こうの史代が描き出す世界の風景 – 日の鳥・この世界の片隅に

今回は、漫画家・こうの史代さんの作品をご紹介します。

 

一匹の雄鳥が、東日本大震災で生き別れた妻を探して東北各地を巡るという形で描かれたスケッチ集。

震災の爪痕が残る風景。

日常を取り戻しつつある風景。

ときに重いテーマを扱いながら、こうの史代さんが描き出す世界は、いつでもあたたかい。
その世界観が、とても大好きな作家です。

 

そして、もう一作。

戦中の広島県呉市の日常を描く作品。

こちらは劇場アニメ化が決定しています。

 この世界の片隅に カット18大正屋呉服店この世界の片隅に - レイアウト原図 カット18の2

こちらの画像は、クラウドファンディングでの制作支援メンバーを対象にしたメールマガジンで、自由に公開・拡散が許可されたものです。

 

2016年秋の劇場公開を前に、呉市立美術館で7/23(土)から11/3(木)まで「マンガとアニメで見る こうの史代『この世界の片隅に』展」が開催されます。

お近くの方も、そうでない方も、ぜひどうぞ。

もちろん、わたしも行く予定です!

 

きっと見る人それぞれに、さまざまな感情を呼び起こす、こうの史代作品。

その世界が、より広がっていくのが楽しみです。

あなたにとっての「お気に入りの本屋さん」を見つけよう

本好きであれば、自分だけの「お気に入りの一冊」があるという人は多いと思います。

では、あなたにとって「お気に入りの本屋さん」はあるでしょうか?

 

ほしい本があれば、Amazonなどネットですぐに注文できる時代。

それどころか、電子書籍であれば、届くのを待ったり、引き取りにいく必要もなく、その場で読みはじめることだってできてしまう。

 

それでもわたしは、本屋さんに足を運ぶ理由はあると思っています。

 

わたしが行きたいと思える本屋さんには、とくに買いたい本が決まっていなくても、何かおもしろい本がきっとある、という棚があります。

本屋さんの棚は、ひとつとして同じものはありません。
もし、機械的に売上順で並べられていたとしても、その店の立地条件だとか、客層などが反映されることで、結果的に個性が表れます。

それだけでなく、店員さんが売りたいという思いが込められていたり、その店の強みを生かしたコーナーが作られていたりすることも。

最近では、チェーン店ではない街の本屋さんでも、個性的なイベントやフェアが行われていたり。

 

いわば、本屋という空間自体が、ひとつの物語のようなもの。

せっかく本を買うのなら、それを買う行為自体も楽しんでみるのはどうでしょう。

 

もちろん、お気に入りの本屋さんを見つける視点もひとつだけとは限りません。

お店の建物やインテリアが好き、というのでも。
子供の頃、よく本を買ってもらった思い出がある、というのでもいい。
店員さんが素敵、というのだって、いいのではないでしょうか。

あなたの住んでいる街にも、あるいはよく訪れる場所にも、きっと、お気に入りの本屋さんが見つかるはず。

 

ちなみに、お気に入りの本屋さんを、知り合いといっしょに訪れてみるのもおもしろいです(^^)

自分ならふだんスルーしてしまうような棚に目をつけたり、あるいは本の選び方に、その人の個性が表れていたり。

また新しい視点に気づけると思います。


内向型だからこそ、踏み出すことで世界が変わる – 一歩を踏み出すための道徳

内向型人間には外向型人間にはない強みがある。だから、そのままでいい—。

そうはいっても、引っ込み思案のままでいては、強みを生かすこともできないのでは?

変わるべきところと、変わらなくてもいいところ、それぞれあるのではないか。

 

わたし自身、そういう思いで揺れ動きつつ、なかなか考えがまとまらずにいましたが、この本で、それに対する答えを見つけることができました。

ほんとうの書名は「一歩」ですが、Amazonでは「1歩」になってしまっているのが残念(笑)

それはともかく。「道徳」というとなんだか堅苦しい印象を受けますが、中身はまったくそんなことはありません。

著者は長年小学校の先生をやられていた方なので、あえて「道徳」という言葉を使ったのだと思います。

もちろん、小学生のためだけの本ではなく、大人が読んでも多くの学びを得られます。

 

「はじめに」では、内向型と外向型のことがとてもわかりやすくまとめられつつ、冒頭の疑問に対する答えが語られます。

「今のままの君でいい」という言葉。

それは内向型という性向(性分)に対しては、たしかに正しい。
けれど、それを自分の状況を変えない、行動しない言い訳にしてはいけない。

 

では、どうやって一歩を踏み出すか。
それには大きく分けて「やる気」と「勇気」が大切になります。

「やる気」は向こうからやってくるものではなく、こちらから迎えに行くもの。

たとえば、本を読む気が起きなくても、数行だけでも読み始めてみる。

文章を書きたくないと思っても、とりあえずパソコンに向かってみる。

そうすれば、いつのまにか熱中しだすもの。
それを続けていけば、習慣化することもできます。

 

「勇気」も同じで、思い切って自分の心に「火をつける」。

とくに、内向型にとっては、不安や考えすぎが先に立って「火を消す」ことを選びがち。

でも、それは人生の中で出会う分かれ道かもしれません。

無数の分かれ道の中で、火を消す道を進むのか、火をつける道を進むのか。

それによって、まったく違う人生が待っているとしたら。

ちょっと恐ろしい気もするし、ワクワクする気もしますよね。

 

一度しかない人生。

もし、その最後に「もっとおもしろいことをやっておけば良かった」と思うのだとしたら、本当に取り返しのつかない後悔。
それを思ったら、いま一歩を踏み出すことは、なんでもないこと。

それが、この本で言うところの「先取り後悔」。

どうしてもポジティブになれないのなら、むしろもっと悪い状況を考えて、そうならないようにする。これもひとつの考え方だと思います。

 

本の後半は、人とつながる、社会と関わって生きるための章。

これもまた、内向型だからこそ実感することでもあるのですが、長くなったのでまたの機会に。

 

今日からさっそく一歩を踏み出すことで、明日からきっと、世界は変わる。

「平民宰相」の知られざる世界旅行 – 原敬の180日間世界一周

原敬といえば、歴史の教科書などで「平民宰相」として名前だけは知っている、という方がほとんどのはず。

そんな彼が、総理大臣に就任する十年ほど前に、私費をなげうって世界一周旅行に出かけていたことを知っているでしょうか。

 

この本は、その旅程を本人自筆の日記から読み解いていくノンフィクション。

基本的に、このブログで政治のことを話すつもりはありませんし、原敬の政治家としての活動がどうこう、というのもここでは触れません。

それでも、この本を紹介しようと思った理由はふたつあります。

 

ひとつは、これが大きな理由ですが、政治家の評伝にもかかわらず「世界一周」をメインに取り上げるという、その視点に感服したこと。

原敬自身も、基本的には政治家と会わず、工場や街の様子を熱心に観察して記録に残しています。

今ほど国際化していない、けれど180日間で世界一周ができてしまう程度には産業化が進展していた、そんな時代。

読み進めていくうちに、まるでいっしょに旅をした気になります。

 

そして、もうひとつ、こちらはとても私的な理由です。

この本を読んだのは、ちょうど旅行のとき。

まさか世界一周でもなく、ふつうの国内旅行。
大陸横断鉄道よりもシベリア鉄道よりも短い、けれど現代人には身近な新幹線。

読み切った本を旅行カバンに入れて、駅のホームを出ると、突然の雨。

その雨がしみ込んで、本を濡らしてしまいました。

今も昔も、紙には大敵の雨。

けれど、これも実に旅行らしいトラブル。

きっといつか、この本を手に取るたびに、そのことを思い出すでしょう。

 

歴史に名を残すような大人物でも、その業績とはほとんど関係のないところで、きっと無数の大事な思い出があったはず。

たまたま、それが日記の形で残っていたからこそ、この本が私たちの手に届いた。

この世界の片隅にあるようなブログでも、それを読んだ人に、何かが伝わるかもしれない。

それをありえないと言う前に、やってみればいい。

 

そんなことをふと思って、文章の形にしてみたくなったのです。

楽しい「独学」のすすめ – 知的トレーニングの技術

さいきん、「学ぶこと」が楽しい。

もともと好きだったものを、もっと深く学んだり。
あまり知らなかったことを、新しく勉強したり。

そして、それをブログにまとめる間にも、さらに多くの気づきを得られます。

 

同じように、学ぶことに楽しみを見いだしている人はもちろん。

そうでない人も、ぜひ一読をおすすめしたい一冊。

 

完全独習版と銘打たれている通り、この一冊で独学のために必要なことが詰まっています。

本文は大きく準備編・実践編に分かれます。

準備編は、人生においてどのような「知的プラン」をたてるかという立志術にはじまり、どのように学ぶためのやる気を出すかなど、基礎テクニックを解説。

実践編は、知的生産を「読み」「考え」「書く」という3ステップにわけ、それぞれ読書術、思考術、執筆術として解説。

 

全部は解説できないので、それぞれ印象に残った文章を引用しておきます。

 

「読む」とは、本という客観(活字)とぼくらの主観(言葉)との合成物をつくること

本を読みすすめていくことで、写本のように、頭の中にもう一冊の本ができあがる。

でも、それは、もとの本とまったく同じではない。
それまでに読んだ他の本の記憶や、経験などと混ざって、自分だけの新しい一冊になる。

本を読むという行為の醍醐味が凝縮されている一文です。

 

文章は線である

頭の中の思考は、ときとして立体のように複雑なもの。
紙の上でそれをまとめるときは、たとえばマインドマップのように面的に表すことで、わかりやすくなります。
けれど、文章でそれを表そうと思ったときは、どうしても線型で、順序立てて語らないといけない。

だからこそ、その順序をしっかりと構成することが、文章表現の肝になります。

文章を書くことを苦手にしている人は、ぜひ、このことを頭に置いてほしいと思います。

たとえば、どうしても伝えたいことを付箋に書き出し、それを並び替えて、わかりやすい構成を組み立てます。
それがそのまま文章の柱になるので、それをさらに細かく分けて…と進めていくことで、目次が完成します。

 

浪費こそが、人生の価値と意味とを生産する

本書の最後のあたりに結論のように書かれているので、これだけを取り上げても理解されなさそうですが(笑)
仕事だから、必要だから考えるのではなく、考えることそれ自体を楽しむ、それが思考の浪費。
最後に、本書の来歴について。

底本は1980年の発行。パソコンも普及していない、インターネットもない時代ですが、基本的な考え方は現代でも通用します。
もちろん、デジタルツールの発達によって、情報の探索といった敷居は飛躍的に低くなりました。

2015年の文庫版あとがきでは、今の時代だからこそ、独学の条件がますます整ってきたと書かれています。

 

そして、独学は、けっしてひとりで学ぶことだけにとどまるものではありません。

準備編・知的交流術の章では、自分とは異なる分野の友人をつくる(知的分業)、あるいは同学の士で協力し合う(知的協業)ということが書かれています。
さらに、よき師を選ぶ、ということも。

 

このあたりも、現代の日本は良い環境に置かれています。

あとがきにも触れられているとおり、「街をキャンパスに」をキャッチフレーズとした特定非営利活動法人・シブヤ大学をはじめとした学びの場が全国にあります。

大ナゴヤ大学は、わたしも何度も生徒として参加しています!

ほかにも、ネットではさまざまな勉強会を探すことができます。

わたしがブログをはじめたのも、このような良き師にめぐり会えたからこそ(^^)

 

ぜひ、自分だけの楽しい独学のやりかたを見つけてみてください。