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文字遣い/探索士 ——夕霧に包まれ消えゆく島の名を知る術も無し凪の私は

もし人生がドラマだとしたら、それは単発ドラマか連続ドラマか

三が日も明け、いつもの毎日がもどってきた方も多いでしょう。

 

年末年始といえば、TVでは通常の番組編成とは異なる、特別番組が多く放映される時期でもありました。

それが終われば、春や秋の改編期ほどではなくても、新しい番組がはじまったりもします。

 

ドラマ、あるいはアニメでも良いですが、おなじ「ものがたり」を描く手法として、ふたつのかたちがあります。

 

ある程度大きな、ひとつの事件を中心に描く、単発ドラマ。劇場で公開された作品がTV放映されるときも、このタイプ。

それよりも規模は小さくなりがちでも、週に一度、あるいは毎日など、一定のペースで、さまざまなエピソードをつむいでいく連続ドラマ。

 

もし、自分の人生をドラマに見立ててみるなら、どちらがより楽しめるでしょうか。

 

単発ドラマを、人生の節目になるような、大きなイベントととらえるなら、やはり、その一瞬を全力で楽しむのが、幸せのひとつのかたち。

何度もくり返し観たくなる、かけがえのない思い出になることでしょう。

 

でも、それに向かって、用意周到に準備をする日々も、連続ドラマとして描かれるに値する、大切な時間かもしれません。

 

また、どうしても単発ドラマでは、主人公をメインとするエピソードを本筋に据えざるをえないところがあります。

連続ドラマなら、ある一話をまるまる使って、番外編が描かれたり、脇役やサブキャラクターのエピソードを掘り下げたりすることも。

この場合、自分が主役の人生だと思うか、あるいは他人のドラマの中に、脇役として出演したと思うかで、また視点が変わってくるでしょう。

 

もちろん、次回予告も無い人生、その先に何が起こるかなんて、わからない。

準備していたことだけでなく、番外編だと思っていたこと、ずっと昔の、忘れかけていたエピソードも、思わぬ伏線としてつながるかもしれません。

 

そして、人生に再放送はありません。

一度だけの、リアルタイムのドラマだからこそ、やりたいことをやって、楽しみましょう。

新春・甚目寺タイポさんぽ

あけましておめでとうございます。

今年もまた、新たな視点を記事に載せてお届けできたらと思います。よろしくお願いします。

 

さて、新年の初詣は、尾張四観音がひとつ、愛知県あま市の甚目寺観音に行ってきました。

 

尾張四観音とは、江戸時代、名古屋城の東西南北を守護するために定められた四つの寺。

尾張四観音 | 識る | 名古屋を知る | 名古屋観光情報 名古屋コンシェルジュ

「尾張四観音」のページです。名古屋とその周辺の観光・イベント・コンベンション情報を提供する名古屋市の公式観光サイト「名古屋観光情報 名古屋コンシェルジュ」。名古屋の観光情報ならここをチェック!

北は甚目寺観音。

南は笠寺観音。

東は龍泉寺。

そして西は荒子観音。

毎年、その年の恵方に当たるお寺にお参りするのが良いとされています。

 

平成29年の恵方にあたる甚目寺観音の最寄駅は、名鉄甚目寺駅。

名古屋駅からは、一宮・岐阜方面の電車に乗ってから、須ヶ口駅で津島線に乗り換えて一駅です。

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改札口を下りると、さっそく路上観察にはうってつけな街並みの予感。

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いろいろとすごい美容室です…!

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まちあるきといえばマンホール。

ここは、2010年(平成22年)までは海部(あま)郡甚目寺町でした。

ということで、マンホールも、むかしの町名といまの市名が混在しています。

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「あまし・おすい」とひらがなで書かれると、なんだかよくわからない…。

 

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これも甚目寺町名義になっています。

こういった「飼い主があとしまつ」系の看板も、あちこちで見かけますね。

少し前から気になって収集しているので、いずれまとめたいところ。

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かと思えば、こんなかわいい「とまれ」も。

でもこれ、パンダの視点だと、左と右が逆では…?

 

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いい加減に甚目寺観音に向かいましょう。八画文化会館さん命名のハッシュタグでいうところの、宝石になった街路灯。

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角ばった和ろうそくのロゴがかわいい。

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貴重なローカルコンビニ? OKマートが見えてきたら、もう道路の向こうが甚目寺観音です。

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境内の街灯にもOKマート。

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けっこうな人出でした。

裏返っていますが、のぼりには節分会の案内が。

そういえば、元日に初詣をするのは明治以降に鉄道網が発達してからの風習なので、恵方参りとしては今日行かなくても良かったのでした。

まあ、それはそれとして、久しぶりにまちあるきをしてみたくなったのです。

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今年一年の無事を祈りつつ、帰路につきます。

 

おまけ。駅構内にPOP体が…。

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たどりつけない世界 – panpanyaの楽園コミックス

いよいよ今年も残りわずか。

無事に大掃除もひと段落して、心おきなく新年をむかえられそうです。

 

あと、やり残したことといえば、2016年、文章とものがたりをあじわう10冊で触れられなかった、今年に読んだマンガの紹介。

ほんとうは、新しい視点を味わうことのできる作品として、何冊かピックアップするつもりでした。

しかしやはり、この作品(作家)は単独で紹介したいな、と思いました。

それが、白泉社の漫画雑誌「楽園」と、そのWEB増刊に掲載されている、panpanyaさんの作品。

 

もし、あなたがこの記事を2016年中に読んでいるのなら、いますぐ以下のリンクから、WEB増刊12月18日号のpanpanya作品「今年を振り返って」を読んでもらいたいです。期間内であれば、無料で読めるので、ぜひ。

楽園 | 白泉社

「恋愛欲を刺激する」がテーマの新しいコミックアンソロジー「楽園」の紹介ページです。

読み終わったら、この記事にもどってきてくださいね。

 

いかがでしたでしょうか。

 

大掃除の途中に、つい昔の本や雑誌を読みふける、という経験は誰しもあると思いますが、いつのまにか位相がずれて、もどってこれないような場所に迷い込んでしまったような感じ。

そんな、日常ではたどりつけないような場所に読者を誘うのが、panpanyaの世界。

 

何気ないふだんの生活に。

まちあるきの途中に。

ふと出会う、得体の知れない動物たち。見慣れない世界。

 

単行本には、作者の公式サイトで公開されている日記の一部も収録されています。

この方の文章もまた、わたしにとってここちよく、心にしみこんできます。

そこにはやはり、路上観察学などに通じる視点があります。

そんな作者の視点から生み出された作品だからこそ、見覚えがあるようでない、新鮮な光景を垣間見ることができるのでしょう。

 

大掃除のときならずとも、折にふれて、何度でもくり返し味わいたい作品です。

 

 

いつもの路の向こう側

多くの人には、通学や通勤などで、毎日きまって歩く路があります。

 

こどものころからふしぎだったのは、なぜ通学路がひととおりに決まっているのかということ。

自宅から学校までの間には、いくつもの交差点、いくつもの分かれ道があります。

事故や事件に遭わないように、危険な路を避けるために、通学路は決められているのだといっても。

少し離れたところに住む友達には、その子の通学路があって。

たまには自分も、違う路を選びたくなってしまいます。

 

一本違う通りを歩くだけで、そこには、見慣れたものとは違う景色がひろがっています。

いまにして思えば、それは路上観察学へと続く道の、第一歩だったのかもしれません。

 

社会人になっても、それは同じ。

違う路を歩いたからといって、誰かに怒られることはないけれど、列車で通勤する場合、定期券のルートを決める必要があります。

たいていの場合、定期で指定できる経路はひととおり。それも行きと帰りで別々の経路を指定することはできません。

けれど、それほど急ぐ必要もないとき、あるいは休日のときなどは、違う路を選んでみてもいいのでは。

 

鉄道が好きな人なら、路線図を眺めながら、どのような経路をたどって目的地に向かうかを考えるのも、楽しみ方のひとつ。

関西では、京阪神を結ぶのにJRのほか阪神、阪急、近鉄、京阪と多くの私鉄があり、それぞれに独特の沿線風景があると言われます。

 

名古屋なら、JRと名鉄、地下鉄。

広島なら、JRと広電、アストラムライン。

窓の外の風景だけでなく、駅の構造、車内広告、乗客の様子など、あらゆるものを観察することで、いままでにない発見があることでしょう。

 

いつもの路の向こう側に足を踏み出すことで、新しい世界が見えてきます。

 

2016年、文章とものがたりをあじわう10冊

年末ということで、さまざまなところで、この一年に読んだ本、見た映画などを取り上げる企画があります。

まだ知らない新たな作品に出会えるきっかけになるだけでなく、取り上げた作品によって、その人ならではの視点をあらためて知る機会にもなります。

 

ということで今回は、わたしにとってここちよいと感じる文章、その表現からものがたりを感じることのできる本を紹介します。

対象は、2016年に読んだ小説とノンフィクション。マンガはまた別の記事で取り上げます。数を絞りたかったのと、買っただけでまだ読んでいない作品があるので(笑)。

 

北村薫「八月の六日間」

北村薫の創作表現講義でも紹介したとおり、文章が好きな作家の代表格。

雑誌の副編集長をしている「わたし」が、山登りを趣味としてはじめる。山に登るにも本を手放せないというのが、実に北村作品ならではのキャラクター。

 

吉田篤弘「木挽町月光夜咄」

こちらも文章が好きな吉田篤弘さん。クラフト・エヴィング商會のおひとりでもあります。

小説なのか、エッセイなのか、現実と空想がふしぎに入り混じる、どこかにありそうなまちのお話。

 

西村佳哲「自分をいかして生きる」

同じく、ちくま文庫から。

自分だけの生き方、働き方を考える – 自分をいかして生きる で紹介したとおり、人生について、仕事についてとらえ直すきっかけを与えてくれます。

 

姜尚中「逆境からの仕事学」

もう一冊、今年感銘を受けた仕事論。

姜尚中さんも、その語り口、文章がとても好きな方です。ご自身の経験をもとに、人はなぜ働くのか、これからの働き方について語られています。
旧約聖書から引用された「すべてのわざには時がある」ということばに、わたしもうなずくばかり。

 

相沢沙呼「小説の神様」

小説家もまた、仕事のひとつ。学生作家としてデビューしながら本が売れずに苦しむ主人公が、とあるきっかけで出会ったベストセラー作家。

読んでいて辛くなる部分もありますが、それも、ものがたりと向き合う人の宿命。

 

西尾維新「人類最強の純愛」

学生のうちにデビューした作家といえば西尾維新さん。

わたしと同年代ということもあり、ほとんどの作品を読んでいて、その文体には大きな影響を受けています。

メフィスト賞受賞のデビュー作「クビキリサイクル」から登場する人類最強の請負人・哀川潤。彼女の出てくる新作を読むと、変わらぬ旧友に再会したような、なつかしさをおぼえます。

 

森博嗣「魔法の色を知っているか?」

そのメフィスト賞の歴史は、森博嗣さんの「すべてがFになる」からはじまりました。(正確な事情に触れると、ややこしいので割愛)

講談社タイガで昨年からはじまったWシリーズは、「すべてがFになる」の世界観を底流とした、はるか未来のものがたり。

一作だけ読むのではなく、シリーズを読み続けることで、思いもかけないつながりが見えてきます。

 

辻村美月「島はぼくらと」

同じくメフィスト賞作家の辻村深月さん。

瀬戸内国際芸術祭をきっかけに、作者が瀬戸内の島めぐりをしたことで生まれたというものがたり。

島に暮らす高校生たちのお話としても、そして島に縁をもった大人たちの仕事についてのお話としても読める、今年読んだ小説の中では最高峰。

 

港千尋「文字の母たち」

瀬戸内国際芸術祭と並び2016年に開催された芸術祭、あいちトリエンナーレ

その芸術監督を務めた港千尋さんによる、活字をめぐるものがたり。

大愛知なるへそ新聞社の編集部でも何度かお見かけしつつ、気後れしてあまりお話できなかったのですが、なにげないものやまちの風景からきおくをよびさます、港監督の文章がわたしは大好きなのです。

 

松村大輔「まちの文字図鑑 よきかな ひらがな」

最後はやっぱり文字の話になったので、締めはこの本しかありません。
京都のイベントでは、いまでも忘れない、楽しい時間を過ごさせていただきました。

まちなかで見かける看板のひらがな。

その一文字一文字を切り取ることで、なぜかいっそう、裏側にひそむものがたりへの想像をかきたてられます。

 

わたしなりの10冊で、この一年間をものがたってみました。

来年も良きものがたりに出会える年になりますよう。