旅の終わり、あるいは始まり。- あいちトリエンナーレ2016

8月にはじまった、三年に一度のアートの祭典、あいちトリエンナーレ。

三回目となる今回も、ついに先週、10月23日にフィナーレを迎えました。

当日は長者町ゑびす祭りが同時開催されており、そちらにも足を運びました。

 

六年前、第一回のあいちトリエンナーレ2010から会場となっている長者町繊維街は、トリエンナーレで大きく変わった街だといいます。

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こちらは六年前の画像。偶然にも、ほぼ同じ場所を、今年も撮っていました。

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手前の駐車場では、トリエンナーレ連携事業として、JIA愛知(日本建築家協会東海支部 愛知地域会)による建築家フェスティバルが行われていました。

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街や建築への想いを、短冊にして飾るというブース。

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ちょっと関係ない短冊もある気がしますが、それはそれで。

にぎわいのある街には、人が集まる。そして、少しずつ古いものが形を変え、何か新しいことがはじまる。

 

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木材を利用したウッドデッキやベンチを街中に配置した、都市の木質化プロジェクト。

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堀田商事のルアンルパさんによるルル学校(N-57)も祝卒業の幕が掲げられていました。

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祭りといえば山車。八木兵錦6号館で展示されていた白川昌生さんの銀のシャチホコ(N-61)も、山車として表舞台へ。

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アートと屋台が同居する、長者町ゑびす祭り。こちらはロゴがかわいくて思わず足を止めてしまった、いなよしのからあげ。からあげも、とても美味でした。

 

そして、栄会場の中央広小路ビル、大愛知なるへそ新聞社へ。

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人々の記憶を取材し、まちの建物が建てかわるように、少しずつ記事が変化していく「記憶の地図」。

そのコンセプトに惹かれて、トリエンナーレ開催前、長者町の学書ビルでの活動当初から参加させてもらいました。

 

初回の取材は、都市の木質化プロジェクトやルル学校にも関わっておられる、滝一株式会社の滝さんでした。わたしが書いた記事ではないですが 、なるへそ新聞の0号に掲載されています。

わたし自身での取材はなかなかできなかったのが心残りですが、記事を手書きにしたり、題字を書いたりと、記者として楽しい時間を過ごさせてもらいました。

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こっそり空き地に置いておいたパイロンが、まさか最終号まで残ることになるとは。

そう、この日に発行された17号をもって、大愛知なるへそ新聞も完了。

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最後に編集長から直々に落款を押してもらいます。

山田亘編集長、村田仁副編集長、そして編集部記者、記事連載陣の方々(港千尋芸術監督も!)、取材を受けていただいた方々、来場者の方々。

トリエンナーレがなければ、出会うことがなかったかもしれません。

ここで、さまざまな縁がつながり、交流をもつことになった、すべてのみなさまに感謝を。

 

19時をまわり、「虹のキャラバンサライ」を掲げたあいちトリエンナーレ2016の旅は、ここが終着点。

20世紀をイメージしたこの編集部も、文字通り記憶へと変わっていきます。

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けれど、終わりは新しい始まり。

街と人は、少しずつ変わりながら、生きているかぎり歩みを止めることはありません。

 

三年後、あいちトリエンナーレ2019は、どのような形で迎えることになるのでしょうか。

そのときを楽しみにしつつ、ここからまた、新しい旅がはじまります。

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豊橋・水上ビルで、まちの記憶にふれる

ついに会期わずかとなった、あいちトリエンナーレ2016。

今日は、なかなか行く都合がつかなかった豊橋地区を取り上げます。例によって、作品以外の視点多めです。

 

豊橋へは、JR、名鉄、あるいは東海道新幹線で豊橋駅へ。作品会場は駅周辺に集中しています。

とくに印象的なのが、その舞台のひとつである、水上ビル。

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豊橋には何回か訪れているのですが、路面電車の北側エリアしか歩いたことがなく、今回その存在をはじめて知りました。

その名の通り、農業用水路の上に連なるビル群の総称です。

大阪の船場センタービル(高架道路の下につくられたビル)に負けず劣らず、なかなか見られない、めずらしい構造ではないでしょうか。

ビルの1階は商店街になっていて、トリエンナーレ作品と、商店街の看板を同時に楽しむことができます。

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NOWなスナック。

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怪盗のほうのルパンはLupinなので、別の意味があるのか…そしてフォントがMSゴシックに見えるのも気になります。

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健康への Hop Step Jump!

Microsoft Officeで作ったようなクリップアートが、たまらない味を出しています。

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ごく自然に見逃してしまいそうな「はちみつ」ですが、よく考えると一箱でも足りなかったり、順番が入れ替わっていたら読めなくなるわけで、使い手の律儀さを試されているデザインだなぁと。

 

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いろいろと話題になっているらしいラウラ・リマさんの作品(T-04)ですが、鳥たちはどこ吹く風。

それよりも、この渋ビルの風情に注目がいってしまいます。

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ヨルネル・マルティネスさんの作品(T-05)。セメント袋でつくられた雑誌というメディアのかたち。

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海外の日用品のパッケージ。タイプディレクターの小林章さんがつくられたフォントがいくつもありそうです。

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こちらは作品ではないですが、トリエンナーレ公式ガイドブックに載っており、気になっていたヒグラシ珈琲さん。

レトロ喫茶店をメンテナンスして近年オープンされたとのこと。

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いっぽう、こちらは別の会場、開発ビル地下の喫茶店。めずらしい形のリガチャ(合字)。キーコーヒーのステッカーが横向きなのも気になります。

今回は時間が合わず、どちらも行けなかったので、文字通り Try Again、再訪を誓ったのでした。

開発ビルの中も、それはそれは素晴らしい空間。

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あえて作品紹介はひとつだけ。この記事のしめくくりにはぴったりな、岡部昌生さんによるフロッタージュ作品(T-13)、豊橋市のマンホール。

 

記録されることで、まちは人の記憶に残る。

今回のあいちトリエンナーレ全体に通じるテーマを、そこに感じました。

 

ひとりひとりの「視点」のちがいを考える

人は、他の誰でもない、自分だけの視点をもっています。

 

たとえば、こんな話をご存知でしょうか。

 

ふたりが並んで、同じ風景を見ていたとします。

それぞれが同じものを見ているようでいて、実は別のものが見えているのです。

 

それは、ふたりの立つ位置や身長が厳密に同じ場所ではないことから、同じものでも見える角度が違うという物理的な理由であったり。

あるいは、瞳に映る光や色の感じ方も、人によって感度の差があるという視覚的な理由であったり。

さらには、それぞれが過ごしてきた人生における体験、知識の違いから、認識が異なるという理由であったり。

 

この話をどこかで聞いた(あるいは読んだ)とき、なんとも言えず全身が震えるような感動をおぼえました。

逆に言えば、どれだけ体を近づけても、あるいは心が通い合っていても、同じ目で見ることはできないということ。

おそらく、はるか昔から、そんなひとりひとりの視点の違いに気づいた人がいることでしょう。

それをなんとかしたいという想いが、絵画や写真という技術を発達させる原動力になってきたのではないかとさえ思えます。

 

さて、さらに妄想をふくらませてみましょう。

このふたりが、恋人どうしであったとしたら。

そして、やがて結婚し、こどもが産まれたとしたら。

ふたりの視点を受け継ぎつつ、この世に、さらにもうひとつ、新しい視点がうまれることになります。

 

そのこどもが、お父さん・お母さんに、おんぶやだっこをしてもらったとしたらどうでしょう。

物理的な意味では、両親どうしよりも近い視点で、同じ風景を見ることができると言えます。

 

こどもがどうして、肩車や、たかいたかいを嬉しがるのか。

それは一瞬であれ、お父さんやお母さんの身長よりも高い視点から、世界を見ることができるからかもしれません。

親にとっても、自分ひとりだけではみつけられない、そんな新しい視点を得るところに子育ての楽しみがありそうです。

 

わたしにはまだこどもがいないので、まったくの想像で書いています。

けれど自分にも、物心つく前に、そんな視点を手に入れた瞬間があったはず。

それを思うと、両親やその祖先といった無数の先人の視点が、わたしの中に受け継がれていることに感謝しつつ。

そんな視点を、未来に受け継いでいければとも思います。

 

大海へと漕ぎ出す羅針盤を手に入れよう – 内向型人間のための人生戦略大全

内気、引っ込み思案と言われ、生きづらさを感じることも多い内向型人間。

そんな人の手助けとなる本を、また一冊見つけたのでご紹介します。

 

その書名のとおり、プライベートでの人間関係、パートナーの探し方から、職場での働き方、対人交渉のコツなど、人生のさまざまなシーンにおける内向型人間ならではの悩みの解決方法が解説されています。

 

もちろん、ひとくちに内向型人間といっても、その度合や傾向はさまざま。

第一部では、まずチェックリストを使って、自分は誰か、どのような強み・弱みがあるかを知ることができます。

この本では「内向型」と「外向型」を、一本の直線の両端にある二点だ、と表現しています。(数学的に正しくは「線分」だと思うのですが…というのはともかく)

その直線(線分)のどこかに、わたしたちはひとりひとり、ここちよいと感じる範囲・快適ゾーンをもっていて、そのなかに生きているのだと。

そうやって自分の立ち位置を把握したあと、典型的な内向型人間の強み・弱みが紹介され、自分にあてはまるものを選んでいきます。

そして第二部では、それをどう人生の中で活かすことができるか? を考えていくことになります。

 

わたしの場合、かなり極端な「内向型」の側に寄っているために、生活の中で不都合を感じることもしばしばでした。

けれど、内向型にしては、新しいことへの好奇心や探求心は強いほうというのが特徴。

そこで、内向型ならではの分析力という強みと組み合わせ、新しい視点をどんどん取り入れつつ、その情報を整理・分析して問題解決にあたるのが人生戦略として有効ということがわかります。

実は、それこそが、このブログが目指すところ。二つ名である「探索士」というのも、そんな自己分析の結果だったりします。

 

人生というのが、大海にたったひとりで船を漕ぎ出すようなものだとしたら。

その航海には、方角を指し示す羅針盤が必要。この本を読むことで、それを手に入れることができると言えそうです。

 

もうひとつ大事なことは、羅針盤で方角がわかったからといって、けっして全員が同じ場所に進まなければならないわけではないということ。

漕ぎ出す海ですら、快適ゾーンをもとに、自分で決めることができます。

それこそ瀬戸内海のような、穏やかに見えて豊穣な内海がここちよければ、そこを遊覧するのでもいい。

あえて快適ゾーンから少しはみ出して、日本海や太平洋のような、ときに嵐も訪れる外海に漕ぎ出すのでもいい。

 

自分自身を正しく知ることで、実りのある、自分だけの生き方を見つけていきましょう。

 

おかやま、アート視点のまちあるき – 岡山芸術交流

いよいよ瀬戸内国際芸術祭の秋会期がはじまりました。

夏会期より過ごしやすい気候となり、また本島・高見島・粟島・伊吹島といった西の島々の作品も加わるとあって、訪問を計画している方も多いと思います。

ですが、現代アートが好きなら、ぜひもう一か所、訪問の候補に加えてほしいところがあります。

それが、岡山市内で開催されている岡山芸術交流

岡山芸術交流は、芸術を通じて国境や文化、世代を超えた様々な交流が生まれることをめざす大型国際展覧会です。

第1回のディレクターとなったリアム・ギリックが掲げたのは「開発」。

ソフトウェアやアプリの開発、公共事業、あるいは伝統工芸。

人によって思い浮かべるものはさまざまでしょうが、アートをものづくりの視点でもとらえたものとすれば、なかなかしっくりきます。

 

そんな岡山芸術交流の主要会場は、岡山駅から桃太郎通りをまっすぐ東へ進んだ、岡山城付近。

市電だと城下停留所、あるいは県庁通り停留所が便利です。

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北へ行くと、岡山市立オリエント美術館。ここは通常の展示の中に、今回の芸術祭の展示があるパターンですね。

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この車椅子ピクトさんは!

ここをはじめ、岡山芸術交流の会場各地で共通鑑賞券(一般1800円)を買えます。

 

その北には、旧後楽館天神校舎跡地。

校舎の1Fから3F、さらに中庭まで使った展示だけでなく、校舎自体の味わいも堪能できます。

インフォメーションセンターやグッズ売り場もあり、実質ここがメイン会場の扱いになっているようです。

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なるへそ新聞ではなく山陽新聞でした。

「無人島で合コン、独身男女集まれ」…? ではなく、その上の岡山芸術交流の記事のために展示されているようです。

 

さらに北の岡山県立美術館は会場になっておらず、岡山県天神山文化プラザ。

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この建物と、南の林原美術館、岡山県庁は前川國男の設計したもの。実に見事なモダニズム建築です。

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岡山と言えば桃太郎、それと桃をテーマにした眞島竜男さんの作品。

奥で流れている制作過程ビデオが妙にいい味を出していて、これだけDVDで買いたくなりました(笑)。

 

近くの空き地には、今回の展示の一環なのかは不明ですが、「A&A」というモニュメントが。

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偶然にも、雨上がりに訪れたので、水たまりに文字が映りこむ一瞬をとらえることができました。

 

南に戻って、岡山県庁へ。

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工事中の覆いに、前川國男のことばが。なかなか刺激的なフレーズが並びます。

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県庁の威容に驚きます。香川県庁とは似て非なる重厚感。

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県庁の中にはポプラグループのコンビニ・生活彩家もありましたが、休日だからか営業していなかったのは残念。

 

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初訪問なので、どれが今回の展示なのかよくわからないほど溶け込んでいます。

 

アートだけでなく、街中にも見どころが多く、一日ではなかなかすべてをまわりきることは難しいかもしれません。

歩き疲れたときには、岡山シンフォニービル向かいの、ちいさな“テロワール” に立ち寄るのがおすすめ。

休日には飲み物や食事の提供もあり、ゆっくりとくつろげるスペースになっています。

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瀬戸キュン!レモネードのロゴもかわいい。

 

おまけ。帰りに、運良く「たま電車」にめぐりあえました。

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和歌山電鐵の伝説のねこ駅長、たまをモチーフにした路面電車です。

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瀬戸内国際芸術祭とは違ったタイプの都市型芸術祭。岡山芸術交流は、まちあるきの楽しみをさらに広げてくれます。