あのころ世界は輝いていた。今はどうだい? – Now is Better

NHK Eテレで放映されている「デザインあ」という番組をご存知でしょうか。

デザインあ

こどもたちの未来をハッピーにする「デザイン的思考」を育てる新番組『デザインあ』

こどもたちに「デザインの面白さ」を伝えるというコンセプトで、工業デザイン、グラフィックデザインなどの枠を超えてデザインの考え方を映像化する、こどもだけでなく大人にとっても新鮮な視点を得られる番組です。

番組タイトル通り「あ」の文字をモチーフにしたショートムービーなど、タイポグラフィ的な演出も魅力のひとつですが、ある回で、「Now is Better」という映像作品が取り上げられていました。

Sagmeister & Walsh | Sagmeister & Walsh | Now is Better | WE LOVE AD

We’d much rather live now than at any other time in history. This is the first time that large parts of the world population can be in charge of their own destiny.

「now」「is」「better」の文字が、さまざまなものから浮かび上がっていく映像に見とれます。

 

作者であるグラフィックデザイナーのステファン・サグマイスター氏は、世の中は昔よりずっと良くなっているという思いを込めたといいます。

昔はよかったとか、今はこんな悪い時代だと言う人もいるけれど、それはネガティブなニュースばかり目にいってしまうだけのこと。

昔に比べたら、医療や技術は進歩し、相対的により多くの人が、多様な価値観をもって暮らしていける世の中になっています。

 

世の中だけでなく、ひとりひとりの人生を考えても、それは同じこと。

 

小さな頃には神様がいたり、宝の地図があったりとして、世界が輝いて見えたと言うかもしれません。

でも、大人になれば、目に映る世界はより広がり、良い面も悪い面も含めて、多様な視点を手に入れることができます。

どこに光を当てるかで、見え方は変わります。

 

ある程度は自分の足で。

あるときには人の助けを借りて。

 

どこにでも行ける。

どんな願いも叶えるために踏み出せる。

 

落ちこむことも、反省する日もあるでしょう。

でも、それも昨日のことになれば、そこから一歩踏み出した今日はきっと、それより良い日になる。

そう、今はいつだって、良い日なのです。

 

 

感情はコップにたまる水のようなもの

あなたは、自分の感情を自身でコントロールできていますか?

時おり、わけもなくイライラしてしまったり。

突然、感情が抑えられなくなって爆発したり。

そうなってから、そんな自分自身に驚いたり。

 

そんな不可解な感情の変化をとらえるために、シンクに置かれたコップをイメージしてみましょう。

コップには、少しずつ水がたまっていきます。

いっぱいになっても、表面張力でしばらくは持ちこたえられるかもしれません。

けれど、いつかは外にあふれてしまう。

 

同じように、まわりの変化、出来事といった刺激を受けて、少しずつ心の中に感情の源がたまっていきます。

それは必ずしも、すぐ外にあらわれるわけではなく、ある程度までたまってから、はじめて自覚されることもあります。

心の中のコップは、透明とはかぎりません。

遠目に見ても、どこまで水がたまっているかわからない。

上からのぞき込めば、ある程度の目測はつけられるかもしれません。

それだけではなく、手で持って、重さや温度をたしかめたり。

より直接的に、ストローを挿してみたり。

 

いろいろな方法で、自分自身のコップの中身を把握しておくことを心がけてみましょう。

気づかないうちに、いっぱいになって、あふれてしまわないように。

 

そして、もうひとつ大事なこと。

 

中身がいっぱいになっていなくても、コップを揺らせば、水はこぼれてしまいます。

不安定な地面に置いていたら、倒れたり、傷ついたりしてしまうかもしれません。

 

コップの形も、刺激に対する強度も、人それぞれ。

刺激に弱いコップなら、不安定な場所からは遠ざける、それも立派な自衛策です。

みんなはこうしているから、とか、普通はこのくらい大丈夫だよ、そんな言葉は気にすることはありません。

自分だけのコップを、大切にしてください。

 

 

敏感すぎる人々がこの世界に生きるということ

この世の中には、さまざまな刺激に敏感に反応する人(HSP=「Highly Sensitive Person」)がいます。

 

たとえば、鳥のさえずりに。雷のとどろきに。

街ゆく人のざわめきに、不意に立てられるしわぶきに。

さまざまなものに心を動かされ、動揺したり、ときには涙を流したり。

 

刺激というと、うるさいものというイメージかもしれませんが、刺激に敏感な人の心を揺さぶるのはそういった大きな刺激だけではありません。

海辺で潮の満ち引きをずっと眺めていたり、そこに小鳥がやってきたり、小さな子供が遊んでいるのを見るだけで、涙が出そうになったこともあります。

 

それを神経質という人もいるかもしれません。おかしいと言われることもあるかもしれません。

けれど、それはあなたが悪いのではありません。

ひとりひとり、違う個性があるように、刺激への反応の仕方も人それぞれ、それだけのこと。

たとえ「気にしすぎ」と言われたって、それを気にしすぎる必要はないのです。

 

それにしても何故、潮の満ち引きを眺めているだけで涙が出そうになるのか。

それを自分なりに深く考えてみたところ、おもしろいことに気づきました。

 

わたしがいるこの世界、まわりの環境は、自分が生まれるずっと前からここにあって、きっと自分が死んでも大きく変わらずにある。

そんな空間に、いま自分がいることの奇跡。

そこに、より短い寿命をもった鳥だとか、自分よりあとにこの世に産まれてきたこどもが居合わせるという小さな刺激がきっかけになって、「いま」というかけがえのない瞬間を、より強く意識したのでしょう。

小さな刺激が、心の中で大きくふくれあがって、胸がいっぱいになる。

 

そして、それに気づけるのは、小さな刺激にも敏感な人だけなのです。

 

「この瞬間が永遠に続けばいいのに」と言った瞬間、その過ぎ去った時はその人の中で永遠になる。

誰にも気づかれずに、ただ消えてしまうはずだった無数の小さな世界が、言葉によってよみがえる。

それを誰かに話し、書き、伝えることで、同じ時を生きていない誰かにも、その世界を届けられる。

 

それもまた、刺激に敏感な人がもつ大きな力なのです。

 

世界をふかめる、世界をひろげる – 千葉雅也「勉強の哲学」

この現代において、効率的な勉強法や、勉強によって得られるメリットを解説した本はたくさんあります。

けれども、そもそも「勉強」とはなんなのか、メリット・デメリットを含め、どのような変化を自分にもたらすのかをつきつめて考えることはそうありません。

そんな根源的な問いに挑んだのが、今回紹介するこちらの本です。

 

哲学を専門とする著者による、タイトル通り文字通り「勉強の哲学」を目指した本。

本編は原理編と実践編に分かれ、まず「勉強」の目的からつきつめて考えた上で、著者なりの「勉強の方法」を解説するという入れ子のような構造になっています。

 

一部は哲学の用語を使っていながら、それはすべての勉強、学問に通じるところがあります。

学術的な専門分野がどんどん細分化されていくように、勉強はつきつめればどこまでも深くなり、一生かけても、あるいは数世代かけてもきりがない。

専門家ではないわたしたちは、それをどこかで中断する必要があります。

中断して、いったん仮に固定するのだけれど、勉強は継続しなければならない。

近い分野の本、あるいはまったく別の分野の本を読みしながら、勉強したことの比較検討を続ける。

 

それはたとえば、科学的思考法に近いと感じます。

実験を繰り返して、たしからしいと思われたことを「仮説」としていったん固定しつつ、新しい実験結果が出ればその仮説はいつでもひっくり返る。

そうやって、常に検証を行い、変化を恐れないことこそがあるべき勉強へのつきあい方なのです。

 

また、そのような勉強の中断のために利用するのが「享楽的こだわり」、つまりは自分の個性。

どんな人であっても、人それぞれの個性、なんだかわからないけれど好きなものがあるでしょう。

 

わけもなく好きなフォントがあったり。

好きな色、好きな匂いというものがあったり。

 

そんなこだわりがどうしてつくられたかを考えるための手法として紹介されているのが、自分の「欲望年表」をつくることです。

自分の人生における出来事と、それに関連する社会的な出来事、さらに何故か印象に残っていることを年表の形で書き出していく。

そこから導き出されるキーワードをつなぐことで、人生のコンセプトを見つけ出すことができるといいます。

 

そんなコンセプトによって勉強は突き動かされ、あるいは逆に、勉強によってそれが変わっていくかもしれない。

そうして、自分の世界はよりひろがっていくことになるのです。

 

※今回の本は名古屋・関西・東京で開催されている猫町倶楽部の読書会、アウトプット勉強会の課題本でした。

関西(大阪)の開催は2017/6/17(土) で、まだ参加者募集中のようなので、興味があれば参加をおすすめします!

【大阪で開催】千葉雅也「勉強の哲学 来たるべきバカのために」 |猫町倶楽部 -猫町倶楽部の読書会-

「猫町倶楽部」とは、名古屋アウトプット勉強会・東京アウトプット勉強会・文学サロン月曜会などを開催する日本最大級の読書会コミュニティです。

 

ハードルは越えるもの、伏線はたぐり寄せるもの

先日、人生において、いつかはやりたいと思っていたことのひとつを達成しました。

それ自体は、今のところ「凪の渡し場」とは直接関係はないので、詳しくは触れません。

ただ、わたしの中で、やってみたいけれどハードルが高いと思っていたことなので、同じようにやりたいことのハードルを越えたいと思っている人に向けて、お話してみようと思います。

 

そう、問題はこの「ハードル」ということば。

こどものころから運動神経が良いほうではなく、とくにハードル競走や跳び箱といった、文字通り目の前に障害物が立ちふさがっているような競技が苦手でした。

よく、心理的な抵抗をなくすために「ハードルを下げる」という言い方をしますが、高かろうと低かろうと、そもそも立体的なハードルがある時点で、飛べる気がしないのです。

 

そこで、視点を変えてみます。

目の前にあるものを、ハードルではなく、伏線だと考えてみるのです。

 

何度も書いているように、わたしは人生を伏線の張りめぐらされた物語だととらえています。

伏「線」とは言いながら、それは一方向に伸びるものではなく、網目のように面として広がったものというイメージです。

ただ、いずれにしても、それは立体的な高さのあるものではありません。

障害物競走で言えば、ハードルよりも、網の中に潜り込むもののほうが、それほど抵抗を感じずに飛び込むことができます。

網をたぐっていけば、いつかはゴールにたどり着くのだから。

 

あるいは、自分がいる現地点を基準にして、まわりに無数の伏線がひろがっていると想像してみてもいいでしょう。

 

ひろがった網を、目をこらして一本一本たどっていけば、過去の意外な伏線を見つけることができます。

大きな目標であったとしても、過去からの伏線がたくさんつながった結果として達成することができる。

それを楽しみに、小さな伏線をたくさん作り出していくほうが、一度に高いハードルを越えようとするよりも、気が楽になります。

 

そう。

伏線は過去だけではなく、未来にもひろがっているもの。

 

最初に、今回達成したことは「今のところ」凪の渡し場とは関係ないと言いました。

実はこの表現自体、この記事のなかですぐ回収される伏線だったのです(笑)。

今回のことは過去のさまざまな伏線がつながり、実生活で関わりのある多くの方の協力で実現することができました。

そして、この経験から、今後「凪の渡し場」のテーマと結びつける形で同じようなことをやるにはどうすれば良いか、ということを今まさに考えています。

 

まだ具体的に話すことはできないので、何を言っているのか伝わらないであろうことが申し訳なく思いつつ。

いつか未来に、あの日のことは、このことの伏線だったのか、と思ってもらえる日が来ることを願います。