人それぞれの京都偏愛マップ – 京都の迷い方

千年の歴史を持つ京都。

世界遺産に指定された史跡も数多く、観光地としても根強い人気を誇ります。

けれど、普通のガイドマップや旅行本で紹介されるような情報だけでは物足りない。

千年分の人の歩みが凝縮されたこの街には、もっと多様な楽しみ方があるはず。

 

そんなコンセプトで作られた本が、今回ご紹介する「京都の迷い方」。
株式会社 京阪神エルマガジン社|書籍のご案内「京都の迷い方」

京都にゆかりのあるライター、イラストレーター、あるいは京都に店を構える店主など、50人の執筆者が、それぞれが偏愛する京都をテーマに執筆。

そのテーマをAからZまでアルファベット順に並べた構成になっています。

 

…なぜ50音順じゃなくてアルファベット順なのか、とふしぎに思いますね?

その答えは本文を読んでもわかりません(笑)

表紙にもあるブラックレター体スクリプト体(いわゆる筆記体)が記事ごとに交互に使い分けられた構成にはタイポグラフィの味わいを感じることから、編集者、あるいはブックデザイナーの偏愛のようにも推察されます。

そんなデザインで、一冊の本としての統一感は出しつつ、書かれた内容は実に多彩。

Anko(あんこ)」「Kashiwa(かしわ)」「Senmaiduke(千枚漬け)」など、有名なものからそうでないものまで、好きな食べ物を紹介する人。

Daimaru Chika(大丸地下)」「Jazz Cafe(ジャズ喫茶)」「Public Bath(銭湯)」などの建物、スポットに注目する人。

もちろん、「Jintan(仁丹)」「Kanban(看板)」「Moji(文字)」など路上観察学的な視点で街の看板や文字を収集する人も。(全部同じテーマにまとめれば…とか言ってはいけないのです)

 

この本を片手に街を歩くというよりは、この本に載っていない自分だけの偏愛はなんだろう? と考えるほうが、楽しみ方がひろがる一冊。

 

じゃあ、とりあえず「文字」は除いて、わたしの偏愛する京都は…、と考えてみても、これだ! というのがとっさに思い浮かばず、はっとさせられました。

行ったことのあるお店、好きな作品のモデルになった街並み、そういったものは思い出せても、それが本当に偏愛と言えるかというと、疑問符がつきます。

 

まだまだわたしは、京都のことを知らない。

 

もっと京都のことが好きになりたい。

 

でも、好きになろうなんて気持ちでいたら受け入れてはくれない。

そんなふうに人を迷わす、それもきっと、京都というまちの魅力。

 


「こち亀」連載40年の秋本治先生に学ぶ、ブログのコツコツ更新術

1976年の連載開始以来、一度も休載することなく「週刊少年ジャンプ」の誌面を飾り続け、ついに単行本200巻の節目をもって終了した漫画「こちら葛飾区亀有公園前派出所」、通称こち亀。

ジャンプといえば「こち亀」が載っていることが当たり前のようになっていたものの、終わってみれば、それは誰もが当たり前のように達成できることではないと、あらためて作者の秋本治先生の仕事ぶりに注目が集まっています。

そんな秋本先生の偉業達成の秘訣に迫るのが「ジャンプ流」。

Vol.1の鳥山明先生からはじまり、ジャンプの歴史に残る漫画家を毎号ひとりずつ特集した雑誌です。

一話完結のギャグ漫画を40年間続けてこられた理由を、秋本先生や歴代担当編集者のインタビューをもとに分析しているのですが、読んでみると、これはブログの更新に通じるところがあると感じました。

そういう視点で、気になったところを紹介してみます。

 

自分の趣味・興味を作品にとり入れる

とくにネタ集めの作業をするわけではなく、まずは自分が興味のある話を仕入れることで、こち亀のネタは作られています。

なつかしのおもちゃから、ドローンや艦これなどの最新ネタまで、なんでも興味をもつ両さんは、作者自身の反映。

そこに必ず、独自の視点が含まれていることで、単に流行りのものを追いかけているだけという印象は持ちません。

 

ブログでも、アクセス数を上げるために話題になっていること、TV放映されたことを取り上げればアクセス数が上がったりしますが、他のブログや公式の情報にはない、オリジナルな切り口はないか? と常に自問自答することが大事です。

 

たまには変化球を投げる

いくら自分の興味があることで、読者から受けが良いネタであっても、毎週毎週同じネタばかりでは飽きられてしまいます。

マニアックなネタ、人情話など、定番の路線を適度に配置しつつ、たまに実験的な作品を投入することで、変化が生まれます。いわば「気分転換」。

 

ブログでは、あるテーマに特化したブログを作るという手法と、複数のテーマを記事ごとに書き分ける手法があります。

前者ならともかく、後者であれば、テーマが集中しすぎないように「散らす」というのも一つの手。

最近このテーマで書いていないから、何か書けることはないかな? と意識的に気分転換することで、自分の思考の幅が狭まるのを防ぐことにもなります。

そこから、新たな定番のテーマが生まれることだって、あるかもしれません。

 

綿密なスケジュール管理とゴールの設定

過酷な週刊連載を、なぜ40年間も続けてこられたのか。しかも、時には月刊連載や読切をかけもちした期間もありつつ。

それはひとえに、ペン入れに3日、ネームに2日、週に一度は休みをとる、というスタイルを崩さなかったこと。

自分に合ったペースで、無理をしないスケジュール管理、タスク管理を試してみましょう。

4年に一度、オリンピックの年だけに登場する日暮熟睡男というキャラクターも、ある意味マイルストーンとしては象徴的な存在ですね。

 

また、これは書かれていないので憶測ですが、単行本100巻・連載何十年といった節目のお祝い事も、モチベーション持続のポイントだったのではないでしょうか。

これは個人の向き不向きもあるのですが、同じペースでコツコツやるだけより、目標・ゴールを設定して、それに向かってモチベーションを高めるほうが良い人もいます。

ただ、一話完結の連載作品だと、ストーリー上の明確なゴールもあまりなく、そのかわりに連載40年をゴールとして見据えることになったのかもしれません。

「これが達成できたら終わります!」という目標達成を掲げてブログをやってみるのも、ちょっとおもしろそうです。

 

ちょうど、この記事で「凪の渡し場」としては100個目の更新になります。

こち亀のように40年も…とは思いませんが、ここまで続けてこられたことに感謝しつつ、節目を意識した投稿になりました。

 

あらためて秋本治先生、いままでお疲れさまでした。


水のような、空気のようなフォントを世の中に生み出す人がいる – 文字を作る仕事

まちなかで、あるいはパソコンやスマートフォンの画面の中で、わたしたちが毎日目にする文字。

そんな文字を作る仕事が、世の中にはあります。

 

その中でも、小説の文章や新聞記事といった、小さな文字のために作られたフォントを「本文書体」といいます。

広告や看板のロゴのように目立つものではなくても、普通に読めて、受け手に安心感を与える。

日本人なら毎日食べても飽きのこない白ご飯のように、あって当たり前の存在。

 

そんな本文書体を「水のような、空気のような」書体とよび、その理想を目指してフォントを作り続ける人が、この世にはいます。

それが、游明朝体などで知られる字游工房の代表取締役、鳥海修さん。

 

 

「水のような、空気のような」書体なら、誰が作っても同じではないのか。もうすでにあるものを使えば、新しく作る必要はないのではないか。

もし、そう思ったのだとしたら、この本を読んでみてほしいと思います。

 

この本では、鳥海さんの生い立ちから、本文書体を作りたくて当時最大のフォントメーカーだった写研に入社したときのこと、そして字游工房を立ち上げてからのことなどが語られます。

いっけん無個性に見えるフォントでも、そこには作り手の想いや、今の時代にもっとも適したデザインがひそんでいることがわかります。

鳥海さん自身の経験、出逢った人、読んだ本…それらが結晶となって、誰でもが使えるフォントが生み出される。

ふだんはうかがい知ることができない、そんな結晶化する前のエピソードのひとつひとつが、とても魅力的です。

 

たとえば、書家・石川久楊さんを交えて行った「究極の明朝体」を作るというプロジェクト。

本文書体として見慣れた明朝体ですが、実際に文字をなぞってみるとわかるとおり、もともとの楷書とはずいぶん違うデザインになっています。

それらを一文字一文字検証し、文字に修正を加えていく。少しの修正で、まるで受ける印象が異なるのが、漢字のふしぎなところ。

 

また、「文字塾」として、塾生ひとりひとりが作りたいフォントのコンセプトを立て、一年かけてフォントをデザインしていくといったことも行われているそうです。

 

そして、アップルのMac OS X (macOS)に搭載されたことで有名になったヒラギノ明朝体。

ヒラギノフォント|SCREEN

このフォントも、字游工房が大日本スクリーン製造(現・SCREENグラフィックアンドプレシジョンソリューションズ)から依頼されて制作されたもの。

当時のことを、鳥海さんはこう記します。

当日はスティーブ・ジョブズがステージに立ち、スクリーンいっぱいに映し出されたヒラギノ明朝体W6の「愛」を指差し、「クール!」と叫んだことをきのうのことのように覚えている。

後に、字游工房としてのオリジナル書体・游明朝体や游ゴシック体もMacに搭載されています。

考えてみれば、「空気のような」というコンセプトは、MacBook Air、AirPods など「Air(空気)」を冠する製品やサービスを多くリリースするアップルにふさわしいといえるでしょう。

もし将来、アップルと字游工房が協力し、オリジナルの日本語フォントを手がけたとしたら。

それはAirFontと呼ばれるに違いありません。

 

そんな空想も膨らむ、文字を生み出す人の物語。

 

自分だけの生き方、働き方を考える – 自分をいかして生きる

今回は、「ナツヨム」という文庫フェアで知った一冊をご紹介。

 

夏と言えば、各出版社が競うように行う夏の文庫フェアが定番になっています。

その中にあって「ナツヨム」は出版社、書店など本にかかわる人々が共同で本を推薦することで、ちょっと変わった切り口のラインナップが実現しています。

大手チェーン店だけでなく、街の本屋さんも参加していて、帯やしおりも手作り感があるのがポイント。

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こちらを購入したのは名古屋市瑞穂区の七五書店さんですが、帯の推薦文は丸善名古屋本店の書店員さんによるもの。

裏側にも推薦文があるのですが、著者の文章についてこう表現されています。

西村さんの文章には、ずっと自問自答を粘り強く続けてきた人の優しさがにじみ出ていて、読んでいてスッと心に入ってきます.

 

わたしも、読んでまったくおなじ印象を受けました。

 

人によって文章の好みはそれぞれだと思いますが、ある種の文章には、読んでいてここちよく、自然と胸に響くふしぎな魅力があります。

わたしにとって、この方の文章はまさにそれで、書いてある内容以前に、そのあり方がとても共感できるものなのだと思います。

 

たとえば、本文には、仕事とは海に浮かぶ島のようだという話があります。

「浮かぶ」といいながら、じっさいには島は海の上にある山。頂上だけが見えているけれど、その下には山裾が広がっています。

そうやって他人に見える仕事=成果だけでなく、それを支える技術や知識、価値観、その人だけのあり方が全体として本来の「仕事」をかたちづくっている、と西村さんは言います。

 

成果や知識は取り替え可能でも、価値観やあり方は自分だけにしかつくれない。

この本をつくるという西村さんの仕事も、こうやって見えない部分がしっかり支えているから、文章がとても自然に心に入ってくるのではないでしょうか。

そんなことを考えながら、ページをめくっていきました。

 

西村さんは、会社を辞めて独立されるまで、大きな会社での働き方しか知らないことに気がついたと書かれています。

わたしも、セミナーやイベントに参加するようになってはじめて、企業に勤めている人だけでなく、一人で働いている方、あるいは会社員としての仕事とは別のさまざまな活動をされている方に出会いました。

そんな方の話を聞くたびに、生き方・働き方というのはもっと自由で、多様であっていいのだということを思います。

 

とはいえ、けっして、誰もが独立して働かなければならない、好きなことを見つけて仕事にしなければいけない、というものでもありません。

そうやって焦ることも、この本から受け取るメッセージとしては違う気がします。

少し長くなりますが、引用します。

〈自分の仕事〉は余所にあるわけでも、いつか天から啓示のように降ってくるわけでもなく、すでに今ここにある。「青い鳥」でメーテルリンクが描いたように。しかも時には、「まるで駄目」とか「イケてない」と感じてしまうような部分に。

あくまで静かに、自分の内面を見つめることで、自分だけの生き方を見つけていく。

もちろん、その生き方は自分だけで閉じることなく、まわりの人と結びあい、ひろがっていく。

 

最後に、この本をわたしの手元に届けてくれた、著者、編集者、書店員、それぞれの「仕事」に感謝を。

 

他人だから応援できる、自分だからがんばれる – 球場ラヴァーズ

ひさびさの広島偏愛シリーズ、今回は広島東洋カープを題材にした漫画「球場ラヴァーズ」をご紹介します。

野球漫画といえば、選手あるいは野球チームが主役というのが通例n。

でも、この作品の主役は、選手を応援するために球場に集まった観客。そのため「広島東洋カープ応援席マンガ」ともよばれています。まずは、その視点がおもしろい。

人のことだから応援するのよ(基町勝子)

 

野球とも、広島とも縁のなかった少女が、思わぬきっかけで球場に足を運び、熱烈なカープファンと出会うことで、それまでの生活が一変します。

まだ「カープ女子」ということばが世間を賑わす前、2010年から、主人公が交代しつつ、2015年のシーズンまでがリアルタイムに描かれます。

現実の通り、その間カープの優勝はなし。

選手だけでなく、応援席の彼女たちも、楽しいことばかりではなく、辛い現実も描かれます。

 

勝って負けて、おちこんで。

活躍できることもあれば、芽が出ないままのことも。

納得しがたい理不尽なことがあったり、奇跡とも思えるようなことが起こったり。

 

それはまるで、人生の縮図。

どんなプロ野球チームもそうだと思いますが、とくにカープというチームに焦点をあてることで、そのドラマティックな起伏が印象づけられます。

原爆の惨禍から、広島に球団をつくろうという運動がはじまり、初優勝まで25年。

そして迎えた黄金時代から、長く優勝から遠ざかった期間を経て、2016年、25年ぶりの優勝マジック点灯。

たしかにあるんだよな、振り返ればあの日だった!—って試合が。

たしかにあの日だった。あの日が今日につながった(松田美央)

あの日、あの場所に行かなければ、出逢わなかった人があった。

できなかった体験があった。

あの日、前に進むことを選んだからこそ、いまの自分があり、そして未来につながっている。

 

カープを応援し、自分自身もがんばろうとする主人公たちの姿には、野球に興味がなくても、カープファンでなくても、きっと胸を打たれることでしょう。

そして、思わず球場に行きたくなってしまうこと請け合い。

 

旧広島市民球場は、もう訪れることはできないけれど。

マツダスタジアム、いつの日にか行ってみたいです。