス書である」という発言が飛び出し、思わず全員が言葉を失ったり。

「大人の登場人物の描写がステレオタイプだ」という発言を受けて、著者は高校生だから、という回答を用意してみたり。

 

ルールに則った上で、ほかの参加者の意表を突く発言をすることもあれば、あくまでまじめに会話を成立させようと頭をひねっる人も。

ふつうの読書会・勉強会とはまた違った、新鮮な発見と楽しみがあります。

 

この日、この場にだけは、どこにもない〈架空〉の本の世界が、たしかに存在したのでした。

 

もし、こんな架空読書会に参加したい、開催したいという声があれば、いつでもご連絡をお待ちしています。

 

敏感な人の生きづらさを解消する – 過敏で傷つきやすい人たち

HSP(敏感すぎる人々)という概念を知ってから、わたし自身も思い当たるふしが多々あることもあり、とても気になっています。

同時に、人によっては医学的な概念ではないといわれ、もっと深く、正しい理解をしていかないと、一面的なものの見方になりそうな予感もしています。

 

今回は、知人を通して知った、こちらの本をご紹介します。

HSPという概念で、過敏であるがゆえに生きづらさを感じていた人に寄り添いつつ、比較的ニュートラルに、データに基づいた冷静な分析がされています。

 

まずなにより共感したのは、敏感すぎる人の辛さは、敏感すぎること自身よりも、それがなかなか他人に理解されないことにある、という主張です。

騒音や冷暖房などの環境に対する反応や、他人の発言の受け止め方などには個人差があって、ある人にはなんでもないことでも、別の人には耐えられないこともあります。

「HSP」という概念が生み出されることによってはじめて、そういう人もいるのだということが世の中に理解される。

それが、そうした感じ方の違いを認め合える社会への第一歩といってもいいかもしれません。

 

そしてこの本ではさらに、「HSP」とひとくくりにされる敏感さにも個人差があって、それぞれに違う処方箋があるのだということを分析していきます。

いろいろな視点で見ることで、ものごとが違った表情を見せるように。

いろいろな切り口を考えることは、自分自身を理解する上でも、他人を理解する上でも大事なことです。

同じHSPということで理解しあえることもあれば、ささいなすれ違いで誤解を生むこともあるかもしれない。

けれど、それもきっと、乗り越えられないものではありません。

 

敏感すぎる人の生きづらさも、ものの見方を変え、行動を変えていくことで、少しずつ解消していくことができます。