敏感すぎる人々がこの世界に生きるということ

この世の中には、さまざまな刺激に敏感に反応する人(HSP=「Highly Sensitive Person」)がいます。

 

たとえば、鳥のさえずりに。雷のとどろきに。

街ゆく人のざわめきに、不意に立てられるしわぶきに。

さまざまなものに心を動かされ、動揺したり、ときには涙を流したり。

 

刺激というと、うるさいものというイメージかもしれませんが、刺激に敏感な人の心を揺さぶるのはそういった大きな刺激だけではありません。

海辺で潮の満ち引きをずっと眺めていたり、そこに小鳥がやってきたり、小さな子供が遊んでいるのを見るだけで、涙が出そうになったこともあります。

 

それを神経質という人もいるかもしれません。おかしいと言われることもあるかもしれません。

けれど、それはあなたが悪いのではありません。

ひとりひとり、違う個性があるように、刺激への反応の仕方も人それぞれ、それだけのこと。

たとえ「気にしすぎ」と言われたって、それを気にしすぎる必要はないのです。

 

それにしても何故、潮の満ち引きを眺めているだけで涙が出そうになるのか。

それを自分なりに深く考えてみたところ、おもしろいことに気づきました。

 

わたしがいるこの世界、まわりの環境は、自分が生まれるずっと前からここにあって、きっと自分が死んでも大きく変わらずにある。

そんな空間に、いま自分がいることの奇跡。

そこに、より短い寿命をもった鳥だとか、自分よりあとにこの世に産まれてきたこどもが居合わせるという小さな刺激がきっかけになって、「いま」というかけがえのない瞬間を、より強く意識したのでしょう。

小さな刺激が、心の中で大きくふくれあがって、胸がいっぱいになる。

 

そして、それに気づけるのは、小さな刺激にも敏感な人だけなのです。

 

「この瞬間が永遠に続けばいいのに」と言った瞬間、その過ぎ去った時はその人の中で永遠になる。

誰にも気づかれずに、ただ消えてしまうはずだった無数の小さな世界が、言葉によってよみがえる。

それを誰かに話し、書き、伝えることで、同じ時を生きていない誰かにも、その世界を届けられる。

 

それもまた、刺激に敏感な人がもつ大きな力なのです。

 

ハードルは越えるもの、伏線はたぐり寄せるもの

先日、人生において、いつかはやりたいと思っていたことのひとつを達成しました。

それ自体は、今のところ「凪の渡し場」とは直接関係はないので、詳しくは触れません。

ただ、わたしの中で、やってみたいけれどハードルが高いと思っていたことなので、同じようにやりたいことのハードルを越えたいと思っている人に向けて、お話してみようと思います。

 

そう、問題はこの「ハードル」ということば。

こどものころから運動神経が良いほうではなく、とくにハードル競走や跳び箱といった、文字通り目の前に障害物が立ちふさがっているような競技が苦手でした。

よく、心理的な抵抗をなくすために「ハードルを下げる」という言い方をしますが、高かろうと低かろうと、そもそも立体的なハードルがある時点で、飛べる気がしないのです。

 

そこで、視点を変えてみます。

目の前にあるものを、ハードルではなく、伏線だと考えてみるのです。

 

何度も書いているように、わたしは人生を伏線の張りめぐらされた物語だととらえています。

伏「線」とは言いながら、それは一方向に伸びるものではなく、網目のように面として広がったものというイメージです。

ただ、いずれにしても、それは立体的な高さのあるものではありません。

障害物競走で言えば、ハードルよりも、網の中に潜り込むもののほうが、それほど抵抗を感じずに飛び込むことができます。

網をたぐっていけば、いつかはゴールにたどり着くのだから。

 

あるいは、自分がいる現地点を基準にして、まわりに無数の伏線がひろがっていると想像してみてもいいでしょう。

 

ひろがった網を、目をこらして一本一本たどっていけば、過去の意外な伏線を見つけることができます。

大きな目標であったとしても、過去からの伏線がたくさんつながった結果として達成することができる。

それを楽しみに、小さな伏線をたくさん作り出していくほうが、一度に高いハードルを越えようとするよりも、気が楽になります。

 

そう。

伏線は過去だけではなく、未来にもひろがっているもの。

 

最初に、今回達成したことは「今のところ」凪の渡し場とは関係ないと言いました。

実はこの表現自体、この記事のなかですぐ回収される伏線だったのです(笑)。

今回のことは過去のさまざまな伏線がつながり、実生活で関わりのある多くの方の協力で実現することができました。

そして、この経験から、今後「凪の渡し場」のテーマと結びつける形で同じようなことをやるにはどうすれば良いか、ということを今まさに考えています。

 

まだ具体的に話すことはできないので、何を言っているのか伝わらないであろうことが申し訳なく思いつつ。

いつか未来に、あの日のことは、このことの伏線だったのか、と思ってもらえる日が来ることを願います。

選ばなかった道を後悔するよりも、選んだ道に目をむけて生きていくということ

人生は、選択の連続です。

 

道を歩いていて、分かれ道にさしかかったとき。

食事にしようと、どのお店に入ろうかと迷ったとき、そしてお店に入ってからも、どのメニューを注文しようかと目移りしたとき。

あるいは、とても興味のあるイベントを見つけたけれど、すでに入れていた別の予定とかぶってしまったとき。

 

選んだ道はひととおりだけれど、選ばなかった道は無数にあります。

 

ときには、選んだことに後悔して、あのとき別の道を選んでいたらどうなっていただろう、と思うこともあるでしょう。

けれど、それを気にしてばかりいたら、先に進むことができなくなります。

人生を一度しか経験できないわたしたちは、選んだ道に目をむけて生きていくしかありません。

そのために大切な、三つのステップについてお話しします。

 

 

選んだ道を、全力で進む

選ばなかった道に気をとられて、選んだ道を楽しめないとしたら、それはとてももったいないこと。

まずは、足元をしっかり見て、選んだ道を全力で進んでみましょう。

選んだことに自信をもって楽しみましょう。

ふりかえることは、いつでもできるのだから。

 

伏線を楽しむ

それでも、選んだ道より、選ばなかった道のほうがあきらかに良かったと思うことはあります。

注文したメニューがあまりおいしくなかったり。

自分が参加したイベントがいまいちで、逆に参加しなかったイベントに参加した人から、とても楽しそうな声を聞いたり。

 

そんなときだって、視点を変えて、前を向けば。

いま進んでいる道の先にも、さらにすてきな光景が広がっているかもしれないと考えることができます。

 

別の店で、同じ名前の料理を出されたときに、その味の違いに驚いたり。

参加したイベントで出会った人と、のちのち、意外な交流が生まれたり。

あるいは、「参加しなかった(選ばなかった)」ことさえ、次の機会にそれをやりたいと思う原動力になるかもしれません。

 

よりみちしてみないと、正しい道はわからない で書いたとおり、そんな未来への伏線を楽しみにすることが、人生をより豊かにします。

 

記録をつける

のちのち伏線を楽しむためには、過去に選んだ道をふりかえることが必要になります。

記憶に頼ることもできるけれど、やはりおすすめは、日々の記録をつけていくことです。

まずは、選んだ道で、こんな楽しいことがあった、という視点での記録。

あるいは、単純に選んだ事実だけを記録しておくだけでも役に立ちます。

読み返してみれば、すっかり忘れていたことが、いまの楽しいことにつながっていることに気づいたり。

 

 

もし、どうしても選んだ道に後悔しそうになったら。

この三つのステップを思い出してみてください。

慎重すぎて行動に悩むときは、シンプルな法則に従ってみる

内向型人間にとって諸刃の剣である、慎重さという特質。

失敗がゆるされないような大事な局面においては、冷静に状況を分析できる慎重さは武器になります。

 

けれども、人生は、そんな場面ばかりとはかぎりません。

どちらを選んでも結果に大差がないような、ランチのメニューやお土産品を選ぶとき。

あるいは、あるセミナーや勉強会に出席しようかどうか迷うとき。

 

慎重すぎることで迷いが生じ、無駄に時間を消費してしまったり、けっきょく行動できなかったり。

そんなことばかりくり返していては、もったいない。

 

そんなときは、こんなふうに、シンプルな法則に従ってみましょう。

 

あえて選択肢を狭めてみる

わたしがいちばん迷うのは、選択肢が多すぎて、そのどれを選んでも結果に大差がないとき。

そのときは、あえてはじめから選択肢を狭めてみることで、迷いがなくなります。

お土産なら、駅ナカのお土産売り場で、最初に店員さんに声をかけられたところで買うとか。

広島土産なら、たくさんのもみじ饅頭がある中で、にしき堂の生もみじしか選ばないとか。これはちょっと別格かもしれません(笑)。

 

 

 

習慣の力を味方にする

何事も、最初にやるときがいちばん慎重になるもの。

同じことを何度もくり返せば、そのうち抵抗も減ってきます。

一度やってみて良いと思ったら、とりあえず半年か一年続けてみる、と決めてしまえば、次からは毎回悩むことはなくなります。

 

セミナーや勉強会なら、同じ主催者のものはどんな内容であれ行ってみることを基本にします。

今回の内容は自分に合うだろうか…と事前に考えたところで、結局行ってみなければわからないもの。

連続ドラマを観たり、定期購読している雑誌を買うとき、今回はおもしろいかどうか…なんて考えてから決めたりしないのと同じです。

 

ゆかりのあるものを選ぶ

今日の日付や、自分の誕生日から、同じ番号のものを選んでみる。

前から気になっていたイベントが、ちょうど自分の誕生日にやっていたから行ってみる。

なにげない、ゆかりのあるものを選ぶことで、意外な縁はつながっていくもの。

 

シンプルな法則を頭に思い浮かべることで、少しだけ、心もちを軽くしてみましょう。

悩んで出口が見えなくなったときに試してみたい3つのこと

あることで頭がいっぱいになって、答えがみつからずに悩んでしまう。
そんなことはないでしょうか。

「下手の考え休むに似たり」ということわざがありますが、「考える」と「悩む」は似て非なるものだと思います。

「考える」は、ちゃんと問題がはっきりしていて、いつか答えが出せるもの。
「悩む」は、そもそも問題もはっきりしていなくて、答えにたどり着けるかわからない状態。

迷路の中をぐるぐるさまよっているようなもので、出口が見えない状態が続くと、心も体も疲れてしまいます。

 

では、悩みから抜け出すにはどうしたらいいか。

わたしが試していることをご紹介します。

 

悩みを形にしてみる

イメージタイプの思考が得意な人向け。

頭の中で、自分が迷路の中にいる状態を俯瞰してみたり、ぐるぐるの渦巻きを想像してみる。

頭がぐるぐるしてる、と口に出してみるのもいいかもしれません。

こうすることで、自分を客観的にとらえることができます。

迷っているときは、まず自分が迷っていることを自覚することからはじめましょう。

 

悩みを分割してみる

こちらは、論理的な思考からの攻め方。

そもそも、何に対して悩んでいるのか? を書き出してみます。
さらに、その原因をどんどん深掘りしていきます。

その原因が、自分でなんとかできることなら、やってみればいい。

自分ではどうしようもないことなら、そもそも悩んでもしかたがない。

「悩む」から、しっかりと「考える」に切り替えるための方法です。

 

時間を区切ってみる

ある程度は、悩むことも必要と割り切ってしまうのもひとつの考え方。

ただし、悩みすぎで時間ばかりが過ぎてしまう、というのを防ぐために、タイムマネジメントの考え方を取り入れてみましょう。

夜、布団の中で悩んで眠れない…ということがあるなら、しっかり日中に時間をとってみればすっきり眠れるかもしれません。

ラジオとか、ポッドキャストなど、終わりの時間が決まっているものを利用して、その間だけは悩んでもOKとか。

悩みを断ち切るためには、3分間だけ別のことを考えてみる、好きな曲を聴いてみるというのも有効です。
こういう記事を書いているのも、先週まで悩んでいたことがあって、いいかげん行動しようと思ったからなのでした(^^;

今回の方法は悩みへの対症療法であって、原因にまで踏み込んだものではないですが、少しでもお役に立てば。