京都にひろがる、もじのうみ – 水のような、空気のような活字展覧会

わたしたちは、日々、文字にかこまれて生きています。

スマホを手にすれば、アプリやウェブの画面に表示されるデジタルフォントを読んで。
車に乗れば、カーナビや高速道路の文字で行き先を確認して。
本屋に行けば、棚に並ぶ雑誌や本の表紙から、さまざまなタイトルロゴが目に飛び込んできて。

日本人にとってのお米のように、当たり前のようにそこにあって。
でも、お米と同じように、そんな文字を、丹精こめてつくり出す人がいます。

水のような、空気のようなフォントを世の中に生み出す人がいる – 文字を作る仕事 で紹介した、書体設計士・鳥海修さんもそのお一人です。
そんな鳥海さんの文字作りを紹介する「もじのうみ: 水のような、空気のような活字」展が、京都 ddd ギャラリーで開催されています。

京都dddギャラリー

京都dddギャラリー第231回企画展 鳥海修「もじのうみ: 水のような、空気のような活字」 「日本人にとって文字は水であり、米である」というタイポグラファー・小塚昌彦の言葉をきっかけに、これまで100以上もの書体を生み出してきた鳥海修。本展「もじのうみ: …

本展の公式解説動画は YouTube にもアップロードされています。

会場は京都市営地下鉄東西線、太秦天神川駅近く。京都駅から地下鉄でも行けますが、今回はJRと嵐山電鉄を乗り継いで、まちあるきをしつつ訪れてみます。

JR嵯峨野線、円町駅で下車し、北へぶらぶらと。路地や寺社が散在する中、古い文字を探すのも楽しいです。

たばこ自動販売機

スピード感のある横書きも、もっちりした縦書きも素敵。「押して下さい」が意外に現代的なフォントに近い丸ゴシック体なのもポイントです。

大将軍商店街 京都一条妖怪ストリート

斜体といい影のつけ方といい、こちらも時代を感じさせる看板ですね。

あとしまつ看板

あとしまつ看板にも鳥居の写真を使うところが、いかにも京都。

近くにある北野天満宮は、受験シーズンらしく中高生から大人までにぎわっています。

天満宮といえば天神信仰、菅原道真の和歌も掲げられています。文章博士でもあった道真の文字は達筆だったのでしょうね。

北野白梅町駅は嵐電北野線の始点です。すっきりとしたフォントですね。しかし次の駅はなにやら様子が…?

等持院・立命館大学衣笠キャンパス前駅

長っ!
2020年に現在の駅名に改称され、日本で一番長い駅名になったそうで、この駅名標を見たくて嵐電に乗ったようなものです。

これで日本一の座を奪われた富山地方鉄道の「富山トヨペット本社前(五福末広町)」電停は、翌年に「トヨタモビリティ富山 Gスクエア五福前(五福末広町)」に改称して日本最長を奪還するという、よくわからないデッドヒートが繰りひろげられています。

長体をかけていますが、このフォントなのでまだすっきり見えます。こんな駅名を見越してフォントを選んだわけではないでしょうけれど。

帷子ノ辻(かたびらのつじ)駅で乗り換え、嵐電天神川駅まで。

地下鉄・太秦天神川駅の出入り口を北東へ。

京都 ddd ギャラリーの建物が近づいてきました。
「もじのうみ」を大胆にアレンジしたロゴが出迎えます。

鳥海さんの故郷、山形県から望む鳥海山の景色のなかに、ヒラギノフォントや字游工房のフォントなどが美しく展示されています。

谷川俊太郎さんの詩のために描き下ろされたフォントの制作過程も見どころです。
一文字一文字を細かく修整しつつ、詩の一文一文で並べたときも違和感なく見えるよう、さらに調整していく。

「空気のような、水のような活字」をつくるためにそそがれる情熱は、並大抵ではありません。

見慣れたフォントが、まるで違う表情を見せます。

会期は2022年3月19日まで。日曜・月曜日は休館なので要注意です。
京都近辺の方なら、ぜひ足を運んでもらいたいと思います。

寅年に「組織のネコ」を目指して生きよう

まずは、タイトルがとても気になりました。

表紙のイラストでほとんど内容が説明されているので、いつもより画像を大きくしました。

会社などの組織における働き方を、ネコ目の動物にたとえて4タイプに分類しています。


横軸は組織の中央志向か、組織よりは自分の意志を重視するか。
縦軸は組織の中で大きなパフォーマンスを発揮しているかどうか。

  • 右上が群れを統率するライオン。社長や役員といった、まさに王道をゆく立場です。
  • 左下のイヌは、そんな組織にとことん忠実、ルールに従って動きます。
  • 対して、ネコはそこまでルールに縛られず、出世などにも興味がない。
  • そんなネコにとって、あこがれの存在がトラ
    変わり者と思われがちで組織の中央からは外れているれど、自分の使命を追求し、めざましい成果を上げている。

ある程度長く組織にいると、理想の働き方は何かとか、将来のキャリアを考える場面が増えてきます。

イヌ的な働き方や、ライオンという頂点を目指すだけでなく、右側の道もあるよ、とあらためて気づかされます。

ネコ派になるかイヌ派になるかは個人の特性によるとすれば、両者は確率的にほぼ半々になるはずです。

でも、かつての高度成長期はイヌとして働くほうが効率がよかったせいか、イヌの皮をかぶったネコ=「隠れネコ」がそれなりの数いて、組織といえば〈イヌ派=多数派〉という図式ができあがっているようです。

平成の終わりから令和にかけて続くネコブームは、その反動でしょうか。

ただ、本を読むまでわたしも勘違いしていたことがあります。
ネコというと自由気ままのイメージですが、「組織のネコ」は、わがまま放題というわけにはいきません。
そうではなく、あくまで自分にとって意味のある仕事か? という〈自らに由る〉価値観で判断するのが「組織のネコ」という意味だそう。

そして、ネコ派が成長・進化することで、その人だけの強みを活かした「組織のトラ」という働き方を手に入れることができる、というのが、本書の真のメッセージです。

個人的に振り返れば、会社の中外で明らかな「組織のトラ」を目の当たりにすると、あこがれとともに圧倒されてしまい、とてもこうはなれない、と思ってしまうことが多くありました。
フリーランス、転職、独立だってつらすぎる。

それは、ひょっとしたら「隠れネコ」という働き方でも、それなりに評価されてしまっているせいかもしれません。

価値観はネコ的なのに、イヌ的な働きもやればできる、できてしまう。
ただ、ずっとそれだと疲れてしまう、というのも確かです。

5年ほど前に書いた、自分の資質を知り、強みを活かす – ストレングスファインダー という記事を読み返してみました。

ひとつの強みにフォーカスすると成果は出せるけれど、実はあまりやりたくない仕事ばかり回ってきてしまう、ということもあります。

「慎重さ」や「分析思考」から計画を立てたりルールを作るのは得意だけれど、ワクワクする体験にめぐりあえない、本当に価値の高い仕事ができているのか不安になる。

だからこそ、組織の中にいても組織の使命を絶対視するのではなく、自分に忠実に生きる「組織のネコ」を、まずは目指してみましょう。

そして、ずっとネコでいられるならいいけれど、組織の中に理解者がいないと、またイヌ的な働き方に組み込まれてしまうかもしれません。
いつの間にか、まるで向いていないのにライオン的なキャリアアップのレールを敷かれてしまう、なんてことも。

そうならないように、いざというとき身を守れる蓄えも大事でしょう。

自分の強みは、そのためにこそ発揮するのです。

成果主義も、成長も否定せず、「組織のトラ」として生きる道もある。
さらにトラを極めると「寅さん」になる、とも本書には書かれています。
わたしが思うに、トラを極めるだけでなく、小さなネコのまま、きらりと光る爪をとぐ、という生き方もあるかもしれません。

ヒトもネコも千差万別、自分だけの生き方を見つけましょう。

日常のレベルアップ – まちの見方を数値化する

あけましておめでとうございます。

さて、劇場版「呪術廻戦0」を観てきました。
せっかくの新年、ちょっといままでと違った導入をしてみたいという挑戦ですが、もちろんただの迎合ではありません。

人間の負の感情が呪いとして禍をなすという世界観の本シリーズでは、呪いを祓う〈呪術師〉と、祓いの対象となる〈呪霊〉や〈呪物〉に、それぞれ特級から四級までのレベルが存在します。

いわゆるジャンプ作品では、登場人物たちの強さのレベルを読者にもわかりやすく示すため、こういった数値化・序列化の手法がよく使われます。

呪術廻戦」でおもしろいのは、ヒトだけでなくモノにもレベルがあり、しかも同じレベルならヒトのほうが上(「二級術師は二級呪霊に勝つのが当たり前」)、とされていることです。

普通のヒトには見えない呪いを相手取る呪術師という、観るモノと観られるモノの非対称性が強調された設定のように感じます。

(この記事は「呪術廻戦」の考察が目的ではなく、2021年時点でアニメ化された原作8巻までを読んでの印象ですので、その後の展開と異なる点があってもご容赦ください)

では、この視点を、日常を楽しむ、まちあるき・路上観察・都市鑑賞といったジャンルに応用してみましょう。

なお、以下では数字の向きを逆にしたレベル0〜4という表記も併用しました。
これは対象が「なんでもあり」なジャンルなので、特級という究極の状態をイメージしづらいことと、まだ路上観察に目覚めていない状態を〈レベル0〉とするのがわかりやすいと思ったためです。

<(それなら呪術のくだりはいらなかったのでは…?)

(そうですね!)>

実はもうひとつのきっかけが、八馬智さんの「日常の絶景」(学芸出版社)を読んだことです。
本書では、その対象物をスケールの大きさからS、M、XLと分類しています。

それもひとつの軸としてありつつ、対象の見つけやすさ、人口に膾炙する度合いもまた別の軸にならないか、と発想しました。

つまり、絶景は非日常だけとは限らない。日常にも潜んでいる可能性がある。
そして、それらを能動的に探索するプロセスは、とても楽しいものだ。

八馬智「日常の絶景 知ってる街の、知らない見方」(学芸出版社) – はじめに より

レベル0(四級物件・鑑賞者未満)

いわゆる普通の旅行ガイドブックやTV番組で取り上げられるような観光名所、絶景だとか文化財と言われるものが対象になります。

先に書いたとおり、路上観察・都市鑑賞といったジャンルを知らない人にも魅力が伝わりやすく、説明なく楽しめるでしょう。

名古屋城金シャチ特別展覧

レベル1(三級物件・鑑賞者)

もともとは観て楽しむ対象ではなかったけれど、鑑賞者が増え、ある程度市民権を得たものが、これに当たります。

マンホールのふた〉だとか、ダム・工場・暗渠のように書籍の出版や商品展開に耐える知名度のもので、路上観察・都市鑑賞の入門にもうってつけ。
まちなかで三級物件を見つけて楽しめるようになれば、鑑賞者といって良いでしょう。

名古屋市下水道100周年記念マンホールのふた(マンホールカードは23-100-B001)

レベル0(四級物件)との見分けかたは、とくに同じ趣味を共有していない知人・友人に説明して、知らないかどうか。
「ブラタモリ」とかでは当たり前でも、暗渠とか中央構造線は一般常識ではないらしいので要注意です。

知らなくても、説明すればおもしろさをわかってもらいやすく、実際にそこから興味がわいて、この趣味にのめりこむ人も多くいるでしょう。わたしもそのひとり。

レベル2(二級物件・鑑賞者)

さらに知名度が低い…というよりも、当たり前すぎて、そこにあるのに普通の人には見えていない、まるで呪霊のような存在です。

このブログ〈凪の渡し場〉で取り上げたものだと〈パイロン〉だとか、看板の文字など、一見すると面白さがわかりにくいけれど、収集しつづけることで楽しむ目をやしなうことができます。

金シャチ特別展覧のパイロン(白)とフォント

レベル0の人とまちを歩いていて二級物件に遭遇したとき、いきなり写真を撮ったりすると、たいてい変な顔をされるのでご注意を。
なにか見えないものが見える人だと思われるそうです。おそろしいですね。

これがマンホールのふたのような三級物件なら、最近はデザインマンホールが増えてきて、観光案内所などでもマンホールカードをもらえたりするので、まだ説明がしやすい。

そういった助けがなくても「このパイロンはセフテック製のカラーコーンで白色はイベント時によく使われて」とか「金シャチフォントというのがあるけれどこのフォントはウロコの形が違って、右肩上がりが宋朝体っぽくて」などと具体的に説明できるようになると、二級鑑賞者の仲間入り。

「二級鑑賞者には二級物件が見えて当たり前」…かどうかは微妙なところですね。
ジャンルが違えば対象物件に詳しくないこともあるし、知っていても楽しめるかどうかは人それぞれなので、誰かにとっては二級物件でも、他の鑑賞者にとってはそうではないかもしれません。

したがってレベル2・二級の注意書きは「効果には個人差があります。他者との鑑賞にあたっては用法・用量を確認し、充分な説明が必要です」となります。

レベル3(一級物件・鑑賞者)

ここに至ると、いよいよ前人未踏の領域に近づきます。

レベル2・二級までは、「誰かが見つけた楽しみかたを、自分も楽しんでみる」という状態でした。
個人差はあっても、二級物件は既に誰かが見つけたもの。
ここからはそうではなく、自分自身で楽しみかたも、対象も見つけないといけないのです。

だからこそ自由で、真に創造的な世界です。参考にする他者はいません。

もちろん、偶然、同じ物件を別の角度から楽しんでいる人がいることもあります。

〈凪の渡し場〉でいえば、なんとか該当するのが〈あとしまつ看板〉でしょうか。
これですら、〈いぬの看板〉という呼び方で楽しまれている方がいらっしゃいますし、自身の分類も考察もまだまだと感じているので、一級鑑賞者とは自負できないと思っています。

名古屋市の金シャチあとしまつ看板

一級物件を楽しむのに他人は関係なく、理解されなくても良いのです。
路上観察・都市鑑賞の本質により近く、森博嗣さんのいう「個人研究」にもつながってくるでしょう。

レベル4(特級鑑賞者)

最初に書いたとおり、対象物件は既に一級時点で限りがないので、特級というのはイメージしづらいです。
まだ誰にも見つかっていないものを特級というのも変でしょうし。

ですから、観察者・鑑賞者のほうだけ考えてみましょう。

そもそも路上観察というジャンル自体が赤瀬川原平さんや、「考現学」の今和次郎さんといった先人の肩に乗るものです。

赤瀬川原平さんが街中の無用物を〈トマソン〉と名づけなければ、有名な四谷の純粋階段も一級のまま、人知れず消えていったことでしょう。
マンホールのふたも路上観察学会の林丈二さんの書籍によって、一級や二級から降級(?)したものです。

その意味で路上観察学会の方々は、みな間違いなく、それぞれレベル3、一級の目を持っていたことでしょう。
そして本来、自分にしか意味のもたない一級対象物を「見立て」や収集といった行為で、他の人にもわかりやすくすることで、対象物をレベルダウンさせる。
それを特級観察者と呼んでみるのはどうでしょうか。

古くは民芸も柳宗悦によって発見された美のひとつ。

現代で思いうかぶのは、なんといってもみうらじゅんさんです。
ゆるキャラ〉も〈いやげ物〉も、みうらじゅんさんのマイブームからはじまり、そもそもマイブームという言葉自体がみうらさんの造語というのは、レベル1以上の鑑賞者にとっては有名な逸話でしょう。

彼自身、良さがわからないままに収集を続けることで、その面白さを発見し、それを〈一人電通〉活動で広め、レベル0の人々にも見える状態にする。
ゆるキャラを人口に膾炙させ、一級から四級にまで落としてしまう。
それこそ、まさに特級の〈ない仕事〉づくりです。

2021年、不確実な世界を生きてゆく10冊+読書マップ

2021年の大晦日です。

アフターコロナを叫ぶ本は多くあれど、ものごとは年の区切りのように〈はじまり〉と〈おわり〉をはっきりつけられるものなのだろうか、と思っています。
そんなはっきりしない状態が不安だからこそ、人は区切りや区別をつけたがるのかもしれません。

さて、そんな時代に読みたい本とは。
いつものように時流に乗りすぎず、新刊にこだわらず、今年読んで個人的に印象深かった本を取りあげます。

去年までの〈今年の本〉記事はこちら。

昨年から導入した〈読書マップ〉です。

一年ぶんをまとめると冊数が多すぎるので、それぞれのブロックごと、黄色の枠で囲った10冊を中心に紹介していきます。
ここに取り上げられなかった本を含めて、毎月の読書マップは note にて公開しています。

短歌

今年もたくさん短歌を読み、詠みました。

東直子・穂村弘「短歌遠足帖」

歌人のお二人が、ゲストとともにさまざまな場所を訪れ、短歌を詠む吟行の様子を一冊にした本です。

なかなか外出がままならない時期もありましたが、個人的にも実際に吟行ツアーに参加したり、そうでなくても訪れた場所をテーマに短歌を詠むのは本当に楽しく、思い出の解像度も上がります。

この本にも登場する歌人の岡井隆さんは2020年に亡くなられました。
加藤治郎さんによる「岡井隆と現代短歌」(短歌研究社)で、その業績と現代短歌史を概説することができます。

新鋭の歌人としては寺井奈緒美さん「アーのようなカー」(書肆侃侃房)、工藤玲音(くどうれいん)「水中で口笛」(左右社)などが印象にのこりました。ともに日常エッセイ的な文章も楽しい。

科学・数学

ティ・カップに内接円をなすレモン占星術をかつて信ぜず

杉崎恒夫「食卓の音楽」六花書林

こちらは天文学者でもあった杉崎恒夫さんの歌集「食卓の音楽」冒頭の一首です。

科学と詩的世界は意外に親和性がよいのか、岡井さんは医学部出身、永田和宏さんも短歌と生物学の両方で顕著な業績をあげられています。

タイトルつながりでマーカス デュ・ソートイ「素数の音楽」も読みたい。

「ネコはどうしてわがままか」は、動物行動学者・日高敏隆さんの名エッセイです。
あっ、ネコが塀の上を歩いているので、あとで追いかけましょう。

「三体問題」(ブルーバックス)はSF小説の元ネタにもなった数学・天文学上の難題に挑む人々の400年の歴史を描きます。

カルロ・ロヴェッリ「すごい物理学講義」

2021年7月の読書マップ – 人生と科学の意義 でも取り上げたように、不確かだが「目下のところ最良の答えを教えてくれる」科学の本質を知ることができます。

コトバと心

「新薬という奇跡」は、まるでギャンブルのような成功率の創薬に挑む人々のものがたり。

医学は科学でもあり、人の心身という不確実なものを相手にするものでもあります。

春日武彦「奇想版 精神医学事典」

穂村弘さんと精神科医・春日武彦さんの対談本「ネコは言っている、ここで死ぬ定めではないと」から飛び出したネコを追って、春日さんの本を何冊か読みました。独特の鬱屈感ある文体が癖になります。

中でもこの本は、精神医学的な見出し語を連想ゲームのようにつなげつつ、古今東西さまざまな事物を引用していく驚きの一冊で、読むのにものすごく時間がかかるのでご注意ください。

驚きといえば、書店でタイトルを見て手をとった「自閉症は津軽弁を話さない」は、その分析結果もまた意外なものでした。

川添愛「言語学バーリ・トゥード: Round 1 AIは『絶対に押すなよ』を理解できるか」

こちらもタイトル買い。もはやなんでもあり、場外乱闘的な言語遊戯の世界が楽しい。

古今東西の俳句を学習する〈AI一茶くん〉プロジェクトの軌跡をたどる「人工知能が俳句を詠む」。本当にすごいのは、AIの詠む俳句で感動できる人間です。

将棋

大川慎太郎「証言 羽生世代」

AIがトップ棋士の能力を上まわったと話題になったのは数年前のこと。
そんなAIとの共存が当たり前になった将棋界はいま、藤井聡太という天才の出現によって湧き上がっています。

藤井さんや羽生さんと同じく中学生で棋士になった17世名人・谷川浩司さんが、天才棋士を語る「藤井聡太論 将棋の未来」

その谷川さんを倒し史上初の七冠王を達成した羽生善治さんと、同年代の棋士たちへのインタビューをまとめたのが「証言 羽生世代」
平成の将棋界を席巻した羽生さんも、通算タイトル100期を目前に、ちょうど元号が変わるころタイトルを失います。
藤井さんのデビューもあって世代交代の印象を強くしますが、まだまだこの世代の層は厚く、これから50代、60代になってどんな将棋を見せてくれるのかも楽しみです。

 

そして、そんな羽生世代と戦い、なかなかタイトルに手が届かなかったものの、40代で史上最年長のタイトルを獲得した木村一基九段の言葉をまとめた「木村一基 折れない心の育て方」も、これから40代をむかえるわたしには、とりわけ心を打たれました。

生き方・働き方

「さよたんていのおなやみ相談室」

不確実な世界、いくつになっても人は迷うものです。

そんなときこそ読書が心の支えになってくれる、若松英輔「読書のちから」

何歳になっても自分のキャリアをやり直せる「ライフピボット」

それでも迷うあなたは「さよたんていのおなやみ相談室」へどうぞ。

関西に住む小学生の女の子が、人々の悩みを鋭く解決。手書きの文字とイラストもかわいい。
関西の人気番組「探偵!ナイトスクープ」が好きな人には絶対におすすめです。

歴史と人のミステリー

筒井康隆「ジャックポット」

SF・文学界の巨匠、86歳にしての最新短篇集です。コロナ禍を疾走する表題作はじめ、言語と文学の可能性をつきつめる筒井作品。
今年はとりわけ、いくつもの過去作品が復刊・重版され、まだ筒井康隆を知らない人に届いていくのが嬉しい。

「ジャックポット」中のとある短篇では、森博嗣さんや円城塔さんなど作家の名前が多く挙がります。
円城塔「文字渦」もまた文学(あるいは文字)の歴史に挑戦する小説。コロナ禍に文字渦(言いたいだけ)。

森博嗣「歌の終わりは海 Song End Sea」は英語タイトルが意味深。不気味なほどにリアルな世界観は、このままコロナ禍を描くシリーズになるのかどうか。

森博嗣さんに続くメフィスト賞受賞者の清涼院流水さんは近年、英訳者として活躍しています。
「どろどろの聖書」を読めば、キリスト教になじみがなくても(ないからこそ?)強烈なエピソードが頭に入ってきます。


日常と都市鑑賞

「日本建築集中講義」では建築史家の藤森照信さんと画家・山口晃さんが、全国各地の著名建築を訪ねて歩きます。二人の掛け合いも楽しい。

藤森照信さんや赤瀬川原平さんらによってはじまった〈路上観察学会〉は、路上観察や都市鑑賞という一大ジャンルを生み出しました。

東京オリンピック2020の開会式で話題になったピクトグラム。「世界ピクト図鑑」は、路上観察的な楽しみ方もできつつ、まちづくりやデザインの観点からも学びが多いです。

「水路上観察入門」は暗渠を研究する吉村生・高山英男のお二人による〈水・路上〉あるいは〈水路・上〉を楽しむ一冊。

パリッコ「ノスタルジーはスーパーマーケットの2階にある」

酒場ライター・パリッコさんが、コロナ禍で酒場に行けないなか見出した〈新しい日常〉。
時が止まったようなスーパーマーケットの2階。駄菓子の味くらべ。このこみ上げる叙情はいったい何なのでしょう。

藤井基二「頁をめくる音で息をする」

尾道にある、深夜営業の古本屋・弐拾㏈の店主によるエッセイ。装丁も含めて美しい本です。
瀬戸内・ひろしま・尾道という、そこに住まない者にとっては旅情あふれるまちでつづられる日常は、どこか非日常に存在がしみ出るよう。

そうして日常は続き、それでも詩情は消えない。

そんな世界を、生きてゆく。

2022年も、よいお年を。

日はまた昇る – そうだ、モダン建築の京都行こう。

長い夏の蒸し暑さが去り、あっという間に季節は秋へとうつりかわりました。

秋の行楽シーズンといえばJR東海の名キャッチコピー「そうだ、京都行こう。」が思いうかびますが、京都の見どころは歴史ある寺社仏閣だけでなく、実は街のあちこちに残る明治〜昭和に建てられたモダンな建築も見逃せません。

そんな「モダン建築の京都」をテーマにした特別展が今年(令和3年)、京都市京セラ美術館で開催されています。

https://kyotocity-kyocera.museum/exhibition/20210925-1226

明治天皇の東京への行幸(いわゆる遷都)にともなって一時は衰退したという千年のみやこ。

その危機感をうけて、京都は官民あげての近代化による復興をめざします。

琵琶湖の水を京都まで運び灌漑や発電、舟運に利用した琵琶湖疎水。

全国に先駆けて設置された小学校。

そして平安遷都1100年を記念した内国勧業博覧会と、それに隣接する平安神宮。

今もその地に立つ京都市京セラ美術館での展覧会ということで、歴史を肌で感じることができます。

昨年に改装オープンしたこともあり、アプローチも優雅です。

現在は事前予約制、公式サイトで日時を指定してチケットを購入できます。何種類かの展示が同時に行われているので、館内で迷ったらスタッフの方に聞きましょう。
一日に複数のチケットも購入できますが、どれも見ごたえたっぷりなので、1時間以上は余裕をもっておきましょう。

会場内は一部写真撮影が可能です。
写真や図面だけでなく、模型やインテリアの実物などもあるのが建築展としては嬉しい構成ですね。

円山公園にある長楽館の螺鈿細工の椅子。いつまでも眺めていられそう。
紙巻煙草で財を成した村井吉兵衛の別宅ということで、当時の商品「サンライス」も展示されています。

ほとんどの建築は京都市内に現存しているため、気になったら街に出て実物を見に行けるのも良いところですね。

言わずとしれた京都市役所。

三条通御幸町東入ル、アートスペースとして活用されている1928ビル。
四条大橋沿いのヴォーリズ建築、東華菜館。
現在は中華料理店として営業されており、なかなか敷居が高いですが、いつかは中に入ってみたいところです。
ちなみにレストラン矢尾政として開業した当初は、1階は大衆食堂だったそう。

モダン建築の京都展では、3階ホールベンチが展示されていました。

こちらは京都帝国大学花山天文台の初代台長・山本清一さんの使われていた天球儀。
天の星座をうつしとった天球儀は、地球儀と違って、模型なのに実物が存在しない不思議さが、なんだかわくわくします。

じっくり見ていると時間が無くなり、すぐに18時の閉館、外は本当の夜空が見えていました。

夜でも月光と、人工のライトアップがあたりをほのかに照らします。

そして、どんな逆境にあっても日はまた昇る。

モダン建築が息づく、京都のまちのかがやきは失われません。