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文字遣い/探索士 ——夕霧に包まれ消えゆく島の名を知る術も無し凪の私は

時をかける「ことば」の力 – 筒井康隆・柳瀬尚紀の突然変異幻語対談

先日亡くなられた翻訳家の柳瀬尚紀さん。

翻訳本はほとんど読んだことはないのですが、一冊だけ家の本棚にあったのが、筒井康隆さんとの対談本。

以下の文章は、筒井康隆ファンとしての視点から書かれたものであることをご承知おきください。

笑犬楼大通り 偽文士日碌

 

文章のプロどうしだけあって、冒頭から「言語」に対するお互いの鋭い感覚のぶつかりあいが繰りひろげられます。

最初の対談が行われたのは昭和62年(1987年)。柳瀬さんは「フィネガンズ・ウェイク」を翻訳中、筒井さんは「文学部唯野教授」を執筆中という時代です。

フィネガンズ・ウェイク」の原本は1939年、百年後には解読される「未来言語」として書かれたといわれます。

その自由奔放な言語表現を、さまざまな工夫を凝らして日本語に翻訳していく柳瀬さん。

 

さらに、この対談を通して、筒井さんは「五十音の文字が一字ずつ消えていく」という小説の着想を得ます。

それこそが、かの有名な「残像に口紅を」。

 

世界から「あ」という文字が消えれば、「愛」も、「あなた」という言葉も使えなくなる。それどころか長音の「カード」なども使えなくなり、他の言い回しを使って文章をつむぐことになります。

一章ごとに文字が減っていく中、一読しただけでは消えた文字に気づかないほど自然に進む物語。それでも次第に世界は歪んでいき、坂道を転がり落ちるようにラストへと向かっていきます。

筒井さんのたぐいまれな文章力、言語力を味わうことができる一冊。

 

ちなみに、筒井さんが自身の小説作法について解説した本としては「創作の極意と掟」があります。

小説を書きたい、あるいは文章を書くことに興味があるという人であれば、読んでおいて損はありません。

 

すぐれた文章には、何十年、何百年たっても、人をひきつける魅力があります。

それが、ことばのもつ力。

 

もちろん、万人に受け入れられる文章ばかりではありません。

それでも、その文章を必要としている人はきっといる。

いつかその人に届くように、そんな願いをこめて、ことばはつむがれ続けていきます。

 

原平という人がいた! – 赤瀬川原平の全宇宙

誰もが人生のなかで、いろいろな人に逢い、いろいろな本を読み、その影響を受けていきます。

けれど考えてみれば、その出逢った人も、本を書いた人も、また別の誰かから影響を受けて人生を生きています。

 

ふとした瞬間に、その源流、言ってみれば元ネタを知ることがあります。

わたしにとって、赤瀬川原平という作家はそんな源流…あるいは「原流」ともよべる存在です。

 

赤瀬川原平さんは1937年生まれ、2014年没。芸術家として活動したり、尾辻克彦という名前で書いた小説が芥川賞を受賞したりと、きわめて広範な活動をしていました。

そんなわけで、赤瀬川さんの名前を意識することはなくても、その影響を受けた人や活動がたくさんあります。

 

たとえば、街中のちょっと変わったもの、おかしな看板に目を留めること。

こどものころ、宝島社の「VOW」という本を読んで、そんなモノの見方があることを知り衝撃を受けました。

その源流は紛れもなく、赤瀬川原平さんの「トマソン観測センター」、そして路上観察学。

トマソンというのは、当時の読売巨人軍の助っ人外国人、トマソンから。

4番打者なのにまったく活躍しないというところから、街中の無用物をトマソンと名づけました。

当人には傍迷惑な話でしょうが、普通の人が見過ごしてしまうようなものに着目する感性、それを多くの人が興味を引くように「見立て」で語る手法は卓越しています。

一人で「ない仕事」を作る、みうらじゅんさんにも通じるところがあります。(実際、みうらさんも赤瀬川さんの本の解説を書いています)

その視点は、辞書にも向けられます。

新明解国語辞典」の例文がおもしろいことに気づいて書かれた「新解さんの謎」。

「舟を編む」などの辞書ブームの背景にもなっているのではないでしょうか。

 

変わったところでは、昔流行した3Dステレオグラム

なんと、これも赤瀬川さんが早くから目をつけていたのだそう。

二次元の写真が三次元になるという視点の転換。いま流行のARやVRも、そういう視点で考え直すと新しい発見がありそうです。

 

ちなみに、わたしが赤瀬川原平という名前を意識したのは、実はアニメ化物語

 

主人公の阿良々木暦が八九寺真宵におこづかいをあげるシーンで、千円札に「赤瀬川」と書かれています。

何のこと? と思って調べたら、アート作品の中で千円札をコピーして、裁判にまでなってしまった事件が元ネタの様子。

もちろん、西尾維新原作には一行たりともそんな記述はありません。

アニメ<物語>シリーズの演出自体、赤瀬川さんや、あるいはさらにその源流となる明治期の雑誌編集者、宮武外骨の影響がありそうです。

 

これからも、新しく興味をもったことが、実は意外な先人によって切り拓かれた道だったということがあるかもしれません。

 

それは、はるか昔、見知らぬ誰かから、しっかりとバトンを渡されたということ。

そして、わたしも、未来の誰かにバトンを渡せるようになれば嬉しく思います。

もし自分の人生経験を地図に表したら

生まれてきてからいままで、重ねてきた時間。

それを、都道府県別などで、過ごした時間の長さに応じて地図に色分けしてみたらどうなるでしょう。
ふと、そんなことを考えました。

 

生まれ育った場所。

大学時代を過ごした場所。

社会人になり、いまも暮らしている場所。

この三つが、もっとも濃い色で表されるだろうことはすぐに想像がつきます。

それから、住んだことはないけれど、よく遊びに行く場所。

個人的には、偏愛する広島と、仕事でも行く機会の多い東京では、累積するとどちらが長いのか? が気になるところです。

 

実際に、手動で地図をつくることのできる「経県値」「経県マップというサイトがあります。

あるいは、iPhoneの写真アプリでは、写真を撮影場所ごとに地図上に表示することができますし、同じことが日記でできる Day One というようなアプリもあります。

もちろん、これだとスマートフォンを持っていなかったころの経験はカウントされないので、ちょっと寂しいですね。

この先、技術が進歩すれば、生まれた瞬間から位置情報を記録して、こんな地図が誰でも自動的に作れてしまうかもしれません。

 

こうやって地図を眺めていると、自分の人生経験を表しているようでおもしろいです。

 

ただ、これはあくまで「経験」を単純に数値にしたもの。
数えるほどしか行っていなくても思い出のある場所、あるいは、一度も行っていなくても思い入れのある場所だってあるかもしれません。

それは、経験を超えた、かけがえのない体験。

 

そして、まだ行ったことのない空白の場所を「行ってみたい」と眺めている、その瞬間も。

この先の未来に、未知の体験につながっていると言えます。

 

人生というのは、長い長い、時間と空間の旅。
いままでの、どこで過ごした瞬間も、きっとこれからのどこかにつながっていることでしょう。

 

考証バンドワゴン効果 – バスに乗り遅れよう

経済学やマーケティングの用語で、バンドワゴン効果というものがあります。

バンドワゴンとは、大家族の古本屋…ではなく、パレードの先頭を走る楽隊車のこと。

流行しているもの、多くの人に選ばれているものに対して、それだけで自分も選びたくなってしまうという心理が働くことはないでしょうか。
そのおかげで、ますますひとつのものに人気が高まることがあります。

バスに乗り遅れるな」と言われることもよくあります。

これを聞くと、いつも頭のなかに、乗客でぎゅうぎゅうになったバスの光景が思い浮かびます。

でも、ちょっと立ち止まって考えてみます。
バスに乗り遅れたとして、それでどうなるのでしょう?

 

数学の問題で、一定の間隔でバスが発車する路線があるとします。

なにかのきっかけで、そのうちの一台が少しだけ遅れたときのことを考えましょう。

すると、次のバス停では、そのぶん到着が遅れます。
そうなると、本来はそのバスに乗れなかった人も乗ることができるので、その乗車時間ぶん、また発車が遅れます。

それがくり返されると、その遅れたバスは、どんどん混雑していきます。

それ以外の条件が同じだとすると、次のバスに乗る人は少なくなるので、到着は遅れず、バスの発車の間隔は詰まっていきます。

最終的には、ひとつのバスだけが満員になって、すぐ後に来るバスはガラガラ…という状況が発生してしまいます。

実際に、ここまで極端でなくても、バスや電車のダイヤが乱れたときに、慌てて遅れてきた便に乗ろうとせずに、一本見送れば意外にすいていることがあります。

 

つまり、何が言いたいのか? というと。

 

「バスに乗り遅れるな」と言われたときは、「既にそのバスは遅れているのではないか?」という視点を持っておきたいということです。

 

自分で選んだものであれば、行動や決断を早めることで有利になることはあります。

けれど、バンドワゴン効果の場合、それは自分で選んだこととは限りません。
本当に得をするのは、その前のバス(あるいは、バンドワゴン)に乗っていた人だけだったりするもの。

そんなときは、むしろ混雑を避けて「バスに乗り遅れよう!」と考えてみても良いかもしれません。

瀬戸内ネコ歩き – 瀬戸芸の島編

7月も終わりなので、瀬戸内国際芸術祭関連の記事もいったんひとやすみ。8月になったら、地元愛知県で開催される「あいちトリエンナーレ2016」の記事を上げていく予定です!

さて、今回は島で出会った猫の話題。

芸術祭の作品がある島に限らず、瀬戸内には多くの猫が暮らしています。そんな子たちと出会うことができるのも、楽しみのひとつ。

 

まずは直島。大竹伸朗さんのアートで有名な直島銭湯の軒先で、さっそく猫がお出迎え。

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あちこち歩き回って、いいポーズしてくれました。

 

ちなみに、直島銭湯がある宮浦港とは反対側・本村港付近には、猫カフェもあるそうですよ!=^_^=

にゃおしま (直島町その他/カフェ)

 

次は男木島です。オンバを前景に。

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もう一匹きました。

 

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興味津々なご様子。

 

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すぐ飽きて、毛づくろいに夢中。

 

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そして悠然と去って行く。この気まぐれ感がたまりませんね!(笑)

 

女木島では、狭いところで見かけた子の後ろ姿だけ。

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最後に、前回(2013年)の写真ですが、高見島の猫を。

 

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地元の人によると、この島の看板ねこだそうで。

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とってもなつきます。

 

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なんとなしに物憂げなポーズ。

 

高見島でのアート作品は秋会期の公開ですが、猫に会いに行くためなら会期を外したほうが落ち着けるかもしれませんね。

高見島へは多度津港から。同じ航路で、猫が多い島として知られる佐柳島(さなぎじま)へも行けます。

 

おまけ。今回の記事タイトルは、NHKで放映されている写真家・岩合光昭さんの「世界ネコ歩き」から拝借しました。

旅先で猫写真を撮るなら、この本は必携です!