生を悩み、生を楽しむということ – 謎のペルシア詩、ルバイヤート

とある事情で、イラン・ペルシア関連の本を探すことになりました。

そんなきっかけで、ペルシアの四行詩「ルバイヤート」という存在にめぐりあいました。

ルバイヤートとは、11世紀のペルシア人、オマル・ハイヤームが残したとされる四行詩です。

数学者・哲学者・天文学者など、多彩な才能を発揮したハイヤームは、その独特の人生観を、ペルシア語の四行からなる詩の形式に託して歌い上げました。

三行目までで論理を組み立て、四行目で落とす形式は、日本の五七五形式の俳句とも、四コマ漫画の起承転結とも似て非なるおもしろさがあります。

ものの成りゆきが一瞬でも好都合なら、
運命のなすがままに愉快にやりたまえ。
科学者が友になれば分るさ、君の肉体なんか、
せいぜい空中に漂う埃か、掃き出した塵にすぎぬと。

 

金子民雄『ルバイヤートの謎』(集英社新書)pp.94-95より引用

ペルシアは当時イスラム王朝が栄え、その後モンゴル民族に征服されるなど波乱が続きます。

ハイヤームの死後は長く忘れられた存在だったルバイヤートですが、19世紀にイギリスの詩人、エドワード・フィッツジェラルドによって英訳詩が自費出版されると、またたく間に世界中で人気が高まります。

ところが、この英訳は翻案とも言えるようなものだったそうで、原点からはかけはなれており、しかも長い年月の間に、ハイヤーム作としてひろまった詩の多くは他人による贋作だといいます。

千編以上もあるルバイヤートのうち、どれが真にハイヤームの心情を表したものなのか。その謎解きもまた、ルバイヤートの魅力の一つに数え上げられるかもしれません。

いったんケンブリッジ大学図書館に収められた写本があとから偽物とわかり、よく見ればフォント(書体)にも美しさがない、と言われてしまうといったエピソードも。

 

明日どうなるかは誰にもわからないのだから、
心を心配事でいっぱいにさせないほうがいい。
愛しい女よ、月明かりの中で酒を飲め。
月はこれからも輝くだろうが、われらは消えてしまうのだから。

 

アリ・ダシュティ『オマル・ハイヤームと四行詩を求めて』(コスモス・ライブラリー)p.266より引用

酒がモチーフとして登場することが多いというルバイヤートですが、それは快楽に溺れるというのではなく、自分の意志ではどうにもならない世界への憂鬱をいっとき晴らすための、節度あるたしなみとして描かれています。

 

わたしは、美しい自然や、歴史ある建造物を目にしたとき、思わず胸がいっぱいになることがあります。

目の前にあるこの光景は、自分が生まれるはるか以前から存在し、そして死んだ後も、ずっと変わらずあり続けるのでしょう。

そんな人の生の短さへの諦観は、古今東西さまざまな形で描かれてきました。

ルバイヤートにも、同じ感覚が通底するように思えてなりません。

 

誰もがいつか終わる、この人生という旅の中で、何をよすがとして生きていくのか。

いつの時代も絶えることのない悩みを胸に、それでも心配ごとはいったん脇に置いて生きていくことの大切さを、ルバイヤートは教えてくれます。

 

金子みすゞ詩の視点でたどる「数」の世界

金子みすゞの詩といえば、「みんなちがって、みんないい」の一節があまりにも有名です。

日常のささやかな風景、身のまわりの世界を、彼女の視点で見ることによって、新しい意味が見出され、ふしぎな魅力が生み出されます。

そんな視点を、数学の世界に取り入れてみようという試みが、こちらの本でなされています。

 

この本で取り上げられている「数論」の中心にあるのが、素数という存在です。

1と自分自身以外に、約数(割り切れる数)をもたない数というのが素数の定義です。

まさに、みんなちがって、みんないい。

 

無限にひろがる数の世界の中で、ひときわ大きな輝きをはなっている素数は、夜空の一等星にたとえられます。

星の世界にふたごぼし(連星)があるように、3と55と711と13 といった、となりあう奇数がともに素数である素数を、双子素数といいます。

金子みすゞの「おはじき」という詩では、夜空の星を、とってもとってもなくならないおはじきにたとえていますが、素数も、いつまで数えてもなくならない(無限に存在する)ことが証明されています。

いっぽう、双子素数が無限に存在するのかは、まだよくわかっていないそうです。

 

このように、はるか昔からの素数をめぐる人々の思索の跡を、金子みすゞの詩と重ね合わせてたどっていきます。

もともと、本書が収められているブルーバックスなどの理数系の読み物が好きで、数の世界の美しさに触れてきた人はもちろん。

そこまで数学に興味が持てなくても、詩の世界、ことばの世界を通して、その一端に触れることができるのではないでしょうか。

 

気まぐれにあらわれるようで、ときに意外な規則性が見出される素数の性質を、著者はなんども「ふしぎ」と表現しています。

金子みすゞの「まんばい」という詩で、世界中の王様の御殿や女王様の服より、夜空や虹のほうが万倍も美しいとあらわされるように、自然界の法則には、人知を越えた美しさがあるのかもしれません。

 

けれどもそれは、もう一度視点を変えてみれば、やはり人間のもつ感性がなせるわざなのではないでしょうか。

 

自然の美しさにあこがれ、恋いこがれ、

はるか太古の人々は、あるいは天を衝くような城を建てようとし、あるいは美しい文様を再現しようとし。

また数という抽象的な世界に楽しみを見出した人は、数多くの定理や公式という形で、それぞれが思い描いた美しさを表現してきた。

 

それが人間の自然とのつきあい方だったのだといえます。

 

そんな人々の視点を通して世界を見ることで、わたしたちは世界の美しさを再発見することができるのです。

 

幸せの在処 – 幸福書房の四十年 ピカピカの本屋でなくちゃ!

東京都、渋谷区。

小田急電鉄小田急線と東京メトロ千代田線が乗り入れる、代々木上原駅の南口に、「幸福」という名を冠する本屋さんがありました。

 

約40年前、店主の岩楯さんは弟さんと二人で「幸福書房」という本屋をはじめ、

そして、ことし平成30年2月20日、時代の流れとともに、その歴史に幕を閉じる決断がなされました。

その40年間の記録を、ぜひとも本にしたいという出版社の熱意から、一冊の本が生まれました。

 

わたしが幸福書房を訪れたことは数えるほどしかないのですが、ちょうど、閉店の10日ほど前に東京を訪れる機会がありました。

既に閉店がひろく知られていたこともあるでしょうが、短い時間のあいだにも、引き切りなくお客さんが訪れ、店主と会話を交わしたり、ごく普通に本や雑誌を買い求めたり。

この街に住む、多くの人の日常のなかにあって愛されている本屋さんだと感じました。

 

朝から店を開け、閉店は23時。

晴れの日も雨の日も、雪の日も、正月を除き、本と向き合う毎日。

そんな日々が、40年。

 

ひとくちに言ってしまうけれど、それがどれだけ重いことか。

ベストセラーも、かつては飛ぶように売れたという雑誌も、みすず書房や白水社といった出版社の名書も。

どれだけの本がこの店を訪れた人の手に渡り、それぞれの本も人も、どんな年月を重ねていったことでしょう。

 

考えてみれば、本屋さんとは不思議なお店です。

売られている本は、どこでも同じ形、同じ値段のもの。

少部数の本はあれど、工芸品のように一点ものでもなく、食料品のように気に入ったからといって何度も買うわけではありません。

 

だからこそ、インターネットによる通販サイトや電子本の普及によって、本屋さんで本を買う理由が薄れていくのも仕方のない部分はあります。

 

けれど、まちの中で本屋さんの数が少なくなっていく時代だから、その場所でこそ買いたい本、出会いたい本はきっとある。

幸福書房の店主さんのように、口には出さなくとも、だれかがほかのだれかのためを思ってこそ、本は棚に置かれ、わたしたちの手元に届くのです。

そんなふうに、本と向き合える居場所こそ、幸せのあるところ、そんなふうに思います。

 

幸福書房さんを最後に訪れた日、顔見知りらしき地元の方と「最終日は夕方からのんびりビールでも飲みながら…」と語っていたのが印象に残っています。

本に挟みこまれた左右社さんの記録冊子「幸福書房最後の1日」を読むと、実際はとてもそれどころではない怒濤の日だったようですが。

幸福書房という場所を愛し、本と本屋さんに幸せを見出した人々が集った、最後の1日。

簡単に想いを重ねてしまうのも失礼だと思いつつ、そんなふうに長年の仕事が、自分だけでなく、まわりの人の幸福につながっていくのは素敵だなと思います。

 

でも実は岩楯さん、今後は最初に幸福書房があったまちで、小さなブックカフェを営む計画があるのだそうです。

それも、あの伝説の漫画家が集ったという「トキワ荘」が近くにあり、その再建プロジェクトも絡むかもしれないとか。

 

だから、これは終わりでも、過日の感傷でもなく、未来につながっていく物語のはじまりなのかもしれません。

いつの日にか、ふたたび幸福書房という場所に立ち会えますよう。

 

ネコと一緒に考える – 猫本専門店 Cat’s Meow Books

2月22日。日本では、にゃんにゃんにゃんの「ねこの日」として有名です。

 

「凪の渡し場」ではあまり表に出していませんが、ねこが好きなのです。

猫好きの友人と一緒に猫カフェに行ったり、ネコをテーマにした読書会を開いたり。

※以下、実体としての存在を漢字の「猫」、抽象的なイメージも含めた存在を「ネコ」と表記

 

猫の愛らしい仕草はもちろん、SFやミステリ、あるいは純文学やエッセイにいたるまで、印象的な登場をすることも多いネコに魅せられる人は多いです。

こんなに身近にいるのに、どこかつかみきれない。

猫を前にすると、人はなにごとかを考えざるをえないのかもしれません。

 

そんな、ネコに対する人類の思索の産物 – 猫本を専門に扱う本屋さんが、東京・三軒茶屋にあります。

それが、『猫のいる、猫本だらけの』本屋、Cat’s Meow Books

昨年(2017年)の開業時、クラウドファンディングでその存在を知り、すぐに支援して以来、ようやくお邪魔することができました。

 

まずは渋谷駅から東急田園都市線で三軒茶屋駅まで向かいます。

このあたりは初めて訪れるところなので、お店に着くまでの道のりも楽しみです。

お店の最寄駅は世田谷線に乗り換えて一駅、西太子堂駅とのことですが…。

世田谷線は田園都市線とは別の改札口になっていました。煉瓦造りの素敵な駅舎です。

わたしがなじみのあるまちで言えば、京都の出町柳駅、京阪から叡山電鉄に乗り換えるときの雰囲気に近いでしょうか。

渋谷から少し離れたところに、こんな素敵なまちがあったのですね。

電車に乗ってもすぐ、天気が良ければ、ぶらぶらと線路沿いを散策しつつ、歩いて行くのも良いです。

 

歩くこと、およそ10分。かわいい看板が見えてきました。

 

猫カフェではなく、猫のいる本屋さん、というのが開業当初からのこだわりとのこと。

ネコの置物のうしろには、軽い飲み心地が評判のクラフトビール・水曜日のネコ。実際に店内で飲むこともできます。

水曜日のネコ | よなよなエール公式通販 – よなよなの里

グラスに注げば立ちのぼる、青りんごを思わせる香りとオレンジピールの爽やかな香り。ほのかなハーブ感がフルーティさを引き立て、すっきりとした飲み口がやさしく喉を潤してくれます。他のビールと比べて苦みが少ないので、普段ビールを飲まない方にもおすすめ。 4種のクラフトビールが飲み比べができる「はじめてセット」 や、2日に1本飲むなら「定期宅配サービス」 もおすすめです! …

 

店内に入る前からネコづくしです。

おや、ここだけ…?

 

中に入ると、店内にひろがる猫本の数々。エッセイ、小説、写真集とジャンルは幅広いですが、どの本も、どこかにかならずネコが出てくるのだそうです。

そして奥の古本コーナーに入ると、保護猫の猫店員がお出迎え。

と、通せんぼして進めない(=^^=;

にゃっと目が合いました。

そんな歓待(?)をしてくれる子もいれば、我関せずで窓の外を見つめる猫店員さんも。

この、人の目には映らない何かを見ているような、猫の表情がなんとも魅力なのです。

居合わせたお客さんも猫好きばかりで、猫の一挙手一投足に釘付け。

店内のテーブル席でドリンクを飲みながら猫と戯れることもできますが、もう一度言うように、ここは猫カフェではなく猫のいる本屋。

買う本を選んで窓際に戻ってみると、まだ同じように窓の外を眺めていました。

 

選んだうちの一冊は赤瀬川原平さんの「猫の宇宙」。

赤瀬川さんは友人である南伸坊さんから仔猫を譲り受けることになったものの、実は子供のころから猫が苦手だったため、すこしでも慣れようと猫の置物を集めることにしたそう。

そんな猫の置物を、草むらの中、コンクリートの上、あるいはパイロンに添え、赤瀬川さんならではの見立てが展開されます。

「もともと猫嫌いだったからこそ、天性の猫好きの人より観察眼に長けている」という独白には感じ入ります。

猫への愛情と冷静なまなざしが同居する、類い稀な写真集です。

 

本屋の良さは、訪れた人に思いがけない本との出逢いをもたらしてくれる場所であることだと思っています。

猫/ネコというフィルターを通して、意外性とともにそれを提供してくれるCat’s Meow Booksさんは、まぎれもなく唯一無二の本屋。

 

名残惜しいですが、お店をあとにして、西太子堂駅で帰りの電車を待ちます。

と、なんだかネコネコしい電車が来ました!

世田谷線の前身、玉川電鉄(玉電)の110周年記念ラッピング電車だそうです。

吊り手まで招き猫に!

 

なぜ招き猫? と思ったら、沿線には、招き猫発祥の地といわれる豪徳寺があるのだとか。

東急世田谷線がねこだらけ! 招き猫電車でねこをテーマに沿線散歩 (1) 玉電が東急世田谷線になるまで–招き猫電車は車内も猫々しい

東急世田谷線の前身で、「玉電」の名で親しまれた玉川線(玉川電鉄)。東急電鉄はこのほど、玉川線開通110周年を記念して、「玉電開通110周年記念イベント」を実施しており、その一環として、「玉電110周年記念 幸福の招き猫電車(以下、招き猫電車)」を9月25日~2018年3月末予定で運行している。今回は招き猫電車に乗って、猫をテーマに世田谷線沿線を散歩してみよう。

今回は寄れませんでしたが、またゆっくり歩いてみたいまちです。

そのときは、夜にCat’s Meow Booksさんを訪れるのも良さそうですね。(お店の営業時間は14:00-22:00)

夜行性と言われる猫は、夜にどんな表情を見せるのか。

 

ネコと一緒に、ヒトとの関係を考えることができる、素敵な場所でした。

日本のまちにあふれるスペシャルな文字 – まちの文字図鑑 ヨキカナカタカナ

人生を変える本があります。

まちなかの看板に描かれた文字を鑑賞する「タイポさんぽ」。

そして、さらにその文字を、ひらがな一文字ずつに分解することで、五十音の図鑑をつくる「よきかなひらがな」。

この二冊(「タイポさんぽ」は旧版と改版があるので正確には三冊)とであったことで、わたしのまちあるきの楽しみ方は、それまでとまったく違ったものになりました。

「よきかなひらがな」の作者・松村大輔さんと、雑誌「八画文化会館」の編集者おふたりによる京の夜のイベント「よきかな商店街」は、いまでも忘れられません。

あれから一年半、いよいよ待望の続編が刊行となりました。

日本語において、カタカナは主に外来語を表すための文字とされますが、商店や施設の名前としてもよく使われるため、実はひらがなよりもまちなかでお目にかかる機会は多いです。

では問題です。これは何の文字でしょうか?

 

 

正解はこちら。「スサノオ」の「オ」でした。

看板なら読めるのに、一文字だと謎の模様に見えてくるのも不思議なものです。

 

本書ではこのように、その店だけのオリジナルでスペシャルなカタカナの数々を一文字ずつ堪能できます。

(なお、上記の例はこの本に出てくるものではありません)

 

ひとつのカタカナがさまざまにデザインされ、一堂に会する見開きページを眺めているだけで、溜息が出てしまいます。

一文字ずつ抜き出すことで、「パ」の半濁音が斜めの線に突き刺さっている「串刺しパ」の世界など、不思議な類似点にも気づくことができます。

残念ながら、こちらは実物にお目にかかったことはないので、よきかな商店街イベント中の写真を拝借いたします。

 

こうやって本に収められなければ、互いの存在を知ることもなく、ひっそりとこの世界の片隅に生まれ、やがて消えていったであろう文字たちのことを思うと、恋にも似たときめきを感じざるを得ません。

 

そう、まちの文字図鑑は、本を読んで終わりではなく、実際にまちへ出かけて、まだ見ぬカタカナを味わうことで、はじめて真価を発揮するのです。

文字をめぐるたびに、終わりはありません。