誰もが人生のなかで、いろいろな人に逢い、いろいろな本を読み、その影響を受けていきます。
けれど考えてみれば、その出逢った人も、本を書いた人も、また別の誰かから影響を受けて人生を生きています。
ふとした瞬間に、その源流、言ってみれば元ネタを知ることがあります。
わたしにとって、赤瀬川原平という作家はそんな源流…あるいは「原流」ともよべる存在です。
赤瀬川原平さんは1937年生まれ、2014年没。芸術家として活動したり、尾辻克彦という名前で書いた小説が芥川賞を受賞したりと、きわめて広範な活動をしていました。
そんなわけで、赤瀬川さんの名前を意識することはなくても、その影響を受けた人や活動がたくさんあります。
たとえば、街中のちょっと変わったもの、おかしな看板に目を留めること。
こどものころ、宝島社の「VOW」という本を読んで、そんなモノの見方があることを知り衝撃を受けました。
その源流は紛れもなく、赤瀬川原平さんの「トマソン観測センター」、そして路上観察学。
トマソンというのは、当時の読売巨人軍の助っ人外国人、トマソンから。
4番打者なのにまったく活躍しないというところから、街中の無用物をトマソンと名づけました。
当人には傍迷惑な話でしょうが、普通の人が見過ごしてしまうようなものに着目する感性、それを多くの人が興味を引くように「見立て」で語る手法は卓越しています。
一人で「ない仕事」を作る、みうらじゅんさんにも通じるところがあります。(実際、みうらさんも赤瀬川さんの本の解説を書いています)
その視点は、辞書にも向けられます。
「新明解国語辞典」の例文がおもしろいことに気づいて書かれた「新解さんの謎」。
「舟を編む」などの辞書ブームの背景にもなっているのではないでしょうか。
変わったところでは、昔流行した3Dステレオグラム。
なんと、これも赤瀬川さんが早くから目をつけていたのだそう。
二次元の写真が三次元になるという視点の転換。いま流行のARやVRも、そういう視点で考え直すと新しい発見がありそうです。
ちなみに、わたしが赤瀬川原平という名前を意識したのは、実はアニメ化物語。
主人公の阿良々木暦が八九寺真宵におこづかいをあげるシーンで、千円札に「赤瀬川」と書かれています。
何のこと? と思って調べたら、アート作品の中で千円札をコピーして、裁判にまでなってしまった事件が元ネタの様子。
もちろん、西尾維新原作には一行たりともそんな記述はありません。
アニメ<物語>シリーズの演出自体、赤瀬川さんや、あるいはさらにその源流となる明治期の雑誌編集者、宮武外骨の影響がありそうです。
これからも、新しく興味をもったことが、実は意外な先人によって切り拓かれた道だったということがあるかもしれません。
それは、はるか昔、見知らぬ誰かから、しっかりとバトンを渡されたということ。
そして、わたしも、未来の誰かにバトンを渡せるようになれば嬉しく思います。